「9月30日」というと、僕は半世紀以上前の1965年9月30日深夜、インドネシアで発生したクーデター(未遂)事件を思い起こす。当時、大統領(初代スカル〉の親衛隊隊長だったウントン中佐らが蜂起、国軍の幹部7人を殺害、遺体をLubang Buwaya(鰐の穴)に埋めたが難を招かれた、戦略軍司令官スハルト少将によって鎮圧された事件である。インドネシアでは、一般にインドネシア語の9月30日の頭文字を取りGESTAPUと呼んでいる、ナチスドイツの恐怖政治、ゲシュタポになぞらえたものとされている。
GESTAPUについては謎が多い。当時インドネシアでは、国軍についで勢力があったインドネシア共産党(PKI)が、国軍内のの反スカルノ不満分子を動かして起こした、つまり、国軍内の内部争いだとするのが一般説だが、中国政府による陰謀、米国のCIA(中央情報局)陰謀など推測があり、いまだに真相はわからない。
GESTAPUから半月後の66年3月11日の政変(SUPERSEMAR)によってスカルノは政権をスハルト少将に移譲して事実上責任を取って引退している。スカルノがGESTAPUに直接関与しているとは思えない。SUPERSEMARの政変直後の天皇誕生日、斎藤鎮男駐ジャカルタ大使公邸で催された祝賀会にスカルノはデヴィ夫人とスハルトも夫人同伴で参加している。僕も新聞社の特派員としてこれを写真に収めている。
当時ジャカルタ市内は中国大使館がデモ隊によって破壊され、軒並み商店街は破壊され、華僑受難の時代であった。中国語の新聞は発刊が禁止され、インドネシア語に改名させられ、華僑の中には本国に帰国した者もいた。しかし、街中の商店には中国製品ばかりであった。今、思うと中国の文化革命は1965年から始まっている。GESTAPUはその国慶節の前夜に起きている。しかし、果たして、当時の中国に他国の政治に関与するほどの余力があったであろうか。