「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      小沢一郎は一兵卒ではなかったのか?

2010-08-31 05:34:32 | Weblog
この夏は民主党の代表選をめぐるゴタゴタ、イライラのためいっそう暑苦しい。一政党
の代表を選ぶ選挙なのだが、まかり間違えれば”諸悪の元凶”(渡部恒三氏の言葉)
の小沢一郎氏が代表に選ばれ総理にもなりかねない。民主党のサポーターでない僕
には代表選びの投票権はないし、ただ手をこまねいているだけだ。

小沢一郎氏は今年の6月、幹事長交代のさい、枝野新幹事長に対して”一兵卒になり
当面、参院選の勝利に向かって微力を尽す”と言っていた。そして、菅総理の”暫く静
かにしていてくれ”という言葉にも、その言葉通り”山奥やひなびた海岸、都会の裏町
まわりをする”と約束していた。

それが今回の代表選への立候補である。一兵卒なら参院選敗北に責任はないというこ
となのか。それとも菅総理に敗北した責任をとれという一兵卒の叛乱なのだろうか。

しかし、小沢氏は”政治とカネ”の問題について、本人はすべて釈明したつもりだが、一般
の国民はそうとは思っていない。一説には小沢氏は総理になることによって、この問題を
未来永劫ウヤムヤにしてしまうつもりなのだという。だからマスコミの世論調査も小沢氏
に代表になって貰いたくない声が多いのだ。

昭和17年生まれの小沢氏は戦前の日本の軍隊を知らないが、日本の軍隊では一兵卒が
一気に司令官になった例はない。お国のため”軍神”に祀られた方でも二階級特進にすぎ
なかった。



          敗戦の年を偲んで献杯

2010-08-30 05:15:13 | Weblog
昨日、母方の本家の当主に請われ従兄の嫁の一周忌の精進落としの場で献杯の音頭を
とらされた。都会では年々、親類関係のつきあいが稀薄になってきており、周忌の法要に
遠い親戚を招くことは少なくなってきた。でも、江戸時代まで遡れる旧家である母方の本家
では、これをきちんと守っている。

わが家は戦争中、強制疎開で家を壊されるまで、母親の実家の敷地内に住んでいた。東京
23区でも戦前は、旧家は敷地が広く、その敷地内に一族親類が住んでいるケースは珍しく
なかった。わが家も本家から100平方㍍ほど土地を借り、亡父が二階建ての家をここに建てて
いた。

庭の中に池があり、鬱蒼と木が茂っていた本家の家も昭和20年3月10日の東京大空襲のあと
近くに軍需工場があったため、1週間以内に立ち退き命令がでた。本家には元治元年生まれ
の僕の祖母もまだ健在だったが、一家をあげて栃木に疎開した。従兄夫妻は仕事の関係で世
田谷の郊外へ引っ越したが、その直後に明治生まれの従兄にまで再度の応召令状がきた。

見知らぬ土地での疎開生活が影響したのか祖母は敗戦直後の9月1日なくなった。伯父も身体
を壊し12月初め東京へ搬送されてきて翌21年1月死亡した。この激動の1年、従兄の嫁は5人の
子供をかかえ、従兄の出征中の留守を守りながら、疎開先で大変苦労された。あの当時は日本
人だれもがが、苦労した時代だったが、僕は故人への献杯に当り、改めて敗戦の年の一家の苦
労話に触れた。(写真は法要のあった古刹に残る江戸初期の石仏)

       ”アラエイティ”のフラダンス

2010-08-29 05:31:15 | Weblog
東京は昨日もうだるような暑さだった。その中、僕は老骨にムチ打ってバスと地下
鉄を乗り継ぎ、老妻のフラダンス発表会を見に行った。町の老人会有志が月に1回
先生を招き、1年間レッスンしてきた成果の発表の場である。フラにはまったく興味
のない僕でも礼儀として行かざるをえない。

老妻のグループは平均年齢”アラエイティ”に近い超おばあちゃんたち。ほとんどが
ご亭主の最後のお世話を終えた”シングル”である。会場の牛込箪笥町のホールで
は都内で先生のフラ教室に通う若い人たちが溌剌と踊っていたが、老妻たちのグル
ープも遠くから見る限り、まったく遜色がなかった。写真)

フラダンスの愛好者は全国で10万人もいるという。わが町の老人会でも健康志向もあ
ってフラはヨガとならんで人気の教室ですぐに一杯になるという。そこで老妻たちは区の
公式教室とは別に週に1回自主的に集まり、月に1回先生のレッスンを受けている。レッ
スン料は一人1000円。今回の発表会の参加料も一人1500円。これならリーゾナブルだ。

おばあちゃんは元気だが、おじいちゃんは、からっきし元気がない。竹馬の友と月1回会
い食事を一緒にすることにしているのだが、このところ病院通いの日がお互いにぶつかり
それにこの猛暑続きである なかなか会えない。男女の平均寿命が違うのがよく解る気
がする。

         竜馬と同時代人だった祖父

2010-08-28 05:31:10 | Weblog
東京足立の111歳男性の白骨遺体事件発覚をきっかけに全国各地で戸籍上は”生存”
している超高齢者が続々と見つかっている。山口県防府市では、なんと186歳の男性
が戸籍上、生存扱いされていた。文政7年(1824年)生まれで、坂本竜馬よりも12歳も
年上だというから驚きだ。

今年は僕の祖父の生誕180年である。とくに有名人でもなく歴史上の人物ではないが、
幕末の文久2年(1862年)横浜の写真館で撮った写真が残っている(小ブログ2009年6
月5日所載)が、持っている扇子に当年32歳と書いてある。これから逆算して祖父は文
政13年(1830年)生まれで吉田松陰と同じ年、竜馬より6歳年上の同時代人であった。

昭和生まれの僕らの世代で、祖父が江戸時代を生きた”さむらい”だったケースは稀だ。
普通は明治初年の生まれなのだが、僕の場合、父の48歳の時の子供、またその父も祖
父の44歳の子供だったため、普通は4世代なのが3世代だからなのだ。

最近の竜馬ブームで、幕末の歴史がクローズアップされているが、自分の祖父(徳川幕
府の幕臣)が竜馬と同時代人であったことを知り、幕末史に興味が湧いてきた。しかし、
わが家には、写真以外には、祖父がこの時代に何をし、何を考えていたかを知る文書は
何も残っていない。祖父は明治32年に亡くなっているし、父も昭和43年にこの世を去って
おり、調べようがない。しかし、竜馬の時代に横浜で写真を撮っているところからみて攘夷
の士ではなかったようだ。

        信州の”おやき”と”おせんべい”

2010-08-27 04:59:33 | Weblog
先日の信州への旅で”おやき”を堪能してきた。”おやき”は、最近は東京でも時々
売られているが、信州生まれの素朴な食べ物だ。小麦粉を練って皮を作り、その
中に野沢菜、ナス、大根、カボチャなどをくるみ,蒸したり、焼いたりしただけのもの
だが、やはり不思議と現地でたべるのが、一番おいしく感じる。

老妻の実家は善光寺さんのお膝元の長野市の在だが、このあたりでは蒸して食べ
る”おやき”が主流だ。彼女の話では、昔はお盆とか彼岸など仏事のさい、家庭で
作って食べたそうだ。これが一般化したのは何時ごろからであろうか。半世紀前僕
が長野で勤務していた時にはなかった。

”おやき”ほど知られていないが、この地方で”おせんべい”と呼んでいる郷土食が
ある。一般の”おせんべい”とは違う。小麦粉を練って、これに”おやき”と同じような
野菜の具を混ぜ、フライパンで焼き、これにお好みのソースやマヨネーズをつけて食べ
るだけのシンプルなものだ。北海道の会社で同僚だった長野市出身の親友が、この
”おせんべい”が大好きで、よく一緒にこれをオカズに酒を飲んだものだった。

東京生まれの僕には、こういった郷土食がないのが寂しい。しいてあげれば”くず餅”
ぐらいであろうか。半世紀前、長野からわが家に嫁いだ老妻は、東京にくる前までは食
べたことはなかったといっている。亀戸の天神や川崎大師の名物で、一般の家庭では
作ることはない。その意味では”おやき”や”おせんべい”とは違うがー。

    ”諸悪の元凶”小沢一郎の代表選への立候補

2010-08-26 08:55:19 | Weblog
”朝夕吹く風に秋を感ずるころになりました。お元気でお過ごしのことと存じます。”
ーいう書き出しで目区長から「敬老のつどい」の案内が届いた。例年なら、その
通りの季節かもしれないが、今年はまだ連日この猛暑続きである。なんとも、そら
ぞらしい感じである。

”そらぞらしい”というより”そら恐ろしい”のは民主党小沢一郎・前幹事長の党代表
選への立候補表明である。小沢氏は今朝(26日)鳩山由起夫・前総理に会い立候
補する旨伝え、鳩山氏もこれを受入れて全面的支持を約束、これは自分の大義だと
答えたという。一体全体、民主党内部はどうなっているのであろうか。”小鳩体制”が
”政治とカネ””普天間問題”で迷走の挙句崩壊したのは、つい数か月前である。

菅内閣はたしかに国民の目からみてもおぼつかない。しかし、菅直人氏は、一応民
主党の両院議員の正式な選挙で多数決を得て選ばれた総理ではなかったのでは
ないか。国民の目からみれば、総理に就任してまだ3か月、しかも本人が代表続投
を希望しているのならば、国の政治の安定という観点からも党を挙げて菅氏を支持す
るのが当然だと思うのだがー。

マスコミの世論調査によれば、小沢氏の代表選への出馬については、70%から80%
が反対である。しかも党内からも”小沢は諸悪の元凶”(渡部恒三氏の発言=週刊誌
見出)という意見もある。小沢氏を推している山岡副代表は”国民のために小沢氏はベ
ストだ”といっているが、かりに小沢氏が代表に当選することにでもなれば日本丸の沈
没は必至である。菅氏を支持するわけではないが、小沢氏よりましである。

              酷暑の善光寺

2010-08-25 22:18:34 | Weblog
信州といえば、普通8月末のこの季節には涼風が立つのだが、今年は違う。早朝8時前、
老妻と善光寺に参ったが、じりじり朝から陽が照りつける。参道にも参詣の人影は少な
い。二人は、”おびんずる様”にお線香をあげて、痛いところ、弱いところに煙を送ったが、
身体中、満身創痍だ。一本のお線香では足りない。いやになってしまう。
(暑さで参詣客もまばらの善光寺) 

       57年前のかけ出し記者の想い出

2010-08-24 05:16:31 | Weblog
老妻が小学校の同期会に出席するというので、57年前、初めて二人が知り合った
想い出の地、長野へ1泊2日の旅行へ出かける。今は東京から新幹線で1時間半で
行けるが、昔は大変だった。僕が昭和28年4月、学校を出て長野に赴任した時は確
か上野から夜行で6時間もかかった気がする。

僕はかけ出し記者として約1年間長野に滞在した。当時の長野は町村合併前で、善
光寺の門前町の色彩が強く、人口も10万人ぐらいではなかったか。僕の担当は、い
わゆる”サツまわり”司法担当だったが、当時長野の地検、地裁は善光寺よりも高台
にあり、一日一回、自転車のペダルをこいで登るのは一苦労であった。

新聞社の支局は県庁近くの木造二階建ての古い鉄道の寮を改造したアパートの二階
の一室であった。僕は10畳ぐらいの事務所に宿直をかねて寝泊りした。朝夜二食の食
事代は月3000円だった。確か初任給は1万円ぐらいだったから、まあまあの生活だった。
当時は当然IT器機などなく、その日の原稿は夕方電話で東京へ送り”閑ダネ”原稿は
駅から鉄道便で送った。

1年間の勤務中、これといった大きな事件はなかったが、僕の唯一の特種は刑務所の受
刑者が集団で工業用メチルアルコールを飲み中毒死した事件であった。僕は偶然の機会
でこの特種をものにしたが、偶然とは重なるもので、この原稿を送稿した直後、市内にサイ
レンが鳴り響いた。受刑者の一人が刑務所を脱走したのだ。ニュース価値から言えば、脱
走の方が大きく、せっかくの僕の特種も扱いが小さくなってしまった。半世紀以上前の想い
出である。

     民の竈(かまど)は賑わっているか?

2010-08-23 05:24:04 | Weblog
磨の上では今日から処暑である。処暑とは暑さがとどまる、つまり暑さが峠を越した
という意味だそうだが、今年は異常である。まだまだ、この暑さは続きそうだ。幸い、
わが家はエアコンがあり、臨機応変これを使っているから熱中症でダウンすることは
ないが、とても軽井沢の別荘へ避暑へ出かけるほどのカネはない。

テレビの”政治シヨー”番組は、相変わらず小沢(民主党前幹事長)が来月の民主党
代表選に出るかどうか、くだらない?予測をしていたが、長老の渡部恒三氏が軽井沢
の鳩山由起夫・前総理別荘で先日催された”研修会”を批判していた。友愛政治を唱
えながらあまりにも、その理念からかけ離れたパーテイの馬鹿騒ぎぶり。、自民党時
代にもなかったという。

僕ら夫婦は二つ違いだから、ほぼ同時代の人間、戦前修身教育を受けた組だが、軽井
沢の鳩山パーテイをテレビでみて話は昔修身の教科書に載っていた”民の竈”になった。
”民の竈”というのは、仁徳天皇が高楼から難波の町を眺めたら、民の竈の煙が少ない。
そこで3年間租税を軽減したら回復したという話である。

今のこの世の中、民の竈は賑つているだろうか。昨日、新聞の折込広告につられて近く
のスーパーの”朝市”へ出かけたら超満員である。99円均一の野菜を求めてレジは長蛇
の列である。このところの円高で、日本の経済はどうなるのだろうか。国民はそちらの方を
心配している。一度ケチがついた”小鳩体制”の復活など望んではいない。

   どこへ行った日本人の道徳 高齢者の末路

2010-08-22 05:40:28 | Weblog
東京足立区の111歳のミイラ老人遺棄事件に端を発した高齢者所在不明問題は、全国
に波及し、その数は国でもはっきりと把握できていないようだ。いったい、どうなっているの
だろうか。嘆かわしき限りだ。やっぱり、この国はいつからか、先祖が営々として築いてき
たタガどこかで緩んでしまったとしか思えない。

足立区の事件のあと、現場を視察した民主党の女性議員は”これは特異の事件だ”と言っ
たが、同じような事件が東京大田区でも発覚した。今度は64歳の男が死んだ母親の遺体
の骨を砕きリュックにつめていた。二つの事件とも遺族は親の死んだあとその年金を騙しと
っていたようである。特異の事件ではなく、もしかすると他にもあるかもしれない。

戦前、僕らは教育勅語で”父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じ恭倹己を持し”と
教えられてきた。この世代にとっては、とても考えられない事件である。

まさに高齢者受難の時代である。埼玉県では74歳の老人が生活保護が受けられず電気代
が払われずに熱中症で死亡した。一方、神戸では80歳代の夫婦がこれまた、誰にも介護され
ずに熱中症で死亡していた。夫人は認知症だったという。

民主党政府は後期高齢者医療制度をあたかも公約どおり廃止したようにいっているが、内容
はまだ不明で後期高齢者に必ずしも有利ではないみたいだ。しかし、マスコミはこれで後期
高齢者医療が解決したかのように報道している。一体、日本人の倫理感はどこへ行ってしまっ
たのであろうかー。