「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

畳の間ではなくなった老人クラブの新年会

2020-01-31 05:36:43 | 2012・1・1
昨日も東京都心は季節はずれの”小春日和”で老人には大助かりだ。日頃のおこないがよい?!せいなのだろうか、この暖かさの中で地域の老人クラブの新年会が地域センターで催され老妻が参加した。残念ながら僕は膝が悪く参加しなかったが、帰宅した老妻の話では50人近く参加があり、最高齢は百歳近くの男性で大正生まれが5人もいたという。

老妻は日頃老人クラブでお仲間とフラダンスのお稽古に励んでいるが新年会でこれを披露した。昨年までは会場は畳の大広間であったが、今年は畳の間は狭くなり、大半はフロアリングされた。そこにテーブルとイスを運び座ってお祝いのちらし寿司を一緒にたべ形だけの祝杯を挙げたという。

田中角栄首相が列島改造論を唱えたのは1972年、もう半世紀近く前のことだが、この間、日本人の日常生活も大きく変わってきた。都会では集合住宅が普及し、それに伴って畳の部屋がヘリ、昔からの床の間など姿を消した。築20年のわが家では4畳半の部屋はあるが、カーペットが敷かれベッドが置かれてある。

変化は老人会の組織そのもにも来ているようだ。65歳以上の高齢者の数は10年前に比べて急増しているが、全国の老人会の数は減ってきている。ゲートボールで象徴された老人会では団塊世代の若い”お年寄り”には魅力がないのである。これも時代の変化でる。

「朝三暮四」だった10年前の鳩山政権

2020-01-30 06:08:39 | 2012・1・1
暖冬の影響なのだろうか。昨日の東京の都心は最高気温が18.6℃まで上がった。週に1回の介護施設へリハビリ通院したら戸外は春四月を思わせる陽気であった。その影響なのかテレビで冬野菜が安いと報じていた。早速、家人がスーパーの”愛菜”安売り広告につられて大根1本100円、キャベツ150円で買ってきた。

調べ物があって、10年前、2010年1月の小ブログを読み直したら、”せこい大根1本50円”と書いていた。民主党の鳩山政権が沖縄の辺野古基地移転問題で”最低でも県外”と迷走している最中であった。経済も低迷していて”百貨店の売り上げが24年ぶりに7兆円、スーパーも21年ぶり13兆円を割り込んだ”と書いている。

同じように国会開会中で野党であった自民党の茂木敏充議員(現外相)が鳩山由紀夫総理に対して「朝三暮四」について質問していた。「朝三暮四」とは列子に由来し”人を口先だけでだますこと”(三省堂慣用句辞典)という意味である。鳩山総理はご存知なかったようだが、質問者の茂木議員は当然ご存知である。今日も国会で質疑が展開されているが政府の答弁が「朝三暮四」では困る。

前原誠司議員 ”あきらめの壁”

2020-01-29 05:38:00 | 2012・1・1
国民民主党の前原誠司議院が昨日の衆院予算委で、立憲、国民、社民、無所属フォーラムを代表して質問するというので、NHKのテレビ中継にチャネルを合わせた。前原議員といえば、かっての民主党、民進党の代表、民主党内閣では国土交通相、外相、国家戦略担当相を歴任した大御所である。いってみれば党首会談である。

連日の国会中継だが、質疑は中国の新型ウィルス、「桜を見る会」、カジノ汚職、、”政治とカネ”の追及に終始して不謹慎だが、あまり面白くない。その点前原氏の質問は、国家的見地から7年間の安倍政権の経済、財政政策を総括して見どころがあったが、批判だけで、提案がないのは残念であった。

多少耳が遠くなり、誤聴してはと思い、購読紙で前原議員の質問を活字で確認しようと思ったが、一行の報道もない。前原議員は安倍総理の施政演説で使用した”あきらめの壁"を引用していたが、どうにも僕には前原議員の現在の政治的立場の前には“あきらめの壁”が立ちふさがっているように見えてない。立憲民主と国民民主との”合流”の話はどうなったのか。民進党が分裂した一因は誰だったのか。前原議員の質問に空疎感を抱いたのは僕だけではないと思う。



要介護2の要介護3の夫婦老老介護

2020-01-28 07:03:02 | 2012・1・1
老妻(87)の介護保険証の認定調査のため、昨日、区(東京)から女性の調査員が来宅、現況について聴き取りしていった。老妻は要介護2の認定を受けているが、介護サービスは受けていない。僕も同じ要介護2だったが、先日の調査で1階級上の3に引き上げられた。介護の認定は調査員の報告や主治医の診断によって決定されるが、僕は令和5年、92歳まで期限の介護3の保険証が郵送されてきた。

同じ要介護の老夫婦だが、現状はというと,僕は膝の人工関節置換手術で身障者4級の手帳をもつが、老妻は比較的足腰は丈夫で杖は持たず、僕の通院の際は院内で車イスを押し、耳の多少遠くなった、僕に立ち会ってくれる。日常生活でも、トイレ、お風呂などは、まだ僕は自分でできるが、膝の悪い足の靴の履き替えなどは老妻の手助けが必要になってきた。まさに老老介護である。

その区の介護保険資格係から夫婦別々に昨年度の介護保険料収納状況確認書が届いた。僕が年額92256円(月平均7700円)、老妻が63642円(平均5300円)とあった。これは全国平均の月基準額5869円からみて平均額である。僕は昨年9月から月1回の膝の通院リハビリ、サービスを受けて、保険の恩恵に浴しているが老妻はない。

老人の多少近視眼敵観察だが、高齢者の医療介護福祉をめぐって大変な時代がすぐ先に来ている。政府は全世代型社会保障制度の確立を検討しているが、国会質疑では目先の中国の新型肺炎対策や「お花見の会」カジノの贈収賄、例によっての”政治とカネである。百年社会の到来と喜んでいてよいのか。

徳勝龍 土俵の上の男泣き

2020-01-27 05:29:40 | 2012・1・1
大相撲令和2年1月場所は千秋楽の最後の一番で優勝が決まるという波乱の場所で、よりによって幕尻り西17枚目の徳勝龍が14勝1敗で賜杯を手にした。平幕幕尻での幕内優勝は平成12年3月場所の貴闘力以来20年目だという。

徳勝龍は力士としては若くない33歳である。過去の幕内成績(24場所)を見ても157勝201敗(昨場所まで)で過去の最高位は幕内4枚目、幕尻と十両との間を往来していた力士だ。言葉は悪いが、もう力士としては”トウがたって”しまったと思っていたのだが。優勝を決めた最後の一番で大関、貴景勝を破った瞬間土俵の上で男泣きしていた。その喜びはよくわかる。

大相撲には記録がつきものだが、平幕力士の優勝力士というと明治42年に両国国技館ができて以来111年間に高見山から朝之山まで、僅か30人しかいない。そのうち幕尻優勝は貴闘力についで二人目だ。奈良県出身の力士というと大正11年の鶴ケ濱以来98年ぶりだという。

双葉山の69連勝時代からの大相撲ファンの僕にとって気になるのは最近、平幕優勝力士がめだつことだ。大相撲の魅力の一つは,強豪無敵、横綱の強さだ。その横綱が毎場所のように負けては、休場を繰り返しているのではつまらない。横綱の土俵入りも興行のひっつのパーフォーマンスだ。その土俵入りがないのは羊頭狗肉だ。平幕優勝が面白いとは喜んでいられない。

追憶 武漢三鎮 攻略戦の頃

2020-01-26 05:09:50 | 2012・1・1
「武漢」の漢字が連日新聞を賑わせテレビから耳に入ってくる。中国内陸部のあまり日本人には馴染みが薄い都市だが、ここを発生源とする新型コロナウイルスによる肺炎が中国を中心に猛威をふるい、折から春節の休暇に入ったは中国では海外への団体旅行を中止するなど”臨戦"態勢だ。わが国でも3人の患者が確認されている。

僕ら昭和1ケタ世代は「武漢」と聞くと「武漢三鎮」を思い出す。昭和12年7月に始まった日支事変は戦火が拡大、当時の新聞の表現をかりれば、重慶に逃げた蒋介石政権に”鉄槌”を下す重大戦局を迎えていた。それが武漢三鎮制圧戦だった。昭和13年6月から始まった制圧戦は10月、武漢の三鎮(都市)を構成する武昌、漢口、漢陽を完全占領した。当時小学校2年だった僕は祝賀提灯行列に参加したのを覚えている。

作家,火野葦兵の作品「麦と兵隊」は武漢に先立つ徐州作戦について書いたものだが、武漢作戦も文字通り”人馬が進む戦いだった。従軍した兵士も大変だったが、戦火に巻き込まれた庶民は流感どころではなかったであろう。今、その武漢には常駐日本人が710人おり、UNIQLO、の店舗が13軒あるという。80余年の歳月の流れを実感する。

新聞の活字にもならない国会質疑

2020-01-25 06:25:48 | 2012・1・1
昨日、久しぶりでテレビで参議院の国会中継に付き合った。家人から音がうるさすぎとクレームを言われながらの視聴だった。どうせ、翌朝の新聞を見れば、活字で詳報がわかるとおもっていたが。わが家の購読紙、産経新聞、(首都圏版)は二面の総合面で"改憲議論進まず”の見出しだけで、代表質問の質疑について書いていない。テレビで中継したから必要ないというのか。それとも内容が報道するに値しないというのか。

午後の質疑の共産党の山下芳生氏の質疑から視聴したが、”相も変らぬ”「花見の会」とカジノ汚職の追及である。与党自民党の驕り追及だが、難問山積の国会での唯一の問題ではない。ついで立憲民主党の大塚耕平氏が、立憲民主、国民民主、新緑風会、社民を代表して質疑に立ったが、今の野党の現状なのか、総花的な質疑で焦点が定まらない。

申し訳ないが、与党の野上浩太郎議員の質疑に移ったところで僕はテレビを大相撲の幕下以下のBS放送にかえた。テレビのカメラも議場から退席する議場の遠景に変わっていた。議長席には何かと話題の多い立憲民主党出の副議長が座っていた。

「「神国の残影 海外神社跡地写真記録集

2020-01-24 07:38:44 | 2012・1・1
神奈川大学元学長の中島三千男名誉教授から近著の「「神国」の残影」という表題の戦前、戦争中、海外各地で建造だれた神社跡地の写真集(稲宮康人 中島三千男著図書刊行会)の寄贈を受けた。

”大日本帝国時代に創建された海外の神社の現状をカメラマンの稲宮康人氏が10年以上の歳月をかけて現地に赴き撮影、中島教授が現在までに確認された1800社についてリストにし、解説している労作である。

稲宮カメラマンの取材先は旧植民地の台湾、朝鮮半島、領土であった樺太(サハリン)、旧満州国、し烈な戦場と化したサイパンなど、さらには当時大東亜共栄圏だったフィリピン、シンガポール、インドネシアなど各地にわたっている。戦争から70余り年の歳月をへてもいまだに鳥居など”残影”を残しているところもあるが、南方の地ではジャングルと化している。

神社跡地の中には旧台湾神社のように今は大厦なホテルやメダンの紘原神社のように地元民の会員制高級クラブに変容したり、北朝鮮の平壌神社のように跡地が劇場として使用されている。戦前、神国日本,神州不滅の教育を受けた僕らの世代にとっては、まさに兵(つわまのおも)の夢のあとだが、夏草だけではないのが救いだ。