「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

47都道府県「住んだ町」「旅した町」(北海道)日高路の町 競走馬のふるさと

2021-05-31 06:29:12 | 2012・1・1
北海道の背骨といわれる日高山脈が太平洋に落ちる襟裳岬、”何もない”観光名所だが、空の玄関口新千歳空港から襟裳岬までの日高路(国道236号)は天馬街道といい、競走馬のふるさとである。1970年代、札幌に勤務中、競馬のテレビ中継の打ち合わせで、年に何回かこの日高路の町浦河、新ひだか町(当時静内)を訪れた。

ひしゃもの町、様似から太平洋に沿って日高路を行くと、まさに天馬街道だ。道沿いに軽種馬(競馬馬.乗馬)の厩舎が散見され、時には柵を越えて道に出ている馬もある。季節には雄大なコンブ星干しも遠望され北海道ならではの風物詩であった。日高路には1000を超す厩舎があり、日本の競走馬の80%を生産しており、浦河の谷川牧場にはかって日本ダービーなど5冠を制した名馬シンザン野記念像もある。

新ひだか町は平成18年、静内町と三石町が合併した町だ。その静内町にはかって宮内省の御料牧場があった。その跡地の両側7キロの二十間道路(幅34m)には山桜が植樹され、今は季節には大勢の桜見客で賑わう。日本の桜百選にも入っている。偶然だが、第二の人生の仕事でJICA(国際協力事業団)の研修員を連れて、1992年、この静内の桜見物を楽しんだ。その見事さが忘れらられない。

47都道府県「住んだ町」「旅した町」(北海道)室蘭 かっての企業城下町

2021-05-30 07:50:14 | 2012・1・1
道央胆振地方の太平洋と噴火湾に面した人口8万人ほどの港湾都市だが、かって日本の産業が石炭を中心に動いていた時代、室蘭は北海道最大の積出港であり、これに張り付いた形で製鉄プラントがあり、人口20万人をこす企業城下町だった。筆者は札幌在勤中の1970年代、仕事で年に何回か室蘭に出かけたが、その昔の賑わいはなかった。

室蘭駅はJR北海道(当時は国鉄)室蘭本線、東室蘭駅の支線駅であり不便であった。そこで観光をかねて市内の太平洋に突き出た絵鞆半島の突端にある地球岬のホテルに泊まった。アイヌ語で断崖を意味するそうだが、展望台からの眺めは、地球全体が見渡せる感じだ。夕食にたべた”焼き
鳥”は鳥ではなくて豚肉で、長ネギではなく玉ねぎだったが、それなりに美味しかった。

一般人へのワクチン接種朗報ではないのか 菅義偉総理の記者会見

2021-05-29 08:33:19 | 2012・1・1
9都道府県に対する緊急事態宣言の期限再再延期を決定した昨夕、菅義偉総理の記者会見を難聴気味のためラジオのイヤフォーンで聴いた。総理の国民への謝罪ばかりが目立ったが、その中で総理がコロナ.ワクチン接種について6月中旬以降一日100万回体制が出来、高齢者接種にめどがついた自治体から6月中に一般人へ接種が開始されると明言した。

政府のコロナワクチン接種政策は正直言って後手後手で円滑といえない。90老の僕は周囲のお助けで何とか一回目の接種を終えたが二回目はまだだ。やっと集団接種で軌道に乗ってきたが、接種は65歳以上の老人だけだ。一般の働き世代は どうなっているのか心配していた。そんな中での菅総理の一般人接種についての初めての発言である。

開催まで50数日に迫った東京五輪、それを前に一般人に対するワクチン接種が部分的にせよ開始できるというのは朗報である。大風呂敷では困るが、一般人への接種はすでに一部新聞で掲載済みのことだ。東京の江東区では6月15日から区民に接種券が配布され、早ければ29日から接種が可能だという。(産経新聞28日付け27面東京版)

コロナ禍終息の決め手はワクチン接種しかない。幸いわが国はすでに量的には十分のようだ。問題は接種のスピードアップである。緊急事態宣言発令でいろいろ対策、対応がとられているが、ここはワクチン接種一本にしぼってでもよいのではないか。

当たり前化した緊急事態宣言の期限延期だが

2021-05-28 06:37:14 | 2012・1・1
北海道、東京、大阪など全国9都道府県に出ている緊急事態宣言について政府は期限の5月31日を再再度延長して6月20日までとすることを決め、専門家の諮問を受けた後今日28日菅義偉総理から発表になる。正直言って期限の延期は都民にとってまたかといった感じだ。不要不急の外出は慎み、三蜜、マスク、手洗いの励行はしている。が、今一つ期限延長を説得させるものがたりないい。

"出したりひっこめたり”が多いので正確な日付けを忘れてしまっていたが4月25日だった。GWの連休を前にの発令だったが、GWを過ぎても感染の勢いが収まらず11日に31日まで延期、そし今回の再延期である。6月20日といっても特に意味があるわけではない。沖縄への宣言期限にすぎない。情勢によっては再再再延期されるかもしれない。

東京五輪パラリンピック開催まで100日を切ったというのに、いまだに開催中止、延期をも求める声がでてている。しかし、開催はIOCという国際機関の決定事項である。問題は開催国のわが国が緊急事態宣言がなになのか、どんな蔓延防止措置をとっているのか丁寧に説明すべきだ。再三の宣言期限延期はこの点も考慮すべきだ。

忘れるな「海軍記念日」 日本海沖海戦勝利の正しい評価

2021-05-27 05:34:25 | 2012・1・1
今日5月27日は116年前の明治38年(1905年)、旧日本帝国海軍が日本海の対馬沖で旧ロシア帝国のバルチック艦隊を迎え撃ち大勝利した日である、戦前までこの日は「海軍記念日」として国を挙げて祝ったものだった。僕ら昭和1ケタ、銃後の小国民世代でも”皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ”との東郷平八郎連合艦隊司令長官の旗艦「三笠」司令塔からの部下への号令をいまだに覚えている。

僕らが銃後の小国民だった時代、周囲にはまだ日清日露の戦役に従軍したお年寄が沢山いた。直接勇ましい戦争の話を聞いたものだが、今は一人もいない。近現代史の一コマとして学校で学ぶだけだ。問題はそれが日本のアジアに対する侵略の始まりとの歴史観に立つ教育だ。戦後一時期、日教組全盛期時代にはそう教えていたそうだ。

先日、菅義偉総理が日本学術会議から指名があった6人の新会員の任命を拒否した。理由は明らかにされていないが、うち一人は戦争に対する近現代史観によるものらしい。戦後の「平和教育」で戦争は悪とされている、これは正しい。しかし日清、日露の役までわが国の一方的な侵略とする歴史感は誤りである。海軍記念日は残すべきだ。



47都道府県「住んだ町」「旅した町」(北海道)三笠市 昔石炭、今恐竜

2021-05-26 05:50:22 | 2012・1・1
道央の中核都市岩見沢に隣接する、これまたかって炭鉱と鉄道で栄えた町である。明治元年(1868年)には早くも良質の石炭が発見されて11年には炭鉱が開基、14年にはこれを岩見沢経由小樽などの港へ運ぶ道内初の幌内線が開通している。古い歴史を誇るが町名の三笠は三方囲む山の一つが奈良の三笠山に似ていることからきているという。

石炭が”黒いダイヤ”ともてはやされた時代、三笠には幾春別などの炭坑があり全盛期には5万人もの人口があったが、今は8千人しかない。その全盛期は知らないが、昭和50年代札幌在勤中、幾幾春別という旅情を誘わせる地名にひかれて三笠に旅し、全盛期の幾春別を偲びながら、宿は郊外の人造湖の桂沢湖の湖畔にとった。

三笠は今 恐竜を観光の目玉にしている。市立博物館には白亜紀に生存していた恐竜の化石が展示されており、野外ジオ展示場には恐竜の模型もある。市内には鉄道博物館もある。





立場考えない内閣参与の屁(へ)のつぶやき

2021-05-25 11:02:41 | 2012・1・1
内閣参与の高橋洋一氏が5月21日付け自身のツ゚イッターに緊急事態宣言について”欧米からみれば戒厳令でもなく、屁みたいなものだと投稿、激しい反論にあいこの責任をとって辞職した。高橋参与は4日付けのツイッターでも日本の感染状況は”さざ波、これで五輪中止ウンヌンは笑笑”とツ゚イッターされていた。ツ゚イッター(Twiitter)の元の意は鳥のさえずり、参与が個人的にやさしくつぶやかれるのならばきれいだがオナラの話ではー。

高橋参与のつぶやきはご説ごもっともだ、"さざ波とささやかれた連休時の東京の新規感染者数は1000人以下であり、以来これまで5月で1000人台を記録したのは4回だけだ。欧米、インドの大波に比べれば”さざ波”である。緊急事態宣言も戦争を体験している僕ら世代にとっては、まさに屁みたいだ。

内閣参与は高官なのだろいう。改めて人物を検索してみたら旧大蔵省の高級官僚の出身で、驚いたのは65歳という年齢である。人生50歳の戦前は無論のこと。今でも65歳の元高級官僚が使用する文の表現ではない。

47都道府県住んだ町」「旅した町」(北海道)岩見沢 石炭.鉄道.輓馬

2021-05-24 06:20:51 | 2012・1・1
道央空知地方の人口9万人ほどの中核都市だが、戦前から戦後すぐの時代、石炭が”黒いダイヤ”ともてはやされたころ、岩見沢は幌内、空知炭炭鉱から鉄道で室蘭、手宮の港へ運ぶ中継地点して栄えた。その象徴ともいえたJR北海道岩見沢駅舎が2000年、漏電で消失したのは残念である。しかし今でもJR北海道の基幹、函館本線、室蘭本線のすべての快速列車が停車し、鉄道を抜いてはこの町は語れない。

1970年-80年代、札幌在勤中、年に数回、日帰り出張で岩見沢へ出かけたが,93年11月,機会があってJICAの研修事業の仕事でパレスチナ難民機構の研修員3人と約1か月滞在した。晩秋から初冬にかけての季節だったが、自炊式ホテルに泊まりながら筆者は出来秋を楽しんだが、回教徒の研修員はハラル食材が入手できず困ったこと、同情した住民が親切に鮭でちゃんちゃん焼きをしてくれたのを思い出す。

札幌在勤中、同僚の家族と一緒に当時まだ開催中だっばんえい競馬に出かけた。1000㌔の巨大な農耕馬ガハンデを背おって坂道を登りおりする。岩見沢の町に似あった競馬であった。何レースか当てて帰途、ビールガーデンでジンギスカン鍋を食べたことを思い出す。旧友は早逝してはや20年になる。

4時間警報解除されなかった5月24日東京大空襲

2021-05-23 09:08:34 | 2012・1・1
昭和20年戦争末期の東京大空襲というと僕の記憶には3月10日の下町大空襲、動員先の軍需工場が消失した4月15日の京浜大空襲、それに直接焼夷弾(部品)を消した体験のある5月24日の山の手大空襲の三つである。

戦時下の粗末な亡父の日記帳の5月24日の小さな欄には”寝入りして間もなく警戒警報についで突如空襲警報、とびおきて夜空を眺めると敵機数機飛来し、盛んに焼夷弾をばらまき、ついに付近に数か所火災が起きた。妻子とともに火たたき棒で消火に努めた。

この日の空襲について戦後入手した米国に資料によると、空襲に参加したB-29爆撃機は520機で東京爆撃では最多,投下焼夷弾も446とんでこれまた最高だった。被災区域は旧荏原、品川、大森、鎌田、目黒一帯で消失家屋は6万戸、死者722人。几帳面な亡父の日記帳には当日の警戒警報発令は24日午前零時半、空襲警報発令1時5分、同解除4時20分、延々4時間に近い大空襲であった。

リナの花咲く北海道でコロナ”爆発寸前

2021-05-22 08:47:46 | 2012・1・1
緊急事態宣言発令下の北海道でコロナが感染”爆発”しかけている。昨日21日の道内の新規感染者数は722人で、東京(649人)愛知(597人)大阪(415人)よりも多く全国1位である。ここ3日間600人台を記録しており、まさに”爆発”状態だ。

筆者は札幌冬季五輪のあった昭和47年(1972年)から昭和56年まで足掛け10年札幌に在勤していたが、5月末から6月にかけての今の季節は1年を通じて最高によい。札幌では中心部の大通り公園に薄紫のリラの花が芳香を漂わせ「ライラック祭り」が開催される。アカシアも黄色の満開だ。しかし、コロナ禍で今年は「ライラック祭り」はオン.ラインでの開催だという。

北海道の冬は長い。11月末から4月末まではゴルフができない。それだけ百花が一斉に咲きだす5月は道民にとって最高の季節の到来だ。だれでもが戸外へ出かけたくなる。筆者も実感してきた。今回のコロナの大波と関係があるのだろうか。梅雨のない6月の北海道は本来なら”GO TO"月なのだが無情である。ご同情お見舞い申し上げる、