「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        帰りたい帰れない外国人労働者

2009-01-31 06:46:20 | Weblog
昨日、一昨日と僕の外出中、続けてインドネシア人のY君から電話があった。昨夕、
やっと連絡がつき聞いてみると、就職していた日本の企業から突然、解雇されたが、
新しい職もなく帰国するカネもないという相談だった。個人的には同情するが、後期
高齢者の僕には支援する財力もないしエネルギーもない。

代々木公園に不法入国のイラン人がたむろし問題になった1990年代の初め、長野県
上田市を中心に日系二世,三世とのインドネシア人が大挙して就労しにやってきた。彼
らは敗戦後も帰国せず、インドネシアに在留した元日本軍の軍人、軍属の子弟で、19
90年の入国法改正で親族訪問が目的なら長期ビザが交付されるようになった。これに
目をつけたブローカーが現地から集めて連れてきた。が、日系といっても彼らはほとん
ど日本語も出来ないし、習慣も違い雇用主と間にトラブルが続出した。

当時、僕は在ジャカルタの残留者の会と関係があったので、連絡を取り、支援に乗り出
したが、周囲の誤解から理解がえられず、結果的には失敗した。電話をかけてきたY君
もその一人のようだ。名前は覚えているが、10数年間連絡がないのだから、顔も忘れて
しまっている。

日本人の非正規就労者でさえ12万人を越える時代である。外国人労働者の解雇者も、
多いに違いない。Y君みたいに帰国するカネもない者はどうするのか。15年前も失職し
て野倒れ寸前の男を知っている。あの当時より在日外国人就労者の数は、研修制度の
導入以降さらに多くなっている。切羽詰って犯罪に走らなければよいがー。


         ロシアの狸外交にだまされるな!

2009-01-30 07:39:37 | Weblog
東京のど真ん中に麻布狸穴(あざぶ・まみあな)という地名がある。町名の由来は
江戸時代の中ごろまで、このあたりは狸が住んでいた寂しい場所だったからという
のが定説だ。冷戦時代の昭和47年まで、ここにソ連(当時)の大使館があった。今で
は住所変更で麻布台と名前がかわり、国名もロシアになったが、依然同じ場所に大
使館の建物はある。

北方四島のロシア住民に”ビザなし交流”の一環として、外務省職員など5人が医療
器具など(1280万円相当)を届けに行ったところ、出入国カードの提出を求められこれを
拒否したところ、上陸が許されなかった。

1991年の日露両国の合意により、支援物資を運んだり、元島民の墓参はビサなしで
自由に渡航できることになり、今回のように出入国カードの提出が求められたことはな
かった。同じ頃、境港のカニかご漁船が自由に航行できる水域で操業中、ロシア側に
拿捕され、乗組員10名が貝殻島に連行されて抑留されている。

昭和20年8月6日、ソ連は米国の原爆投下のドサクサにまぎれて、わが国との中立条
約を一方的に破棄して宣戦を布告してきた。そして、戦後国際条約に反して、日本の
軍人軍属65万人がシベリアに連行されて強制労働に従事され、うち少なくとも6万人が
死亡している。今に至るまでこれに対する補償はない。

北方四島も不法に占拠して返そうとしない。麻生総理は2月中旬、メドベージェフ大統領
の招きで、サハリンの日露共同事業である液化施設稼動を祝う式典に列席する予定だ
という。相手は狸のようにしたたかな外交の持ち主である。眉に唾をつけ、くれぐれもだま
されないようにご用心を!

        定額給与金支給のタイミング

2009-01-29 07:41:10 | Weblog
10年前の1999年の1月29日は小渕内閣が地域振興券の支給を始めた日だ。
15歳以下の子供がいる家庭とお年寄りに支給されたが、当時僕は”お年より”
ではなかったので貰えなかったが、娘夫婦は、支給金で一泊のスキー旅行へ
いそいそと出かけた、のを覚えている。

総額2兆円の定額給与金の方は、やっと陽の目をみたが、3月の年度内支給
は無理のようだ。僕は1月5日のブログで、国会での審議で与野党の論争が
手こずれば、給与金などいらない、と強がりをいったが、やはり頂けるものなら
欲しいのが本音だ。

景気の悪さをひしひしと感ずるようになった。配達される新聞の折込広告の枚数
はめっきり減ってきた。一昨日、夜の渋谷へ出かけたが、若者の数が減る一方
で、逆に若者を飲食店に誘う”呼び込み”が多い事。それも風俗店ではなく一般
の店だ。テレビでお馴染のあの大信号を通るタクシーは空車ばかりだ。

民主党によれば、国民の7割が給付金に反対だそうだが、本音と建前ではないの
だろうかー。年度末は子供がいる家庭では、なにかと物入りである。僕ら老夫婦も
支給されたら温泉旅行にでもと思っていた。何事もタイミングということがある。
国会審議で、くだらない麻生総理への”漢字テスト”までして審議を延ばした民主党
の責任は大きい。小沢代表は、まさか給与金を受けとらないと思うが。タイミングに
よって国民の受け取り方も違う。


     後期高齢者はジュネリックス薬でよい!

2009-01-28 07:26:21 | Weblog
NHkの朝の番組で「ジュネリックス」という薬のあることを初めて知った。日本人
の78・2%が、この名前を知っているとのネット情報があったが、本当だろうか。
知っている人の大方は、テレビのCMから、その知識を得ているそうだ。僕ら夫
婦はあまり民放をみないから,そうかもしれない。でも後期高齢者にとって、この
舌をかみそうな名前は覚えにくい。

旧友の薬剤師によると、ジュネリックス(後発医療品)は、普通(先発医療品)と効
き目は同じだが、安価なのだという。先発医療品は20年ー25年の特許期限があ
り高いが、期限が切れたジュネリックスは、薬によっては30%ぐらい安いという。

わが家の場合、収入が”現役なみ”と認定され、3割の医療費自己負担のため
薬代の支払いも馬鹿にならない。毎月、降圧剤と糖尿病の薬の支払いが3000円
近くになる。”現役並み”といっても年金生活者である。

昨夜、別の用件で開業医の知人に、この話をしたら患者から”ジュネリックスにして
欲しい”と申し出があれば簡単に変えてくれる、とのことだ。しかし、実際問題、患者
側からは言いにくい。

後期高齢者医療費が多すぎるというなら、お年寄りには安いジュネリックスを投与する
制度に変えたらどうだろうか。効き目が同じなら問題はない。”お国のため”だ。ジュネ
リックスでいっこうに構わない。僕も”恥ずかしい”が、次回通院のさい、申し出てみる
ことにする。年寄りの医療費支出に多少歯止めがかかればよい。



           75年前の"雌蝶 雄蝶”

2009-01-27 09:17:23 | Weblog
母方の本家の当主のまた従姉という遠い親戚の夫人が亡くなった、との連絡を受けた。
96歳の高齢である。都会では最近、親戚といっても疎遠になり”いとこ”同士でさえ日常
交流がない場合がある。

僕の戸籍謄本には出生地は東京府荏原郡大崎町とある。母方の実家は江戸時代からの
住人で、僕が生まれた昭和の初期でも付近にはわら葺屋根の家が散在していた。75年前
の昭和9年、僕の本家の従兄が結婚した時、僕は亡くなった老婦人の長女と一緒に披露宴で"雌蝶雄蝶"役をつとめている(写真)。"雌蝶雄蝶”の本来の意味は"結婚式の時のお銚子の飾りの折り紙"(広辞苑)だそうだが、東京では花嫁花婿に介添えしてお酌する幼児のことをいっていた。

昭和12年,日支事変が始まって”産めよ増やせよ”の時代になると、従兄の家も亡くなった
老婦人の家も、庭の物干しにはいつもオシメが満艦飾であった。これが僕の子供時代の
原風景の一つだが、すでに70余年の歳月が流れた。オシメの世話になった連中も白髪の
老人となった。

昭和20年3月10日の東京大空襲のあと、強制疎開で僕は故郷を去った。昨日、法事で故
郷を久しぶりに訪れたが、わら葺の家などない。高層のビル街に変わっていた。多分老
婦人のこの法要が親類同士が集まる最後の機会になるのかもしれない。こういった家族
同士の温かみは次世代にも残したいものだが、残念ながら無理のようだ。

          ヒール横綱と相撲人気

2009-01-26 07:09:38 | Weblog
大相撲初場所は、横綱朝青竜が横綱白鵬を優勝決定戦で破り賜杯を手にした。場所
前、調整遅れから進退をかけての土俵などとマスコミに騒がれたが、始まってみれば
なんのその、その重圧をはねのけての見事な優勝だ。優勝後のインタービューで"私
は帰ってきました”と満面笑みでファンに語っていたが、たいしたものだ。

初場所は百年に一回という不景気なのに初日から大入りの日が続き、千秋楽の当日
売りの切符は朝8時に整理券を出すほどの盛況、行列の一番乗りは前夜10時に来て
並んだのだという。若貴時代が去って不人気な時代が続いていただけに相撲協会にと
っては、この人気はほくほくだろう。

戦前双葉山時代の旧国技館の鉄傘は連日大入り満員、札止めだったと相撲記者をし
ていた亡父の日記には書いてある。例の双葉山の連勝が69でスットプした昭和14年
初場所の時代である。当時小学生だった僕も、国をあげての相撲人気を覚えている。
ラジオの相撲中継の頃になると急いで家に帰ったものだ。

初場所もテレビの視聴率は久しぶりに高かったようだ。しかし、その人気は双葉山の連
勝が幾つまで延ばせるかーといったものではないようだ。若い人の興味は朝青竜のヒー
ル(悪役)と彼の持つオーラ(霊気)にあるのだとう。僕は格闘技といえば、プロレスの力道
山しか知らないし、オーラなど信じない。

大相撲も変わったものだ。幕の内も十両もモンゴル力士が優勝している。国技である日本
の力士はどこへ行ってしまったのか。大相撲の人気がオーラとヒールで支えられていると
すれば情けない。大草原で本場所でもやったらよい。

         邯鄲(かんたん) 中国製ギョーザ

2009-01-25 07:06:25 | Weblog
昨年の冷凍ギョーザ中毒事件はやはり中国で殺虫剤が入れられていた。事件後も国
内混入を否定していた中国政府の説を信じ、地元政府が売れ残ったギョーザを企業に
斡旋、これを食べた人が中毒を起こしていた。日本での事件が発生して1年も経つとい
うのに、なぜ今ごろ公表するのかー。忘れっぽい日本人の性格を知ってのことか。ある
いは日中間で"北京五輪までは穏便に”という密約でもあったのだろうかー。

あの当時、この事件について他人事のように言った日本の指導者の顔が思い出せるが
一方で、戦前漢文教育を受けた世代には、横流しされた工場の中に「邯鄲」という名前
があったのは懐かしかった。戦前戦中派は学校で「邯鄲の歩み」(宗子・秋水)「邯鄲の
夢」(枕中記)の諺を習った。「邯鄲の歩み」は自分の本来のことを忘れ、他人を真似ると
両方とも身につかない、という意。「邯鄲の夢」は人の世の盛衰の儚さのたとえ。盧生と
いう若者が邯鄲の宿で枕を借りて寝たところ長生きの夢をみたが、目覚めたらはかない
夢だった。

国会の質疑に"漢字テスト”が出る時代だが、多分、出題者の議員もこのたとえも知らな
いし、邯鄲がどこにあるのかも知らないかもしれない。僕も今、邯鄲が石炭都市で栄える
一方で、公害に悩んでいるのをネットで知った。今回のギョーザ事件で中国はいぜん近そう
にみえて遠い国である、ことを僕は学んだ。




             軍隊は"運隊”

2009-01-24 07:18:05 | Weblog
観光のメッカバリ島から東へロンボク、スンバワ、コモドー、スンバ、フローレス、
チモールと島が鎖状に連なっている。小スンダ列島と一般にはいっているが、昨
日、僕は戦争中、ここに駐屯したことがある米寿をこえた"老兵"二人と食事を
共にした。戦時期、小スンダ列島では地上戦はなかったが、敗戦の年の昭和20
年、大本営の戦術転換で豪北(オーストラリア北部地域)にいた日本軍の西への
大移動が行われた。

"老兵"二人のうちUさんは、スンバワ島から小舟に乗ってロンボク、バリ、ジャワ
経由、終戦時にはマレー半島のクルワンの警備についていた。一方、Yさんはチ
モールから偽装病院船に乗せられ、ジャワ島のプロボリンゴ港へ移動した。

従軍世代の間には"軍隊は運隊だ”という自嘲的な言葉があった。運がよければ助
かるし、悪ければ、それまでだ”という意味だ。Uさんが属していた第46師団のうち
二歩兵連隊は無事スンバワへ向け出発できたが、残りの一連隊は乗船する船がな
く硫黄島へ行き全滅している。一方、Yさんの乗った偽装病院船の橘丸は、次の航海
で連合軍に見破られて拿捕され、全員捕虜となっている。

二人の"老兵”とも米寿をすぎてもかくしゃくとして元気である。とくにUさんはまだ月一
ゴルファーで、スコアも時には100をきる腕前だそうだ。Yさんも母校の図書館通いしな
がら新しい外国語に挑戦している。"運隊”の悪戯で早逝された方々は本当にお気の
毒であった。



             主婦に休日を!

2009-01-23 07:19:37 | Weblog
老妻が腰痛でダウンしてしまった。歩くのには支障がないのだが、起居のさい激痛
が走るのだそうだ。一昨日、娘の車で整形クリニックへ行き診断の結果、骨には異
常がないことは判った。老人性の腰椎症の一種らしい。コルセットと「けい皮吸収型
鎮痛消炎剤」と内服薬を貰って帰宅した。〆て4500円の出費である。

老妻のダウンで、僕の生活のリズムが狂ってきた。童謡「茶目子の一日」風にいうと、
”夜が明けて夜床に就くまで”、今まで老妻にオンブしていた仕事が、すべて僕にの
しかかってきた。なれない仕事の連続。朝、ゴミ出しをしたまではよかったが、ネットを
かけなかったため、烏の襲撃を受け、道路上はゴミで散乱。風呂はボタンの押し間違
いで危うくからタキ。

生活情報誌「東京リビング」が"主婦休みをつくろう”という特集をしていた。同誌のアン
ケート調査によると、91・5%の主婦が、誰にも気兼ねなく休みが欲しいという回答があ
ったそうだ。

この数日の主婦代行で、僕はあごを出してしまった。大変な仕事だ。改めて老妻に感謝
した。そして遠い話と思っていた「介護」がそんなに遠くないの実感した。人間、やはり老
いには勝てない。元気だといって過信は禁物だ。老老介護にならないよう、お互いにいた
わりが必要だ。

           アメリカン・チエーンジ

2009-01-22 07:31:22 | Weblog
米国の第44代大統領バラク・オバマ(47歳)の就任式の模様をテレビでみた。中継
したNHKの視聴率は、深夜にもかかわらずビデオ・リサーチ(関西地区)によると6・7
%もあったという。通常、この時間帯の視聴率は1%台だそうだから異常の高さだ。そ
れだけ日本人の関心の深さがうかがえる。

まだ"駆け出し”の頃,第35代大統領、ジョン・F・ケネディの就任式の時,夜勤だっのを
想い起こした。47年前、オバマ大統領が生まれた年だ。当時ケネディも43歳の若さの
大統領として世界の注目を浴びていた。しかし、テレビ中継などない時代、世界的な
人気の広がりは今のようではなかった。

オバマ大統領の人気の秘密は、その若さとともに史上初の黒人大統領という事だが、
ケネディは初の非WASPという点で話題になった。その頃米国ではWASP(White,Anglo-
saxon,Protestant)ではないと大統領にはなれないわれていた。ケネディはアイルランド
系でカトリック教徒であった。

ケネディ大統領の1960年代は、キング牧師の指導する黒人公民権運動の時代でもあっ
た。それ以前の黒人への差別は今では想像もつかない。悲運にもケネディ大統領もキ
ング牧師も凶弾に倒れた。

オバマ大統領就任式の連邦議会議事堂前の会場内外には厳寒下、200万人の群集が
集まったという。1960年代の米国では考えも及ばなかった。確実にアメリカン・チエ-ン
ジは起きている。