昨日は「昭和の日」であった。朝食の卓にスイトンとニラの入った薄焼き(信州の
代用食)が出た。老妻は冗談ともつかず”今日は「昭和の日」だから”と言った。
食糧難のあの時代を偲んでということらしい。僕ら昭和一ケタ世代の半生はほ
とんど昭和だったが、やはり昭和というと、戦争中と敗戦直後の頃が最も印象に
残っている。
平成も二十年、だんだん遠くなりつつあるが、戦後生まれの世代にとって昭和と
はどのような時代だったのかー。昨年「昭和の日」が国民の祝日に制定された時
その趣旨は”激動の日々を経て復興をとげた昭和の時代を顧み、将来に思いを
はせ”とあった。が、いまや"激動の時代”に生きていた日本人は半数もいない。
戦後生まれにとって昭和は、せいぜいあの30年代なのかもしれない。
「昭和の日」に改めて僕らにとって昭和だった戦中と敗戦直後の時代を顧み、あの
時代にあって、平成の今の時代にはなくなったり、姿を消したものを列挙してみた。
やはり時代は移っている。
蚊帳(かや)、ハエ叩き、ちゃぶ台、ネズミ捕り、ネズミ入らず、戸袋、洗濯板、歯磨粉、
箒(ほうき)、はたき、長火鉢、炭俵、ロータリー、水まき自動車、角帽、ゲートル、戦
闘帽、バスガール、サイドカー、リヤカー、足駄、雪駄、浅草紙、汲み取り屋、小間物
屋、乾物屋、洗い張り屋、張り板、フのり、越中、六尺(ふんどし)、マント、トンビ、ソ
フト、ラオ屋、雪隠・・・・まだまだあると思うがこのへんで。
代用食)が出た。老妻は冗談ともつかず”今日は「昭和の日」だから”と言った。
食糧難のあの時代を偲んでということらしい。僕ら昭和一ケタ世代の半生はほ
とんど昭和だったが、やはり昭和というと、戦争中と敗戦直後の頃が最も印象に
残っている。
平成も二十年、だんだん遠くなりつつあるが、戦後生まれの世代にとって昭和と
はどのような時代だったのかー。昨年「昭和の日」が国民の祝日に制定された時
その趣旨は”激動の日々を経て復興をとげた昭和の時代を顧み、将来に思いを
はせ”とあった。が、いまや"激動の時代”に生きていた日本人は半数もいない。
戦後生まれにとって昭和は、せいぜいあの30年代なのかもしれない。
「昭和の日」に改めて僕らにとって昭和だった戦中と敗戦直後の時代を顧み、あの
時代にあって、平成の今の時代にはなくなったり、姿を消したものを列挙してみた。
やはり時代は移っている。
蚊帳(かや)、ハエ叩き、ちゃぶ台、ネズミ捕り、ネズミ入らず、戸袋、洗濯板、歯磨粉、
箒(ほうき)、はたき、長火鉢、炭俵、ロータリー、水まき自動車、角帽、ゲートル、戦
闘帽、バスガール、サイドカー、リヤカー、足駄、雪駄、浅草紙、汲み取り屋、小間物
屋、乾物屋、洗い張り屋、張り板、フのり、越中、六尺(ふんどし)、マント、トンビ、ソ
フト、ラオ屋、雪隠・・・・まだまだあると思うがこのへんで。