「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

2・28事件と台湾「多桑」(父さん)世代

2007-02-28 06:27:03 | Weblog
日本ではあまり知られていないが、2月28日は台湾で本土
から来た中国国民党軍による大虐殺があった記念日である。
1947年2月28日から約1か月にわたって台湾全土で28、
000の本島人が殺されている。

友人のR氏もこの事件であやうく殺されるところだった。R氏
は元日本軍上等兵で、戦争中は西スマトラの第25軍司令部
に勤務していた。大正生れで日本統治時代の名前は「大正」、
今も号として使っている。この経歴だけに事件の時は徹底的
に国民党軍の追及を受け、裸で各地を逃げまわったという。

R氏は今の若い日本人よりは”日本人”的なところがある。彼
に限らず、この世代の台湾人の中には日本統治時代に強いノ
スタルジアを持ち、台湾では「多桑」世代と呼ばれている。
「多桑」とは台湾語の発音で「父さん」のことだそうだ。

R氏は昭和19年松竹映画製作の「サヨンの鐘」の主題歌(西条
八十作詞,古賀政男作曲、渡辺はま子歌)を全部知っている。
数年前、観光旅行で台湾に行った時、彼はこの歌を披露したあと、
僕に言った。「日本人がたくさん商売で中国に行っているが、騙さ
れてはダメよ」R氏は現在、台北の中心街、中山路に事務所を持
ち中国と幅広く商売をしている。

「サヨンの鐘」が出来た同じ年、徴兵令がしかれ約20万人の台湾
の若者が軍人軍属として出征した。R氏もその一人、約3万人が戦
死している。

落語家の”引き時" 政治家の"引き際”

2007-02-27 06:33:21 | Weblog
落語家の三遊亭円楽(74)が「ろれつがまわらない。お客さんの前で
落語をやるのは情けがない」と引退した。現役の真打には彼より年
上の人もまだ沢山いる。すこし引退は早いような気もするが、円楽は
「会社員には定年がある。落語家にも引き時というのがある」と普段
から言っていた。

産経新聞のコラムに岡田敏一氏が”お叱りは承知の上で”と断り書し
て「日本では年寄りが既得権にへばりつき、若い世代に譲らない。こ
んな年寄りには電車の席は譲らない」とシニカルに書いていた。席を
譲ってくれないのは、相当ガタがきている僕には困るが、氏の論には
同情的なところもある。

岡田氏のいうように財界,学界、芸能界などなど年寄りがまだ幅をき
かせている。中でも最たるのは政界である。円楽師匠より年上の現役
閣僚がいる。先日衆院予算委員会をテレビで見ていたら、この大臣が
沖縄の"既得権”にへばりついて、僕にはおかしくみえる答弁をしてい
た。幸い娘のような若い現役大臣の答弁で救われていたがー。安倍内
閣には彼を含めて70代の閣僚が4人もいる。

”老害”という言葉がある。先日、森進一の歌「おふくろさん」の歌詞
をめぐって作詞家の川内康範氏が立腹していた。当然、森進一側に非が
あると、僕は思うが、川内氏の怒り方にも”引き際”があってもよい様な
気もしてきた。年よりは加齢とともに頑固になるが、その中にあっても
"引き際”が大切である。国を動かす政治家にとくにこれを望みたい。



長距離バスの安全性は?

2007-02-26 07:20:13 | Weblog
南米コロンビアの山中で長距離バスが谷底に転落、日本人の男性
(47)がこれに巻き込まれ死亡した。昨年10月にはトルコ中部のコン
ヤで日本人観光客を乗せたバスが事故を起こし、1人が死亡、23人
が負傷している。僕ら夫婦も10年前だが、イタリアのソレンテで乗っ
ていたバスが電柱に接触、あやうく大事に至るところであった。海外
でのバス旅行は恐い。

その点、日本の長距離バスは安全と思っていた。世界に冠たる車検
制度(料金も高いが)のお蔭でガタがきているようなバスは走っていな
い。3年間,日本の車検制度について途上国研修員に通訳したことが
ある。その時驚いたのは、ほとんどの国で車検制度がなく、あっても
簡単なものであった。

しかし、その日本の長距離バスでも先日の吹田市のスキーバスのよう
な事故が起きる。零細企業で人手が足りず、過労による居眠り運転が
原因だという。2000年の貸しバス事業の規制緩和で、中小の会社がこ
れに参入、格安競争が激化していた。新幹線の四分の一の料金で旅行
出来るのなら、多少時間がかかっても、お客は安いのを利用する。しか
し命がけの旅行になる。

過去30数回、インドネシア各地を旅行しているが、最近はこの国では
決して長距離バスには乗らない。国道脇には大破したバスやトラックの
残骸がさらしてある。暑い国なので長距離バスは夜間に走るが、猛スピ
ードで、時には対向車の中には”片目”のものさえある。車検制度だけ
は規制を緩和して貰いたくない。

政治家の鈍感な「鈍感力」

2007-02-25 07:18:00 | Weblog
小泉純一郎前総理が中川秀直・自民党幹事長と塩崎恭久官房長官に
言ったそうだ。「目先のことに鈍感になれ、鈍感力が大事だ。支持率に
ついて、いちいち気にするな」-僕はこれを新聞で読み”小泉さんらしい
うまいことを言うな”と思った。僕は「鈍感力」と聞きなれない言葉は小泉
さんの造語だと思っていた。ところが、そうではなく作家、渡辺淳一氏の
新刊の本のタイトルであった。僕も加齢で鈍感になっていた。

渡辺淳一氏は2月6日のブログでおよそ次のように書いておられる。
「鈍感なのは生きていく上で強い力になる。鈍感というと何か悪いイメー
ジのものと思われがちだが、そんなことはない。ひいひいと傷つきやすい
鋭く敏感なものより、たいていのことにはへこたれない、鋭くたくましいも
のこそ現代を生き抜く力だ」
これは渡辺淳一氏の人生哲学なのだろう。現代を生き抜くためには、こ
のような「鈍感力」が必要なのだろう。

しかし、中川、塩崎両氏は小泉さんが心配するほど”敏感な”政治家なの
だろうかー。どうも僕には逆のように思える。二人の発言はかなり「鈍感
力」の持ち主でないと出来ない。二人に限らず政治家は、僕ら一般人に比
べ相当に”鈍感”である。小泉さん、安心してください。

”鈍感”則長寿とは言えないかも知れないが、歴代の総理には長寿が多い。
鈴木善幸(93)岸信介(90)福田赳夫(90)片山哲(90)吉田茂(89)-ご存命だが
中曽根康弘(88)。


「赤ちゃんポスト」と捨て子の助長

2007-02-24 05:35:07 | Weblog
育児困難の親が乳児を病院に託す制度、「赤ちゃんポスト」について
厚労省は”児童福祉法規に違反しているまでとはいかない”という見
解を示した。この制度の設置の是非を厚労省にお伺いをたてていた
熊本市は同市に申請のあった慈恵病院と協議のうえ、最終的な判断
をすることになった。

このニュースを新聞で知り、思い出したのは終戦直後の昭和23年、東
京で起きた”寿産院”事件であった。戦中戦後の混乱の中でいわゆる”父
なし子”が沢山生まれた。これに目をつけた産院経営の夫婦が、有料で
赤子を預かり、里子に出すといいながら栄養失調で204人中169人も
殺していた悲惨な事件である。

この事件を思い出したので、僕は「赤ちゃんポスト」は名案だと思った。
厚労省の調査だと捨て子は年間200件もあり、2005年度の人口妊娠
中絶は28万件もある。さらに虐待で58人も死んでいる。尊い命が、この
「赤ちゃんポスト」の設置で助かるのなら、こんな好いことはない。しかし、
だがねである。

”寿産院”の頃とは時代が違うのである。あの時代は戦争があってやむを
えず、自分の生んだ子供を手放さざるをえなかったケースもあった。しかし
今は違う。不倫のすえ生んだ子供が”お荷物”になり、簡単に捨て子して
しまう。自分が遊びたいために幼児を一人部屋に置き火事で殺してしまう。
こんな時代である。「赤ちゃんポスト」はキリスト教倫理による崇高な案だ
が、かえって捨て子を助長すようになるのではないだろうか。


"無届け老人ホーム”は違法ではないが-

2007-02-23 06:07:20 | Weblog
千葉県浦安市の”無届け老人ホーム”で収容者に虐待行為が
あったかどうかで県と市が立ち入り検査をした。テレビで虐待
に使ったようなベッドや手を縛った金具を紹介していた。同じ老
人として他人事ではない。いつお世話にならぬともならない。

毎日新聞の調査によると、この種の”無届け老人ホーム”が全
国に625もあるという。しかし”無届け”でも”違法”ではないら
しい。浦安市の”無届け老人ホーム”も市のガイドブックには「有
料老人ホーム」として紹介されているという。老人福祉にうとい老
人の僕にはよくわからない。”無届け”というと、法に触れている
ように聞こえるが,そうではないのだ。

老人福祉に詳しい知人に聞くと、これは昨年4月、老人福祉法が
改正されて以来「有料老人ホーム」の解釈が各都道府県によって
異なってきたのが原因しているらしい。例えば県によっては施設に
若年者がいれば老人ホームとは認めないが、別の県ではOKといっ
た具合だ。この法解釈の違いで”無届け”になるらしい。

僕らは普通”有料老人ホーム”というと、入居料数百万円の豪華な
施設を考えるが”無届け”なら入居料30万円、月介護料15万円
の施設がある。認知症など介護老人をもつ家庭なら、安直な”無届
け”施設を利用しよう。

結局、公的な施設が不足しているため、このような現象が起きてい
るわけだが、"安かろう悪かろう”で”老人いじめ”にならなければよ
いが、とせつに望んでいる。



2月22日 敗戦の年の東京豪雪

2007-02-22 06:55:19 | Weblog
きのうも東京は春を思わせる陽気であった。早くも隣家の沈丁花のつぼみがほころび、かすかな芳香をただよわせ始めた。庭の寒梅は散り、遅咲きの南高梅、雲南梅それに乙女椿さえ満開にちかい。東京での最も遅い初雪記録はいぜん更新中でこのまま雪なしの冬は去り、春が到来するかもしれない。 雪で想い出すのは敗戦の年の東京の冬である。この年東京では2月に4回も降雪を記録している。なかでも22日は記録に残る豪雪で、明治9年気象台が記録をとり始めて以来二度目の大雪で 38.1㎝も降り積もった。 当時僕は中学2年で、勤労動員先の多摩川近くの工場で”人間魚雷”回天のエンジン部品を作っていたが、この大雪をはっきりと覚えている。昼休み僕らは同じ年頃の養成工(見習工員)と雪合戦をしていたが、相手の1人が誤って肥溜に落ちてしまった。戦時中、東京でも下水処理ができず、町のあちこちに肥溜が掘られていた。 雪の日にはB-29の”定期便”の襲来はなかった。調べてみると2月東京では空襲警報は4回しか発令されていない。しかし、僕らは連日のように雪かきをした記憶がある。多分この頃になると、電力も不足し、未熟の僕らは雪かきに使ったほうが効率的だったのかもしれない。3月4日にも雪が降った。そして天候が回復した10日、まるで満を持していたかのようにB-29の大群が襲来した。年々歳々、梅も沈丁花も咲いたのだろうが,想い出はない。

半鐘泥棒 おかしな犯罪

2007-02-21 06:42:48 | Weblog
茨城県小美玉市,常陸市をはじめ関東一円で火の見やぐら
の半鐘が盗まれる事件が続発している。最近、金属類が高
騰しており、これを狙った犯罪らしいが、地元の関係者にとっ
ては想い出の品もあるだろう。イヤな事件である。

半鐘泥棒と聞いてどかで耳にしたと思い、辞書で調べてみた
ら、やはりあった。火の見やぐらに吊り下げられてある半鐘
を盗めるほど背の高い男を蔑視していった言葉だった。確か
に昔、東京に火の見やぐらがどこにでもあったころ、年寄りが
使っていたのを想い出した。

”火事とケンカは江戸の華”-といわれたほど昔から東京は
多かった。子供のころ消防自動車のサイレンがすると、いつ
もそのあとを追いかけていった。仲間うちのふざけ言葉で”火
事はどこだ牛込だ。牛の○玉まる焼けだ”というのもあった。
牛込は東京が35区時代には区の一つだった。今は新宿区に
属している。出初式のころ家の物置からハシゴを持ち出して、
その上で出初の真似をしたのも懐かしい。

犯罪が”進化”し、サムソン回しなど新しい手口が出てきたの
に、忘れていた昔ながらの半鐘泥棒も横行している。こんな江
戸時代の犯罪には、銭形平次の親分か半七親分のお出ましを
願わなくては解決できないかもしれない。それにしても墓地の墓
石を倒して快感を覚える犯罪など変な事件が起きるものだ。世
の中の何処かが狂っているのだろう。


安倍”若殿”内閣、参院選前に改造を!

2007-02-20 06:40:54 | Weblog
戦後生まれの安倍”若殿”内閣に期待しているが、残念ながら
閣内外のタガがゆるみ、ガタがきているように僕には映る。早
急に改造して出直ししたらどうかー。出来るなら参院選前のほ
うが好い。

中川秀直・自民党幹事長は、きのうの政府・与党会議でも”忠誠
なき閣僚は去れ、閣議で入室した時、起立せず私語をしている閣
僚もいる”-と、ちょっと信じがたい発言をしていた。まるで子供に
さとすような言葉である。

「安倍政権、ベテラン閣僚が重荷」と新聞に書いてあった。そして
柳沢厚労相など失言、問題閣僚7人をリストアップしていた。いず
れも安倍総理より年齢が上、当選回数が多い。安倍内閣にはこの
7人を含め戦前生れの大臣が10人もいる(70代が4人)。日本の
人口の7割以上が戦後生まれだというのに。

同じ50代で総理になった田中角栄内閣も中曽根通産相(当時)を除
けば"角さん”より年上だったが、今回のようなことはなかった。多分
副総理格の三木武夫氏、官房長官の二階堂進氏、党幹事長の橋本
登美三郎氏が上手に若い総理を補佐していたのであろう。

第一次田中内閣は日中国交正常化を実現させたものの168日の短命
内閣であった。安倍内閣もそろそろ発足150日である。日数だけで言
えば内閣改造をしてもおかしくはない。こんなに閣内外に問題を抱えて
いては安倍総理の崇高な理想も実現できない。








ごろ寝族の見た東京マラソンの幸せ

2007-02-19 07:00:41 | Weblog
東京マラソンをテレビで観戦した。雨中の東京を3万人のランナーが
駆け抜ける姿は壮大であり、驚きであった。現代の日本人の健康志
向をそのまま反映していた。現役時代、休日にはごろ寝だけだった僕
ら世代には考えられない風景、羨ましくもあり、反面"ご苦労さん”と
言いたい気持もあった。

ごろ寝族の僕はマラソンの勝負もさることながら、画面に映る東京の
町々の変化も面白かった。僕は半世紀前の東京の風景とダブらせて
観戦してみた。出発点の東京都庁前は、まだ「淀橋浄水場」で、浄水
用のプールがずらりと並んでいた。新宿、銀座、品川、浅草のコース
上には都電が走っていた。50年前、昭和30年の初め頃は都電の最
盛期で総延長距離は213㌔もあった、と記録にある。

東京生れ東京育ちの僕だが、豊洲、有明の臨海副都心はまったく異国
風景だった。いずれも戦後の埋立地区だが、半世紀前は東京湾の”蒼海”
であった。僕らの知っている埋立は”洲崎”までで、到着ゴール地点の東
京ビッグサイトなど無論なかった。

東京のこの変化と発展は、戦後の平和の時代のおかげである。その前の
半世紀(1957-1907年)には関東大震災(1923年)もあり東京大空襲(1945年)
もあった。思い思いの姿でマラソンを楽しむランナー、そしてこれを応援
する大群衆を見て、戦争経験のごろ寝族は今の幸せを羨ましく思った。