「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「災」から「福」の年へ 北海道から感謝の年越しそば

2018-12-31 05:02:24 | 2012・1・1

平成の御代の最後の大晦日、いつものように、この1年を振り返ってみた。正直いって清水寺の1年の漢字「災」ではないが、あまり好い年ではなかった。年初の北陸の豪雪から始まって7月の西日本を襲った豪雨、記録的な夏の猛暑、9月の北海道地震、何回もの台風による被害などなど。僕個人にとっても前立腺炎による突然の救急車による入院など「災」の1年であった。来る年は「災」を転じて「福」の年を期待しよう。

そんな思いの中でいたところ、小ブログを通じて知り合った、札幌在住のブログ「天声薪語」の管理者、「頑固親父」さんから今年も御自慢の手打ちそばが宅急便で届いた。新十津川産のそば粉と道産小麦粉の二八そばで「頑固親父」さんが心を込めて手打ちしたもので、材料費がそばよりかかったという御自慢のつゆ、もみ海苔、それにおいしく食べるレシピまで添えてある。「頑固親父」さんのこの気配りが嬉しい。

嬉しいといえば、小ブログががこの1年ランクアップしたことだ。昨年の大晦日、僕はブログが2000台を4回も記録したと書いたが、今年は66回も記録、1000台さえ7回出している。2006年にブログを開始し、最初の5年間は、上位10000に入らなかったが、やはり”継続は力なり”である。ブロガーのはしくれだが、やはり、沢山の方に見て頂けることは嬉しいことだ。

あと数時間で今年もくれる。今年で夫婦合わせて177回目になる除夜の鐘を聞きながら「災」の年におさらばして、「福」の年を祈願して頂戴した年越しそばを頂くことにする。

 


2019年の日記帳に想う

2018-12-30 05:09:08 | 2012・1・1

新しい年まであと2日、昨日、近所の書店から2019年の日記帳を購入した。昨年確か1500円前後だったと思って老妻から3000円貰って買いに行ったのだが、先にスーパーで買い物をしすぎて、手元に半分しか残金がなく、僕が求めるタイプの日記帳はない。天皇陛下の譲位、即位を控えて年号が決まらず、そのため値上げしたのであろうか。僕は平成2年(1990年)、家を新築した年から日記をつけ始めている。仕事が現役時代は、多忙でなかなか日記はつけられなかった。しかい、明治17年生まれの亡父は大正2年、39歳の時から亡くなる昭和43年まで約半世紀にわたって日記を残している。

その父の日記のうち昭和12年から23年までの日記帳が手元にある。戦時期と戦後の混乱期であるが、父は戦前は博文館の「当用日記」を愛用していたが、19年から23年までの5年間は、入手できず、日記帳らしきもので代用している。チャチな装丁でページ数も少ない、したがって記述も少ないのが残念だ。それに比べて博文館の当用日記は、日記欄のほかに、利用者の日常生活に役立つ情報が満載してあるのが特徴だった。昭和18年の日記帳には天皇の御暦代表、瀝世年号に始まって,戦陣訓、空襲下の防空心得、健康十訓、常用漢字表、菜園12ケ月便欄まで至れりつくせりだ。

これに対して2019年の日記帳にはシンプルだ。日記欄以外は年齢早見表が1ページあるだけで、”たっぷりレイアウト”が売り物で、白紙のNote欄だけである。インターネット時代である。なんでも情報は検索すれば用が足りる。わざわざ印刷して提供サービスする必要はないのだ。 

 


頑張れ 在職新記録達成へ 正念場の安倍内閣

2018-12-29 06:52:32 | 2012・1・1

第二次安倍晋三内閣が発足したのは平成24年(2012年)12月26日、早いもので、すでに6年過ぎ、7年目に入った。来年6月には在職歴代2位の伊藤博文を抜き、11月には、未曽有の史上1位の桂太郎の2886日を越え、憲政史上最長の大記録を達成する。

6年前、「鳩山最低」「菅最悪」「野田最弱」の3年3月の民主党内閣が終わりを告げ、、安倍晋三第二次内閣が誕生した翌日の小ブログは”大叔父(佐藤栄作)祖父(岸信介)にならって長期政権を”とエールを送っている。第二次内閣の当面の目標は”危機突破”であったが、すでに大叔父の在職2798日、祖父の1241日を抜き去り長期政権の域に入っている。

問題はあと1年のかじ取りだ。昨日の東京株式市場で気にかかる数字があった。大納会としては7年ぶりに前年割れした。アベノミクスが始まってから初めてのことである。米中経済摩擦、トランプ政権への将来への不安など外部要因によるものだが、どうやら根が深そうである。年が明けても株安による不況は続くという観測が強い。

わが国は来年新天皇が即位し、五輪を控えて経済的には好材料が多いが、10月には消費増税がある。予想される世界不況の中で、安倍総理は実施に踏み切るのか。総理は”リーマン.ショック”級の事態がなければ”と含みのある発言をしている。すでに株の下落価だけみれば、リーマン.ショック時を越えている。安倍総理にとっては在職新記録をかけてのまさに正念場のかじ取りである。

 


数え日 年の瀬 納めの不動

2018-12-28 05:06:05 | 2012・1・1

数え日という言い方があった。新しい年まであと幾日、昔の人の年の瀬に当たっての気持ちがよく現れている。子供たちにとっては”もう幾つ寝るとお正月”(滝廉太郎作曲 「お正月」)がこの時季で,凧上げしたり、追い羽根を夢見たりしたものだ。しかし、この年の瀬、数え日の風景が、僕の住んでいる東京から消えて久しい。

平成最後の”納の不動”へ老妻が今日、目黒の不動尊へ「災」の一年を納め、転じて来る年の「幸」を祈願に出かけて来た。このところ、わが家では毎年”納の不動”の参拝が終わってから正月の準備が始まる。といっても、障子の貼りかえをするわけではなく、餅つきをするわけではない。夫婦二人だけのオセチ料理の僅かな材料を買い、小さな松飾を買うだけだが。

半七捕物帳の作家、岡本綺堂が明治25年頃、3年間、住んでいた銀座界隈の年の瀬風景の随筆を読んだことがあるが、銀座八丁には夜店が出て大変ににぎやかであった。僕が子供だった昭和10年代でも戦争が激化するまでは、東京には独特の年の瀬があった。歳末大売り出しの籤引一等大当たりをつげる、ガラガラとした鈴の音。チンドン屋のジンタ、それに混じって救世軍の”信ずるものは”の歌声と社会鍋のラッパ。

東京では年の瀬、29日には”九(苦】餅”だから、餅を搗くな”とか、大晦日に松飾りするのは一夜飾りだからするな”といったジンクスがあったが、今やそれを知る人も少なくなってきた。歳の流れを感じる。


認知症の予防 定期診断で早期発見を

2018-12-27 05:34:20 | 2012・1・1

年末に調べることがあって、手元にあった70年前の亡父が残した昭和23年の「常用日記」(七星社版40円)を見たら末尾に年齢早見表が載っていたが、時代を思わせる。安政6年巳未歳生まれ90歳までしか掲載がない。人生50歳時代、しかも紙のない時代である。90歳以上は載せる意味がなかったのだろう。

産経新聞(首都圏版)の5面総合面に小さく「認知症対策で閣僚会議」という記事が2段扱いで載っていた。2025年には65歳以上の高齢者の5人に一人700万人が認知症にかかる(厚労省推定)という事態にそなえ、安倍総理の言葉を借りれば”認知症の対応は喫緊の課題であり、政府一丸となって、来年5月までに対応策大綱をまとめることになった。

7年先とはいえ、日本の老人5人に一人が認知症とは、想像しただけでぞっとする。ボケ社会である。その兆候がすでに現れてきている。僕の周辺でも僕よりまだ若い70歳代で、認知症にかかり、老人施設に入っている人が出始めてきた。僕は75歳の時、ボケ防止に、このブログを書き始めたが、幸い、今のところ症状は見られない。

厚労省の認知症予防のHPを見ると、予防の第一は早期発見とある。しかし、ガンなどと違って痛みがなく、なかなか認知症だけで通院することはない。東京では75歳以上の後期高齢者は年に一回無料で採血、レントゲン、心電図など受診できる。この制度を利用して、認知症予防テストも行えば、早期発見につながるのではないだろうか。百歳時代といっても認知症では意味がない。

 


トランプ暴落かトランプ景気か

2018-12-26 05:02:26 | 2012・1・1

東京株式相場が週明けの25日、全面安となり、日経平均が前週末に比べて1日に1010円も下落、1年3か月ぶりに2万円の大台割れした。株を持っているわけではないが、これが、米国発の世界的な株全面安の始まり、本格的な不景気の到来だという観測もあり心配だ。

米国のNY株は10月2週の世界同時株安以来を続いており、本来はクリスマス景気で上向くのに,今年は逆に653ドルも暴落した。原因はトランプ政権が、野党民主党の反対にあって暫定予算が成立できず、一部政府機関のストップしていること。トランプ大統領が、国の中央銀行にあたるFRB(連邦準備制度)の金融政策を批判していること。マテイス国防長官の辞任など不安材料が多すぎる。

クリスマスの株安はトランプ暴落の始まりだろうか。その昔、スターリン暴落というのがあった。昭和28年(1953年)3月、ソ連(当時)の最高指導者だったスターリンが会議中に脳溢血で倒れ急死した。これがきっかけで世界の市場は、緊張が緩和して平和の時代が到来するという観測で、軍需株を中心に株が暴落した。

トランプ大統領は暴落を受けて”今がチャンス”と投資家を煽っているが、どうだろうか。政治は水物、一寸先は闇である。今回の暴落が一時的なものかどうかだ。トランプ暴落か、トランプ景気か。歯に衣を着せぬトランプの発言は困りものだ。来年、消費税の追加を予定しているわが国はである。不景気の到来は困る。


日比谷公園のクリスマス.マーケット 10年前は「年越し派遣きり村」

2018-12-25 05:25:19 | 2012・1・1

二人あわせて174歳になった老夫婦にはクリスマスは、あまり縁がなくなってきた。クリスマス.ツリーを飾るでもなく、ケーキを食べるでもなく、七面鳥を食べるでもない。一日、テレビを見たり消したりしていたら、東京の日比谷公園で「クリスマス.マーケット」の催しをしていた。これまで聞いたことがない催事だが、ドイツを中心にヨーロッパのクリスマスを紹介するものらしい。イブの24日から25日にかけて2日間、午前11時から夜10時まで開かれている。夜間には大きな”クリスマス.ピラミッド”やツリーに点火され、さぞかし奇麗だろう。そぞろ僕の好奇心を誘ったが、やはり老体には無理である。

年の瀬の12月の日比谷公園と聞いて、僕は10年前の「年越し派遣切り村」を想い出した。リーマン.ショックによる不景気で、馘首された派遣社員が全国的に増え、このままでは”年を越せない”という人たちを救済しようと、大晦日にボランティア団体がテント村を開いたところ、1月4日までの期間中に700人が押し掛けた。麻生内閣の時代で、今から考えると多分に政治的な匂いのするものだったが、マスメデイアはこれに乗せられて大騒ぎしたものだ。

テレビ画面で「クリスマス.マーケット」の大賑わいぶりを見て、十年一昔というが「派遣切りテント村」とは大変な変わりようだ。今は人出不足から外国人を呼び寄せようとしている。派遣村では”炊き出し”だったが、今はホットワインが飛ぶように売れている。実感がないというが、年寄りには感じられないだけで、景気は良いのかもしれない。

 

 

 


地震がなくとも大津波 クラカトワの言い伝え

2018-12-24 05:21:39 | 2012・1・1

インドネシアのジャワ島とスマトラ島の間に位置するスンダ海峡のクラカトワ島水域の海底火山が爆発し、それによって発生した大津波で288名が死亡、被害はさらに拡大しそうである。クラカカトワは1883年(明治16年)5月の海底爆発でできた無人島で、当時4万人が死亡、爆発による灰が地球を3周して世界規模の異常気象をもたらした。その津波は鹿児島市の甲突川にまで届いたという記録がある。

1990年、僕は大東亜戦争で日本軍がジャワ島に上陸した地点の一つ、バンタムへ調査に出かけた際、近くのチャリタという海岸に一泊した。チャリタは、インドネシア語のチェリタ(言い伝え)がなまったもで、1883年の大爆発で、この海岸に多数の遺体が流れ着いたものだと聞いた。クラカトワへは観光船も出ていて戦前、虎狩りの殿様としてしられる徳川義親候も1928年、バタビア(ジャカルタ)での学術会議に出席したあとクラカトワを視察している(「じゃかるた紀行」中公文庫)

クラカトア海域では,西暦535年にも大爆発した記録がある、世界中が降灰により異常気象となり、気温の低下、洪水などで大被害が出ている。爆発は数十年ごとに起きており。徳川候が視察した数年前にも爆発により、新しい小島が誕生している。日本と同じインドネシアは火山国の宿命で被害が絶えない。過去の被害をチェリタ(言い伝え)を教訓として残したい。

 

 

 

 

 

 


鯨食への郷愁 IWCからの脱退

2018-12-23 04:29:16 | 2012・1・1

 

戦後の昭和20年代から40年代初めにかけて学校給食で育った世代には鯨食への郷愁があるそうだが、僕ら昭和1ケタ世代も酒の相伴に鯨のベーコンや大和煮の缶詰をよく食べた想い出が深い。昭和28年、東京の有楽町のガード近くにあった新聞社に入社した僕は、よく新橋寄りのガード下にあった”帝国グルリ”(グリルではない)一杯飲み屋でコップ一杯30円の焼酎をよく飲んだが、その相手はいつも鯨のベーコン10円也であった。あの味が今でも忘れられない。

鯨肉は今は高くてあまり庶民の口に入らなくなった。調べてみると昭和26年、日本が鯨の保護と持続的利用を目的にしたIWC(国際捕鯨委員会)に加盟してからであった。加盟の結果、わが国は、南極海の調査捕鯨しかできなくなり、近海での捕鯨は禁止された。

IOCは世界89か国で構成されているが、発言力の強いのは、変な動物愛護心から全面捕鯨を主張している欧米諸国やオーストラリアで、これに反対の日本は悪者視されて禁止され来た。しかし、捕鯨は日本の伝統的な漁法であり。独特の食文化を持っている。南極海の調査捕鯨でさえ、反対行動に出ている変な動物愛護の国々とは一別しても構わない。安い栄養源である鯨の肉が、昔のように庶民の食卓に上る日が来るのが待ち遠しい。

 


シリアからの米軍撤収 トランプの打算外交

2018-12-22 05:26:30 | 2012・1・1

内戦がまだ続く中東のシリアから駐留米運2000人が撤収を開始するようだ。トランプ大統領は"感謝もしない他の国を守るために尊い生命と膨大な資金を費やしても何も得られない”とツィターで撤収を正当化しているが、多分、これが彼の本音に違いない。

米国は先の湾岸戦争の時もクゥエートに兵を進め、イラクに勝利した後も撤収までに8年9か月を要している。ベトナム戦争では、南ベトナムに軍事顧問団を派遣してから泥沼のベトナム戦争にはまり込み、サイゴンから完全に撤兵するまでに20余年もかかっている。東西冷戦下の国際情勢であっても、名誉ある撤退には長い歳月と人命がいることを体験している。

トランプ大統領はシリアから撤退しても、IS(イスラム.スンニ派過激組織)打倒のため他の地域では有志連合と共に戦闘は続けるようだが、なぜシリアから撤兵するのか。それは打算的な彼流の判断で、長年にわたりロシアからの支援を得ているシリアのアサド政権に対しては,これ以上支援しても”何も得られない”と判断したからであろう。

折も折、マティス国防長官が来年2月をもって辞任したいと大統領に申し出た。この辞任をめぐって、今回のシリア撤兵をはじめ、最近また出始めたアフガニスタンからの撤兵論について、マティス長官が、過去の職業軍人(海軍大将)の経験からも同意できないものがあったに違いない。トランプ流の打算外交に立てば、沖縄の辺野古移転の県民投票で、移転反対派が勝てば、何を言い出すかわからない。アメリカン.ファーストだからだ。