「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

平成27年(2015年)大晦日雑感

2015-12-31 05:42:12 | 2012・1・1
馬齢を重ねると、月日の経つのが加速度を増してくる。今日は大晦日、あっという間の1年だった。今年の漢字は「安」であったが、僕個人にとっても「安」の一年であった。一昨年、昨年と2年続けて3回も大病で入院したが、今年は幸い一度も入院せずに済んだ。インドネシア語に、健康が最大の幸せといった意味の諺”Selamat Sehat Selamat Bahagia "があるが、その意味では僕にとってこの1年は「安}で幸せであった。

今年は戦後70年の節目の年だった。安倍総理の「70年談話」を初め日本人が”戦争”について色々と考えを及ぼし、国の安全保障が国会で討議されたのは有意義であった。一方、この節目に当たって、近隣諸国の慰安婦問題などをめぐる偏見、誤解を清算しようという動きもあったが、大晦日の段階では完全に解決されたとは思えない。「安」は安倍総理の「安」ではるが、、慰安婦問題の解決は最終的なものとは思えず、安心してみてはおられない。

”あと1日寝るとお正月”―昔流で言えば数えで86歳になる。80歳代の後半である。残念ながら暮に再発が発見された大腸ガンの手術のため1月中旬入院が決まっている。手放しで喜んで新年を迎えられないのは残念だが、この齢になって何回もの手術に耐えられるのは幸せである。そう思って除夜の鐘を聞き、年越しそばを食べようと思っている。

人民元をジンバウエの国貨にする中国の狙い

2015-12-30 05:10:30 | 2012・1・1
アフリカ南部の国、ジンバウエが年間2億という天文学的インフレで経済破綻し、自国通貨(ジンバウエ.ドル)を廃止、2016年度から中国の人民元を公式通貨とするそうだ。中国はこれに当たって、ジンバウエへの4000万米ドルの債券を放棄するとのこと。あまりに現実離れしていて、経済音痴の僕にはよく理解できない。

わが国でも戦中から戦後すぐの時代(昭和20年―24年)にかけてのインフレはすさまじかった。インフレ率は125パーセント、消費者物価指数は100倍に上がった。21年2月の預金封鎖と新円切り替えで、何とか破綻の危機は免れたが。子供心に、当時流通していた、靖国神社の図柄の50銭紙幣が紙くず同然になってしまったのを憶えている。

僕が新聞社の特派員としてジャカルタに勤務していた61年―62年当時のインドネシアのインフレも当時”スカイ.ロケット”と呼ばれていたほどのハイパー.インフレであった。公務員の給料が1年で15倍になったり、煙草の値段が10倍に跳ね上がったりした。僕ら外国人は華僑の闇ルートを通じてルピアを交換したが、100ドルも替えると、カバンに一杯で持ち運びに困った。

ジンバウエは昔、英国の殖民地時代は南ローデシアと呼ばれた。1960年は”アフリカの年"と呼ばれ、周辺の国々は次々と独立したが、南ローデシアはこの流れに逆行して最後まで一握りの白人が支配していた。その白人たちが65年、一方的に独立宣言したがアフリカ人の反対で79年、英国の殖民地復帰、さらに80年再度ジンバウエの名前で独立した。

こうした独立の歴史を持つジンバウエに中国がここ数年、急接近し、今年の「孔子平和賞」にはジンバウエのムカベ大統領が選ばれている。中国の意図はなになのだろうか。ここを拠点に将来、アフリカを中国植民地支配するつもりなのだろうか。

大丈夫なのか 慰安婦問題の”不可逆的”な合意

2015-12-29 06:16:51 | 2012・1・1
慰安婦問題をめぐる日韓外相会談が”めでたし、めでたし”で終わった。合意した内容を見ると、戦争を多少なりとも体験している僕にとっては、何故これまで謝罪するのか解らない。合意内容は”最終的かつ不可逆的なものだ”とある。不可逆という言葉は広辞苑にはない。可逆を参照とあり”逆もどりしうること”とある。その可逆に「不」がついてあるから、”逆もどりしえない”という意味で岸田外相は使用したのであろう。

広辞苑によれば、もともと「可逆」という言葉は理学用語で”摩擦や抵抗のない理想的な変化は可逆変化であるが、実際の変化はすべて不可逆的である”とある。岸田外相が、この意味を本当に知って使用したかどうかは解らないが、なかなか示唆に富んでいる。”不可逆的ということは抵抗や摩擦があるということだ。その一つはソウルの日本大使館前にある慰安婦像である。尹韓国外相は移転するよう努力するが、撤去するとは言っていない。慰安婦像がある限り本当に問題が解決されたといえない。

最大の問題点は、韓国側が約束を履行するかどうかである。例えばまだ記憶に新しいが、今年6月東京で行われた岸田、尹外相会談で、尹外相はユネスコでの日本の明治遺産登録について、はっきりと反対しないと明言しながら7月のボンの会議では、韓国側は最後の最後まで反対をし続けて自国の主張を世界に発信した。

朝鮮半島に住む人たちは約束を破ることは何とも思わない習癖があるように思われる。欧州の旅行業界では、韓国の観光客はドタキャンが多く要注意だといわれているそうだ。加齢とともに”老婆心”が強くなってきたこともあるが、10億円まきとられて、元の木阿弥にならなければと心配している。

安全運転?しかできない中国からの報道

2015-12-28 04:35:11 | 2012・1・1
在北京のフランスの週刊誌「ロブス」の女性記者が新疆ウイグル自治区の情勢をパリの同時多発テロに関係づけて記事にしたところ、中国当局の怒りを買い国外追放となった。今や経済的にはGDP二位の大国になった中国だが、報道管制は、半世紀前の文化革命時、朝日新聞を除いて日本人記者を全員、国外へ追っ払った昔と変わりがないのか。

日本マスメディアの中国からの報道は、なにか”隔靴掻痒”に見えてならない。例えば今年の「抗日70周年」行事である。日本のマスメディアの中で中国駐在期間が一番長い、産経新聞の矢板明夫記者に対しては取材記者証が発行されなかった。理由はあきらかではないが、中国側にとって矢板記者の報道姿勢は都合悪い点があるのだろう。

日中間には半世紀以上前の昭和39年に締結された”記者交換協定”がある。この協定によれば、中国側は日本側に対して、中国をを敵視したり”二つの中国”を煽動してはならないといった項目がある。昭和41年の文化革命時、日本人記者が反中国の壁新聞を日本に伝えたという理由から、朝日新聞を除く7社の記者が国外追放された。

中国からの報道が”隔靴騒擾”なのは、依然、この半世紀前の交換協定に日本側が縛られているように見えてならない。新疆ウィグルやチベットの情勢がどうなっているのか日本のマスメディは一向に伝えてこない。先日、深せんの地すべり現場の画面を見たら、警備の警察官が報道陣のカメラマンを突き飛ばしていた。これではまともな取材活動も出来ない。

岸田外相のムダ汗 慰安婦問題妥協するな

2015-12-27 06:44:42 | 2012・1・1
岸田文雄外相が慰安婦問題の早期妥結を求めてソウルで尹炳世外相と28日会談する。正直言って、この暮にきて宿年の難問題を何故バタバタと解決しようとしているような印象を国民に与えるのか解らない。新年に予定されている安倍総理と朴菫恵大統領との首脳会談を成功に導くお膳立てなのだろうが、外相会談前に漏れてくる韓国側の対日要求は高く、とても解決にはほど遠い。

産経新聞の報道によると、日本側は韓国人慰安婦だけを対象にした支援基金を新たに創設し、数億円の支援金を一括支給することを提案、これは最終的なものとして、これには先の「アジア女性基金」終了後、そのフォローアップとして韓国に与えていた慰安婦への医療福祉金金約1200万円を10年―15年分拡充一括支給考えのようだが、韓国側は20億円を要求しているらしい。

ソウル発の共同電によると、韓国政府は交渉が妥結した場合は、韓国は日本大使館前の慰安婦像を別の場所に移転する用意があり、他国での慰安婦問題批判を自粛するという。果たして慰安婦像を作って、ここを起点に反日活動を展開している反日団体などの世論が、これを許すかどうかだ。それより、この慰安婦像は、外交公館の相互の威厳を決めたウィーン条約の援用すれば、これに反したもので、国際常識ではない。

安倍総理は、今回の岸田外相の韓国派遣について自分が責任を取ると言明、岸田外相は”非常に難しい問題だが、汗をかいて問題解決に当たる”と語っている。会談前から成果を云々するのはどうかだが、事前に漏れてくる情報が事実なら、ムダ汗でよい。安易に妥協すべきではない。過去に何回、この国に騙されたのか。

暖冬異変 季節はずれのタンポポの花

2015-12-26 16:30:07 | 2012・1・1


歳末だというのに、家の近くの道路わきの陽だまりにタンポポの花が咲いていた。鉄道線路わきの土手には暖冬異変なのだろう。名も知らない花がまっ咲かり。家の庭でも普段の年では、もうとっくに散ったはづのセージや南方系のアロエの花もまだ花を咲かせている。裏なりのへちままでが季節外れの実をつけている。

はめられたのはボケの証拠 森喜朗五輪組織委会長の発言

2015-12-17 07:30:34 | 2012・1・1
2020年の東京五輪のメーン会場となる新国立競技場の建設計画が発表になったが、大会組織委の森喜朗会長(78)が、どちらかに決定前なのに連日、おかしな発言をしている。一昨日は”外観からみればB案だ”と会長としては不用意な発言をし、馳浩分科相から”(会長が)そんなことを言っていいのだろうか”と批判されたが、昨日は、さらに”A案はモロッコかアセアンの国のどこかの墓場みたいだ”と記者会見で言ったという。

森会長は一昨日の記者会見で”オレはハメられた”と元総理らしからぬ言葉を使って、文科省の先の新国立競技場を巡る一連の不祥事についての検証委員会の報告を批判し“オレを犯罪人にしている”と怒りをぶちあけた。森会長は、総理時代からよい言葉で言えば”歯に衣をきせぬ”人物だったが、相変わらず、フライイング気味の発言で、僕には加齢による多少のボケも加わってきたようにみえた。はめられたのは、ボケの証拠である。

森氏はすでに政治家を卒業しており、五輪組織委会長に会場建設決定権はないが、やはり会長としての発言ではない。それでなくとも開催前から色々と不祥事続きである。A案、B案は、それぞれ大手ゼネコンが背後にある。ありえないことと信じるが、森氏の発言が会議場決定への牽制球でなければ、よいのだが。どうみても森氏の発言は不用意であり、適切ではない。

2020年の五輪に果たして、この世にいるかどうか判らない老人の目から見ると、前回1969年五輪開催前の空気と今回とは違う。前回は国全体が五輪に向かって盛り上がっており、今回のような雑音は聞こえてこなかった。

外国人観光客用に日本人向け「民宿」を利用しては

2015-12-16 05:34:23 | 2012・1・1
政府観光局の発表では今年10月までにわが国を訪れた外国人観光客は累計1631万人に達し、過去最高だという。これに伴って東京などではホテル不足から無届の民宿が現れ、これが結構人気で、都会の空家現象とあいまって、これをビジネスとする業者も出てきた。羽田空港に近い大田区では区条例を制定して区内での民宿を認可することになった。旅好きの僕には歓迎である。

古い話で恐縮だが、昭和37年11月、初めての外国旅行でロンドンに泊まった先が、いわゆるB&B(Bed and Breakfast)形式の民宿であった。ロンドンの中心街ケンジントン地区のヴィカレージ.ゲートにあったマンションであった。当時の為替レートはⅠ英国ポンド1000円ちょっとであったが、確か、この民宿料金は浴室は共同だったが2ポンドに満たなかった。それより、民宿のホステスの家庭的な応対が、半世紀すぎた今でも想い出される。

この30年ほどインドネシアへ出かける機会が多かったが、僕はいつも民宿にちかいロスメン(losmen)という安宿に泊まることにしている。wikipediaのインドネシア語版によると、losmenはフランス語のlogemen(宿舎)がオランダ語を経てなまったもので、インドネシアではオランダ植民地時代からあった。ホテルよりずっと格安で、何より家庭的な雰囲気がよい。初めてジャワの田舎町で泊ったロスメンは、冷房の代わりに天井に大きな扇風機が回っており、大きな蚊帳の中で寝た。ベッドの枕は、いわゆる”ダッチワイフ”という長い枕であった。

都会での民宿は、空きマンションなどが利用されているようだが、地方での日本人観光客用の「民宿」も宣伝によっては歓迎されるのでは。「民宿」には日本独特の”もてなし”の心がある。畳の上に布団を敷いての生活や日本的なお風呂も立派な観光資源である。民宿関係の方々、考えてみてはどうですか。

医学の進歩に期待 10回目の入院

2015-12-15 06:59:55 | 2012・1・1
来年1月の大腸ガン再手術を前に連日検査である。昨日は上部内視鏡(胃カメラ)検査、明日は大腸透視造影(注腸)検査。今月に入ってこれで4回目である。今日は明日の検査のため、朝昼夕三食、病院指定のお粥以外は食べてはいけない。今日は一日、家でじっとしていなければならない。新年を迎えるというのに憂鬱である。

手術を前に禁酒し、眠れないままに数えてみたら、今度の入院は10回目である。最初は41歳、後厄の時、単身赴任の暴飲暴食がたたって急性肺炎で入院、47歳時には、大雪山で取材中、気管支拡張症で出血、病院に運び込まれた。後の8回は70歳すぎからで、膀胱ガンで4回、白内障1回、膝の人工関節置換1回、それに昨年の大腸ガンにつぐ今回の再発手術である。

今朝一番でメールを開いたら、数年前インドネシア旅行でお世話になった方から”医学は素晴らしい進歩です”と、僕と同じように2回大腸ガン手術した友人が元気な例をあげて激励を頂いた。たしかに医学は日進月歩の進歩である。昨年入院した際読んだ夏目漱石の「道草」には、百年まえの漱石の体験を語ったのであろう。医者が”胃潰瘍”で寝ている漱石を訪問治療する場面が書いてある。漱石は”胃潰瘍”で49歳で早逝されているが、今の医学技術があったらもっと長生きされたと思う。

漱石は晩年「即天去私」の境地になられたそうだが、漱石より40歳も馬齢を重ねながら僕はまだその境地にはなれない。天才と凡人との違いである。