昨日も東京都心は季節はずれの”小春日和”で老人には大助かりだ。日頃のおこないがよい?!せいなのだろうか、この暖かさの中で地域の老人クラブの新年会が地域センターで催され老妻が参加した。残念ながら僕は膝が悪く参加しなかったが、帰宅した老妻の話では50人近く参加があり、最高齢は百歳近くの男性で大正生まれが5人もいたという。
老妻は日頃老人クラブでお仲間とフラダンスのお稽古に励んでいるが新年会でこれを披露した。昨年までは会場は畳の大広間であったが、今年は畳の間は狭くなり、大半はフロアリングされた。そこにテーブルとイスを運び座ってお祝いのちらし寿司を一緒にたべ形だけの祝杯を挙げたという。
田中角栄首相が列島改造論を唱えたのは1972年、もう半世紀近く前のことだが、この間、日本人の日常生活も大きく変わってきた。都会では集合住宅が普及し、それに伴って畳の部屋がヘリ、昔からの床の間など姿を消した。築20年のわが家では4畳半の部屋はあるが、カーペットが敷かれベッドが置かれてある。
変化は老人会の組織そのもにも来ているようだ。65歳以上の高齢者の数は10年前に比べて急増しているが、全国の老人会の数は減ってきている。ゲートボールで象徴された老人会では団塊世代の若い”お年寄り”には魅力がないのである。これも時代の変化でる。