「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

            怖いのは自粛より無気力

2011-03-31 06:47:15 | Weblog
先日来、近くのコンビニ店からヨーグルドが姿を消している。昨日大手のスーパーを覗いたら、ここでも品薄で”お一人さま一品”の張り紙がしてあった。東北大震災にも福島原発事故にもあまり関係がなさそうにと思っていたが、首都圏に集中している工場が”計画停電”の影響で生産能力が落ち、需要に間に合わないのが原因だとのこと。が、真偽のほどは知らない。

今年は春の到来が遅く、いつ桜の花が咲くのか心配していたが、一昨日やっと東京でも開花宣言が出た。しかし、わが家のあたりの桜はまだ蕾がかたい。例年なら4月の声を聞く頃になると、暗渠の桜並木には駅前の商店街の夜桜の提灯が飾られるのだが、今年はない。天気のせいではなく、東北地震を思い今年は自粛しようというのだ。ここだけではなく上野の山も井の頭公園にも自粛の張り紙が出ているとのことだ。

戦争に負けた昭和20年4月3日の亡父の日記には「陽春4月、神武天皇祭の佳き日である。花は咲き、鳥は唄うが戦局は益々緊迫、世相は険悪を極め、とても花を愛でる気持ちにはなれない」とある。連日の空襲下の東京でも桜は咲いたのだが、お花見どころではなかったのを僕も覚えている。

今年もそうだ。東北大震災と福島原発事故を思うと何か落ち着かないし、花の下で飲んで騒ぐ気にはなれない。お花見の自粛ムードは当然だが、怖いのは人々の気持ちの中に自粛を通り越して、積極的に何もやりたくないといった無気力感が生ずることだ。4月の統一選挙もまだ前哨戦だが,心なしか盛り上がりに欠ける。僕らみたいな年寄りが無気力なのは仕方がないが、今後の日本を背負う若い世代は、もっと頑張って欲しい。

         米国の「トモダチ」作戦に感謝

2011-03-30 08:05:12 | Weblog
大正12年(1923年)9月1日の関東大震災を体験した世代はすでに数少なくなってきたが、僕が幼かった戦前の昭和の時代には、父母を始め沢山、これを体験した人がいて色々とその話を聞いたものだ。その中で一つ忘れられないのは、震災直後、米国がいち早く軍艦を芝浦沖に派遣し、被災者の救援に当たったことだ。数年前、震災関係の記念館に寄贈するまで我が家にあった「大震災記念帖」には、当時米国が建てた避難民用のテントの写真が載っていた。

14万人もの死者犠牲者を出した関東大震災は、犠牲者の数だけでいえば、今回の東北大震災より多い。発生が昼時であったこともあって地震による家屋倒壊で火災が発生したことと今回同様の津浪による被害が多かった。東京、横浜という大都会での大地震だけに震災直後に関東戒厳令司令部が設置され、治安は軍の管轄下に置かれた。

東京と関西、東北などとの鉄道による交通網は完全に遮断され、流言飛語がとびかった。戒厳令司令部は、当時東京からの唯一海の玄関口であった芝浦海岸(現在の港区海岸通り)にあった野球場を接収し、ここを拠点に救援活動に乗り出した。米国のテント村もここに建設され、軍艦から次々と救済物資が下され、負傷者の治療にあたった。

歴史は繰り返すのだろうか。今回の大地震でも世界各国の中で米国からの救援活動はきわだっている。在日米軍を中心に2万人もの人員を動員して「トモダチ作戦」を展開してくれている。近隣諸国の中には、なんの嫌がらせなのか、この時期に領空侵犯まがいの行為を繰り返ししている。救援を受けても、こういった国々が真の隣人なのかどうか。大正の関東大震災の時には、当時の日本の軍部の独走で、震災で深まった日米の友好関係は残念ながら破綻してしまったが、今回はそんな歴史を繰り返さないよう「トモダチ作戦」に感謝しよう。


    菅総理はなぜ特定被災地を視察したいのか?

2011-03-29 07:19:15 | Weblog
菅総理は4月2日に数ある被災地の中から一つ、岩手県陸前高田市を視察することで現地と調整中と新聞にでていた。なぜ原発事故の問題が完全に収まっていない、この時期に、しかも特定の被災地一か所だけを視察するのか理解に苦しむ。何か陸前高田市と特別な利害関係でもあるのかと疑惑の目を持つ国民もある。

陸前高田市は衆院小選挙区では、かの小沢一郎氏の選挙区ではないが、隣りの選挙区で、なぜか地震前の1月26日、小沢氏が4月の統一地方選挙の応援に駆けつけている。この日は国会で菅総理の施政演説とその質疑があったが、これを欠席してのことであった。それだけ、この地は民主党の”党内派閥”には重要な所と勘ぐりたくもなる

そんな目で見てくると、震災後の復旧作業のテレビの露出度が他の被災地よりも多く、仮設住宅建設も早い。でも多分、そんなことではなく、この選挙区選出の民主党議員がご親族を震災で亡くされているので、その弔問をかねてのことだと推察したいが。

しかし、4月2日までには世界注視の福島原発の問題は解決しているのだろうか。地震発生時いち早く福島原発を視察した菅総理だが、その後のこの問題への対応は、枝野官房長官に”まる投げ”みたいで、東京電力の社長みたいに国民の前から姿を消してしまったかのような印象を与えている。菅総理が現地を視察したい気持ちは理解できるが、今、この段階では原発事故の収束と避難している人たちを一日も早く帰宅させることに全力投球ではないだろうか。

          ドバイWC制覇と相馬野馬追い 

2011-03-28 07:56:23 | Weblog
世界最高賞金(一着6,000万㌦=4億8,000円)の競馬で知られるドバイWC(ワールド・カップ)で、日本の馬ヴィクトワール・ピサ(牡4歳)とトランセンド(牡5歳)が一、二着に入った。もちろん、日本馬のワン・トゥ入着は史上初の快挙だ。東北関東大震災で日本中が沈みがちな時だけに、たかが競馬とはいえ嬉しいニュースだ。

絶対そんな事はないのだが、何度かにわたってドバイの人たちの好意に預かっている僕は、これはもしかすると、地震、津浪、原発事故と”三重苦”の日本人に対して、ドバイ人が仕組んでくれた”八百長レース”ではないかと冗談に思ったりした。いずれにせよ、イスラム風に考えれば神のお陰である。

今回の東北関西大震災で被害が大きかった地区の一つに南相馬市がある。町村合併の前は原町市だが、ここで毎年7月末に開催される「相馬野馬追い」は東北六大祭の一つで、国の重要無形民族文化財に指定されている。相馬藩以来伝わる雄壮な甲冑に身を包んだ武士姿による一大絵巻である。地震と津浪で会場の雲雀が丘周辺がどのような被害を受けたのだろうか。

ドバイもかってはアラブ馬の産地で、この伝統をついで、いまは競争馬のメッカとして世界中の競馬ファンの間で知られている。「相馬野馬追い」もそうだ。近年、減り続けている日本馬の種の保存の意味もある行事だ。被害の直後で現地では「相馬野馬追い」どころではないだろうが、是非この伝統の行事の灯火を消さないよう今から支援したいものだ。

        震災復興”かまど起こし”を祈願

2011-03-27 07:22:46 | Weblog
旧東海道品川宿のはずれにある曹洞宗海雲寺は、江戸の昔から千軆荒神が”かまどの神様”として信仰を集め,春秋二回、3月、11月の27,28日が大祭日だが、今年は東北関東大震災のため中止となった。わが家では先祖の代から参詣しているが、大祭が中止になったのは昭和20年3月の東京大空襲以来である。

東北関東大震災で予定していた集まりや行事のキャンセルが多い。40年前に勤めていた郡山のテレビ局のOB会も早々と中止と決まった。毎年開成山のお花見をかねて開催され、今年は傘寿のお祝いも貰えそうなので楽しみにしていた。しかし、それどころではない。福島県は地震と津浪それに原発事故と三つも災難に見舞われてしまった。お世話になった地だけに心からお見舞い申し上げる。

娘から品川の荒神様のお祭りは今年は中止だよ、と聞いていたが、こんな年だからこそ出かけてお参り、しようと夫婦でバスを乗り継いで出かけた。江戸の商人は”かまどを起こす”という縁起かつぎと同時に”火の用心”を祈願し、さらにはお寺が東海道筋、江戸湾に面していることから”水難”への祈願もこめられている。

大祭の中止は地元の警察の要請によるものだという。しかし、信者への徹底がかけているみたいで、ツエをついたお年寄りが本堂で手を合わせて拝んだあと、がっかりした表情で帰って行く。いつもなら近くの京急青物横丁の駅からお寺まで並ぶ縁起物の”お釜おこし”や海産物など売る屋台の店が一軒もでていない。僕ら夫婦は中止を承知の上ででかけたのだが、やはり年に二回の楽しみがないは寂しい。ただただ被災地の犠牲者に対して手をあわせ、一日も早く”かまど”を起こされんことを祈願した。
(写真は祭りの中止と火の用心のポスター)

      東北関東大震災と高校授業料無償化

2011-03-26 07:31:47 | Weblog
高木義明文科相が昨日の閣議後の記者会見で今回の大震災を受けても高校の授業料の無償化を撤回しないと語り、さらに朝鮮学校に対する無償化についても来年度、事態が収まれば前年度に遡って無償化の可能性を検討したいと語ったという。こんな国をあげて非常事態に対処している最中に、なぜこんな言わずもがなのことを明らかにするのか、閣僚としての素質感性を問いたい。

今回の大震災の復興財源をどうするのか。現在、国会で与野党間で検討している最中である。野田財務相は出来るだけ国債には頼らない方針だと先日テレビで語っていた。民主党が”ふところ”を考えずに出来もしない選挙公約をするのは、すでに証明ずみだ。誰でも民主党の掲げる公約に反対する者はいない。しかし、政治には素人の僕がみても、高校授業料の無償化は”ばらまき”だ。被災地に限り無償化なら納得するが、朝鮮学校にまで、やがて遡って支給するとなると首をかしげる。

古い話で恐縮だが、敗戦直後の昭和20年10月、中学3年だった僕らは、東京の第一京浜国道の旧品川区役所あたりの焼跡整理に1か月にわたって動員された。戦争中の勤労動員ではない。当時日本の国内には若者は戦地から復員前でおらず、子どもしかいなかったのだ。もちろん無償での奉仕だった。

今年は、震災の混乱からか首都圏の大学まで入学式を延期し、4月の新学期まで5月に延ばす学校が多いと聞く。被災地の大学ならわかるが、首都圏までそうする必要があるのだろうか。高木大臣に提案します。春休みから5月までの長い期間、こういった若者に動員をかけ、被災地での復興工事に従事させたらどうか。高校生も無償化の代償として働かせることも一案である。

     被災地で活躍するインドネシア国籍の女医

2011-03-25 07:41:37 | Weblog
福島原発の30㌔圏内の田村市瀧根の介護老人保健施設「聖オリオンの郷」の施設長をされているインドネシア国籍の女医、田中リナさんと、昨日やっと電話で連絡がとれた。先生の話では幸い施設にいる約100人のお年寄りは全員無事、施設も地震による被害はなかったとのことだ。よかった。よかった。

田中先生は戦争中日本軍の軍属だった義父とインドネシア人のお母さんと一緒に戦後、幼児の時に来日、日本で教育を受け医大で博士号を取得、6年前から、ここ阿武隈山系の鍾乳洞で有名な滝根の老人施設でお年寄りの面倒をみている。

施設は厳密にいえば原発から34㌔だが、国から「屋内避難」地域なみに指定されたため、先生は、地震発生後3日間は、施設内に泊まりこみ、さらに数日前からは、県の要請で同じ被災地のいわき市平の病院から7人のお年寄りが避難してきた。施設は「屋内避難地」から4㌔外にあるため、時々先生は車で帰宅できるが、多忙でほとんど施設内でくらしているとのことだ。

小ブログ(今年2月10日)は、先生から滝根産のお米を頂戴した話を紹介し同時に先生から頂いたお手紙も紹介させて貰った。先生の故郷は、日本から遠いセレベス(スラウェシュ)である。滝根とは気候はまったく違う。しかし、自然の美しさと人々の人情は同じだと先生はいう。この原発事故の騒ぎがいつまで続くのだろうか。一日も早く滝根が本来の静けさを取り戻し、鍾乳洞が観光客で賑わう日が来るのを祈ってやまない。

             自由が丘のホーレンソー

2011-03-24 07:37:01 | Weblog
”寒さ暑さも彼岸まで”というが、今年は陽気までおかしい。東京はいぜん寒い日が続き、春の足音が聞こえてこない。運動不足解消のため昨日久しぶりに自由が丘の農家の無人スタンドをのぞいたら、今が旬のホーレンソー、小松菜、ねぎ、赤カブが小屋の中にうず高く積まれていた。ここにも福島原発事故の風評被害が出ているのであろうかー。

菅総理は昨日、福島、茨城県産の露地野菜や原乳の放射能量が暫定基準値を越えたとして摂取したり、市場へ出荷するなと追加措置をとった。枝野官房長官は相変わらず”そのまま食べても大丈夫だ”と繰り返し述べている。が、連日総理がまるで出しおしみをするように追加発表すると、国民はまだまだ広がるのでは、ないかと不安になる。風評ではなくとも市場関係者は”売れないものは仕入れしても”ということになる。

僕ら夫婦は、お陰で十分生きてきているので、あまり風評には踊らされない。僕は無人スタンドで一束100円のホーレンソーを二束、200円の大束の小松菜それにドロねぎを一束買った。そしてその後、近くの高級食品を扱うスーパーへ行ったら、数日前には姿を消していた牛乳や卵、食パンがいつものように売っていた。ただ高い、僕は1000ml一本210円の牛乳と290円の食パンを求めて帰宅した。

東京の金町浄水場の水道から乳児に対する放射能基準値を越える水が検知され、水道水で粉ミルクなどをとくなと都から発表になった。途端にスーパーからペットボトルが再度なくなったという。成人の基準値以下で、まったく健康には害がない。どうも若い人たちはネットなどの情報カタルで、風評に弱くなっているのでは。それとも政府の発表の仕方に問題があるのかも。

     政府は救援活動に専念せよ 復興計画は自民党中心で

2011-03-23 07:12:02 | Weblog
政府・民主党が今回の東北関東大震災を受けて「復興庁」を創設する案が浮上しているという、これだけの大打撃を受けたのだ。国をあげて被災地を復興させるのは焦眉の急を要する問題である。しかし、震災後、10日を経過したのに被災者への救済支援はどうなのかー。いまだに30万人に及ぶ被災者が避難所生活を送っているのだ。政府・与党は当面これに専念すべきだ。復興計画は自民党に任したらどうか。

民主党の「復興庁」構想は関東大震災(1923年)の時の「帝都復興院」と戦後の「戦災復興院」を念頭に置いているようだ。「帝都復興院」は地震発生5日後の9月6日には早くも発足している。地震翌日組閣したばかりの山本権兵衛内閣の内務大臣、後藤新平が「帝都復興の議」を提案、自ら総裁を兼務して内務省や民間から優秀な人材をスカウトした。後藤新平は満鉄総裁や台湾総督府民政長官の経験をもとに欧米の都市計画を思い切って取り入れ、東京を近代都市化した。

一方、戦後の「戦災復興院」は敗戦から3か月後の20年11月に政府から基本方針が策定されている。米軍の猛爆により全国215都市,64,500haが焼土と化した。しかも連合軍の占領下にあったのだが、当時内務省の国土局計画課長だった大橋武夫(後に運輸大臣)が総裁に阪急宝塚の創始者、小林一三を総裁に招き、地方に思い切った権限を与え戦災復興計画を進めた、名古屋、広島、神戸、仙台はその所産である。

今回の大震災は、上記二つにも負けぬ被害をもたらした。一日も早い復興が必要だが、今の政府与党にはその能力はないし、また被災地への救済が第一である。一段落後の政権交替は必至である。自民党はそれに備えて今から、しっかりとした将来を見据えた復興計画を策定すべきである。


          農畜産物の出荷停止は人災

2011-03-22 07:25:30 | Weblog
まさかやらないと思っていた福島、茨城、栃木、群馬4県の農畜産物に対する出荷停止を菅直人総理は「原子力災害対策特別措置法」に基づき強行した。枝野幸男官房長官は繰り返し繰り返し「人体に影響がある数値ではない、暫定基準値を越えていても健康には害はない」と述べている。それなのに菅総理は何をもって出荷停止を4県知事に命ずるのか。これは人災と言わざるをえない。

原乳から放射性物質のヨウ素やセシウムが検出されたといういわき市や新地町、飯館村は福島原発事故の避難地区に全域あるいは一部がかかっている。国見町と川俣町はいわゆる中通りの内陸の町だが、福島を三分する会津地方からは検出されていない。放射性物質が検出されなかったのか。あるいはモニターリングを実施していないのか。民主党の”ご意見番”、渡部恒三氏の地元の奥会津から福島原発までは直線距離で100キロはある。なのに福島県産全部を出荷停止にした。

ホーレンソーやかきなについてもしかりである。例えば群馬県で放射性物質(セシウム)の暫定基準値が越えていたのはかきなの高崎市(セシウム)とホーレンソーの伊勢崎市(ヨウ素)の2市だけ。栃木県でも2市2町(宇都宮市、下野市、壬生町、上三川町)でヨウ素とセシウムが検知されているだけだ。比較的全県域にわたっている茨城県でも広く全域ではない。

政府の出荷停止命令によって首都圏の野菜市場は、すでに混乱をきたしている。とくに茨城のホーレンソーは東京市場の40%を占有している。それより一番恐いのは風評である。残念ながら、この政府の将来への展望のない無謀ともいえる決定は、いたずらに国民生活をみだし、復興への意欲をそぐだけだ。