年寄りに人気のNHKラジオの深夜便を今朝の明け方午前2時ー3時まで寝ずに聞いた。最近はアンカーが若返り、内容も80老にはつまらなくなってきたが、今回は京都発。リスナーの京都にまつわる想い出と歌を募集していたので、戦争中(昭和17年)東京から「参宮旅行」(修学旅行)に出かけた時、京都駅前で食べた揚げたてのコロッケの美味だったことを中心に当時の京都について触れ、小学校唱歌「牛若丸」をリクエストしたが、採用されなかった。
♯ 「牛若丸」(明治43年 小学校唱歌 作詞作曲者不明)
一、京の五条の橋の上、大の男の弁慶は 長い薙刀(なぎなた)振りかざし、牛若丸めがけて
きりかかる
ニ、牛若丸は飛びのいて、持った扇を投げつけて 来い来い来いと欄干の上へあがって手を叩く
戦前,教育をうけた僕らの世代は、この歌を知らないものはいない、京都といえば三条大橋のたもとにある尊王思想家、高山彦九郎の銅像とともに学校で教わった。当然のことながら、この歌がリクエストされるものと思っていた。二時間待ったが、想い出のリクエストは戦後の歌ばかりだ。考えてみれば無理もない。戦後生まれが日本人全体の8割を上回っている。安倍晋三首相だって知らないかもしれない。
最期に僕の一文が採用されなった腹いせに一つ。アンカーが京都局のシニア.アナウンサーなのに京都のコロッケ事情に疎いのに驚いた。小ブログでさえ書いたことがある。(2007年10月4日)毎日、京都のごちそうばかり食べているためなのだろうか。それにしても、明治大正昭和の小学校唱歌が忘れられていくのは残念だ。
♯ 「牛若丸」(明治43年 小学校唱歌 作詞作曲者不明)
一、京の五条の橋の上、大の男の弁慶は 長い薙刀(なぎなた)振りかざし、牛若丸めがけて
きりかかる
ニ、牛若丸は飛びのいて、持った扇を投げつけて 来い来い来いと欄干の上へあがって手を叩く
戦前,教育をうけた僕らの世代は、この歌を知らないものはいない、京都といえば三条大橋のたもとにある尊王思想家、高山彦九郎の銅像とともに学校で教わった。当然のことながら、この歌がリクエストされるものと思っていた。二時間待ったが、想い出のリクエストは戦後の歌ばかりだ。考えてみれば無理もない。戦後生まれが日本人全体の8割を上回っている。安倍晋三首相だって知らないかもしれない。
最期に僕の一文が採用されなった腹いせに一つ。アンカーが京都局のシニア.アナウンサーなのに京都のコロッケ事情に疎いのに驚いた。小ブログでさえ書いたことがある。(2007年10月4日)毎日、京都のごちそうばかり食べているためなのだろうか。それにしても、明治大正昭和の小学校唱歌が忘れられていくのは残念だ。