「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

”さわらぬ神にたたりなし” パソコンのウィルス退治 

2016-08-31 05:48:43 | 2012・1・1
僕の朝の一番仕事はメールのチェックだが、ここ数か月前からウィルスを除去しましたとの連絡(Suspicious part has been deleted)が一日に10通近くある。ほとんどが深夜に受電しており、発信人は欧米系のありふれた名前が多いが、なかにはKimという近隣諸国の名前もある。内容は不動産の取引の書類を送ったから付属文書をみろとか、お前に貸したカネを返せとか、中には80歳の老人なのに”色仕掛け”なものまである。

”さわらぬ神にたたりなし”-一切僕は読んだだけで、除去しているが煩わしい。数年前だが書いているブログが、近隣諸国を批判するとウィルスにやられたのかダウンするため、高いおカネをだしてパソコン会社とウィルス除去を契約した。以来、ウィルス汚染でPCがダウンすることはなくなった。

同じ年寄り仲間に聞くと、あまりウィルスにやられたという話を聞いたことがない。最近は外部で人に会うことも少なく名刺を交換する機会も少なくなった。何故、僕の場合に限って多いのか。理由の一つはアドレスが、日本人によくある苗字にインドネシア語を組み合わせた、比較的簡単なものだからからかもしれない。慎重な方はアドレスに秘密番号を組み合わせている。

僕ら夫婦はケータイを持っていない。他人と待ち合わせたり、公衆電話がない時は不便である。かって文字盤が多いのを売りものにしていたケータイを持っていたが、老人にはパソコンの維持管理だけで一杯である。それに歳をとると、あまり慾がなくなるものだ。やはり”さわらぬ神”気をつけるにすぎたことはない。

台風10号と忘れかけ始められた「二百十日」 

2016-08-30 05:14:41 | 2012・1・1
戦前音楽の授業は「唱歌」といったが、僕が習った「唱歌」のうち好きな一つに「田舎の四季」(明治四十三年 尋常唱歌)がある。その中でも三番の歌詞が好きだ。
「二百十日も事なくすんで 村の祭りの太鼓が響く 稲の実がいる ひよりはつづく
 刈って広げて陽にかわかして 米にこなして俵につめて 家内安全 笑顔に笑顔」

「二百十日」という言葉を最近、あまり耳にしなくなった。ウィキペディアによると、雑節の一つで立春から数えて二百十日目の九月一日前後の日(今年は閏年なので八月三十一日)で、台風の襲来が多く、農家の厄日とされている。

戦前、日本の第一次産業(農林水産業)の就労者が七割から八割あった時代には、台風の襲来は日本の産業全体にとって大打撃であった。「田舎の四季」の中で表現されている農民の喜びはよく理解できる。が、今は農林業で働く人は、全産業の半分にも満たない。二百十日が忘れられ始めてきたのも無理はない。

東日本には、先日の台風九号に次いで十号が襲来した。東北の太平洋岸に台風が上陸するのは観測史上初めてであるという。五年前の東日本大震災で大被害を受けたばかりである。沿岸の護岸工事もまだ完全に修復されていないし、高潮の時期とも重なっているようだし心配だ。それに収穫前の稲は大丈夫なのだろうか。二百十日が、事もなくすんで貰うのを祈るだけだ、

6人に1人の子どもが貧困というが

2016-08-29 05:59:07 | 2012・1・1
一昨日、NHKテレビの「思い出のメロディ」を見ていたら、珍しく歌手の山田太郎が”僕のあだ名を知っているか”で始まる「新聞少年」を歌っていた。そのバックには学帽をかぶった小学生の配達少年たちが踊っていた。一時代前までは、日本のどこにででもみられる風景だが、今は見られなくなった。歌詞は、病気で寝ている母親に代って、朝早くから新聞配達する新聞少年の健気さを歌ったもだが、この歌がレり―ズされた昭和40年ごろの日本の社会の一面でもあった。

ネットでブログの材料を渉猟していたら、先日NHKのニュースで報道していた、女子高校生の貧困問題をめぐって若者の間で大騒ぎになっているという、僕もこのニュースをたまたま見ていたが、母親と二人暮らしの高校生が、貧困からPCが買えず、キーボード盤でタイピングの練習をしている、といった内容だった。僕はその時の印象として、高校生の顔出しをしてよいのかと思った程度であった。ところが、今、ネットで問題になっているのは、高校生の部屋にぬいぐるみ人形があり、本当に貧困なのかという違った次元のようだ。

日本の子どもは6人に1人が貧困だとか、貧困格差は先進国中下位から7番目だといった話をよく聞く。政府も、数年前から「子どもの貧困対策会議」を開いているが、あまりその実態が僕には判らない。戦前から戦後にかけて貧困が当たり前のような時代に育ってきた僕らの世代にとっては、毎日、学校給食があり、学校保育が受けられるよい時代だ。途上国では、ストリート.チルドレンがまだ当たり前である。このNHKの番組をめぐって、政府に対策を迫る街頭デモもあったそうだ。子どもたちの間に甘えを醸成する機運がなければよいのだが。

"想い出”がなかった欽ちゃん司会の今年の「思い出のメロデイ」

2016-08-28 06:22:06 | 2012・1・1
欽ちゃんこと萩本欽一司会の第48回「思い出のメロデイ」を昨夜、前半はテレビで後半はラジオで聞いていたが、そのうち眠りについてしまった。司会に1970年―80年、テレビの黄金時代、民放バラエテイ番組で大活躍した欽ちゃんと、今話題の朝ドラ「とと姉ちゃん」主演の高畠充希を配し、それぞれ好演していたが、欽ちゃんのキャラクターが大きすぎて、番組自体が時代を越えた”想い出”の歌番組でがなく、欽ちゃん時代の思い出色が強かった。

昭和44年に始まった、この番組は”夏の紅白”と呼ばれるほどの歌番組で,逝く夏のこの時期に昭和大正の歌謡曲や懐メロを、かってのスター歌手を登場させ歌って貰うのが趣意だった。昨年の番組でも出演者、観客全体が、戦後日本の代表曲である「リンゴの歌」を全員で歌っったり、「ミカンの花咲く丘」、「岸壁の母」など昭和全域の歌が歌われた。

今年は水前寺清子の「365日のマーチ」で始まったが全体のトーンが欽ちゃんにこだわりすぎ、1970-80年の歌が多かった。自分の私事になって恐縮だが、僕は1969年から80年まで、地方の民放に勤務していて、欽ちゃん番組の視聴率に一喜一憂した思い出がある。それだけに欽ちゃん番組にも思い出はあるが、当時の民放の「スた誕」とか「夜スた」で歌われた歌にはあまり想い出はない。

番組で紹介される歌は、視聴者の要望に応えてのもだそうだが、僕と同じ80歳半ば過ぎの世代は少数派になってきた。欽ちゃん番組以前の歌に想い出のある世代は少なくなってきた。エノケン、ロッパまではいかなくとも、戦後、トニー谷、大宮デンスケ時代もあった、あの時代の歌も年に一回ぐらい聞きたい世代もまだ残っている。

何故多発するのか少年同士の残虐殺人事件

2016-08-27 07:39:34 | 2012・1・1
埼玉県吉見町に住む16歳の少年が、遊び仲間の中学生3人を含む4人に、近くを流れる都幾(とき)川の河川敷に呼び出され溺死させられ、遺体を河川敷に埋められた。子供とは思えぬ残虐さだ。昨年2月にも当時、中学1年生だった少年が川崎市の多摩川の河川敷で、同じ遊び仲間の二人から同じような暴行を受け殺された事件があった。

少年犯罪については素人だが、この年代の少年は大人への”背伸び”なのだろうか、暴力を行使したがる。僕がこの年齢だったのは戦争中だったが、今、思い出してみると、動員された工場内で、ほぼ同じ年齢の養成工と毎日のようにケンカをしたり、仲間へのリンチまがいも多発、護身用に旋盤とやすりでナイフを作っていた者もいた。しかし、最近のような人を殺す事件はなかったが。

今回の事件で、不思議に思うのは、同じ学校の友人ではなく、遊び場などで知り合った仲間同士で、ケータイなどを通じて遊びの打ち合わせをしていることだ。電話もあまりなかった時代の僕らの時代とは違う。多分、仲間同士の付き合いの度合いも昔に比べて薄いに違いない。それに、学校に行っているのかどうか判らない少年が多すぎる事だ。家庭での関与はどうなっているのか。

一番、僕が心配するのは犯罪の残虐性だ。抵抗の出来ない少年を集団で殴ったり蹴ったりし、あげくは顔を川の水につけて”溺死”させ、さらに遺体を河川敷に埋める犯罪手法は、昔の日本人にはなかった。警察で取り調べる一方、犯罪心理学の専門家の先生方を呼んで分析して頂きたい。

総花的な支援は効果なし アフリカ開発会議(TICAD)

2016-08-26 06:50:40 | 2012・1・1
第6回アフリカ開発会議(TICAD)が26,28日、ケニアのナイロビで開かれ、安倍総理を筆頭に80を超す企業、団体が参加する。TICADは1993年、日本の音頭取りで国連との共催で始まったが、会場がアフリカの地で開かれるのは初めてだ。安倍総理は出席に先立って”日本の質の高い技術と人材育成を生かしてアフリカの発展に貢献したい”と述べたが、演説の裏には、ここ数年急速に伸びている中国が念頭にあるのは確かだ。

残念だが、TICADAは構想としてはよかったが、アフリカ首脳の”日本招待旅行”にすぎなかったのではないだろうか。その間に、中国のアフリカ進出は急速に伸び、2000年から15年間に対アフリカ貿易額は22倍に拡大、IMFの集計では1364億ドル(2012年)にのぼり日本の4倍である。TICADAの中国版ともいえるFOCAL(中国アフリカ協力フォーラム)を通じて着実に実利をあげている。

"二兎を追うもの”の譬えではないが、日本のTICADの狙いの一つは、安保理常任委員国選挙に向けての53か国というアフリカの””票田”にもあるのかもしれない。しかし、53か国の中には、80の企業、団体が、わざわざ出かけるほど魅力のある国はどれだけ、あるだろうか。南アフリカ地域の小国がTICADを利用して日本へ留学するというネット情報もあった。ムダとは言わないが、あまり意味がない。

今回の会議の最終日には、テロ防止への貢献を柱にする首脳間の文書「ナイロビ宣言」を採択する予定というが、アフリカの開発には直接関係のない領域にまで口を出すことは誤解を招きかねない。”商売”に徹したほうがよい。



真夏日が13日しかなかった75年前の東京の7月

2016-08-25 05:21:24 | 2012・1・1
「残暑お見舞い申し上げます」-台風一過の東京は今まさにこの挨拶がピタリである。この残暑の中、昨日理髪店に出かけたら、珍しく子供が頭の毛を刈りに来ていた。店主の話では、来週から東京では公立学校の新学期が始まるのだという。戦前、僕が小学校だった時は、夏休みは7月21日から8月31日までと決まっていたが、最近は季節の変動で期間も変わってきたのであろうかー。

インターネット情報によると、今年の7月の気温は世界的規模で観測史上最も暑かった。これは米国のNASA(航空宇宙局)とNOAN(海軍広域監視センタ―)の合同観測のデーターによるもので、20世紀の平均気温に比べて0.80℃高温とのことだ。そういっても実感がないが、今年の7月の東京の気温は、30℃を超える真夏日が14日、35℃以上の猛暑日が2日もあったが,たまたま手元にあった75年前、昭和16年7月は、冷夏だったこともあり、真夏日は13日、猛暑日は1日もなかった。

8月に入っても東京の暑さは収まらず、真夏日が21日も続いている。ネットの天気予報によると、今日の最高気温は31℃、熱中度指数赤(危険度)一つ。明日は32℃、赤二つである。昔の軍歌流で言えば、”いつまで続くぬかるみぞ”の暑さである。うんざりするが、昨夕、隣家の庭から夏の終わりを告げるツクツクボウシの蝉の鳴き声が聞こえてきた。あと数週の辛抱だと秋の到来を待ちながら80代の老夫婦二人はじーつと家の中に身を潜めている。


麻雀(マージャン)の復権

2016-08-24 05:16:48 | 2012・1・1
入社試験の一環に麻雀を取り入れた会社が出てきたとネット上で話題になっていた。就職担当者が、入職希望者と一緒に麻雀」をして頭の回転や勝負度胸などを調べるのだという。変れば変るものだ。僕が最初に麻雀を始めた戦後すぐの時代は、就職の面接で”趣味は麻雀です”と言おうものなら、いっぺんにはねられたものだ。当時、麻雀は不良学生のするものだった。

もう麻雀パイを手にしなくなって30年になる。昔の仲間が4人集まっても卓を囲もうというものはいない。パイも屋根裏の隅に置いたままだ、しかし,僕の現役時代だった1950年から80年、サラリーマンの間では麻雀が全盛であった。僕もその一人で、まるで”憑かれた”ように熱中したものだ。”鉄火場”のような雀荘は、煙草の煙がまん延していた。そんな中で週末には僕らは徹夜でパイをかき回した。今は時効だから構わないが、賭け麻雀で千点50円から100円、勝負の清算は給料日にした。(給料はまだ銀行振り込みではなかったのだ)。

この麻雀が、ここ数年、老人クラブを中心に認知症対策として復権しているという。昔と違って“呑むな、吸うな、賭けるな”の至って健康麻雀”である。確かに麻雀は頭を使うし、パイをかき回し、積んだりして手先の運動にもなる。老妻から”あなたもやったら”と、老人会のクラブ入会をすすめられるが、断っている。頭が固く、賭け麻雀でなくてはやる気にならないのだ。この頭の硬直が認知症の始りかもしれない。

 リオの五輪のメダル.ラッシュ 東京大会へのはずみ

2016-08-23 06:02:36 | 2012・1・1
リオ五輪が閉幕、無事大会旗が次の開催地、東京の小池百合子市長の手に手渡された。リオ大会は、日本選手の活躍でメダル.ラッシュ、金12、銀6、銅21の計41は過去最高だった。大会中、日本は真夏日の連続で、僕ら老人は家に閉じこもり、早朝からのテレビ観戦したが、日本選手の活躍は最高のプレゼントであった。

日本の初めての五輪参加は1912年のストックホルム大会からで、陸上とマラソンに二人参加したが、陸上選手は100,200Mは予選落ち、400Mは棄権、マラソンは脱水症で棄権するなど惨憺たる成績だった。リオに比べれば隔世の感がある。戦後、日本が復活参加した1952年のヘルシンキ大会からリオ大会まで数えてみたら、わが国は16回参加している。それなのにメダル獲得数が過去最高とは意外な感じがしたが、1964年の東京大会は金16、銀5、銅8で、総計は29で、金が多い事からくる僕の錯覚だった

五輪の歴史を紐解くと、第一回のアテネ大会では、参加国は僅か14、選手は男性だけで247人競技種目は43にすぎなかった。画期的な大会とと言われた1964年の東京大会ですら参加国93、選手数5151人、競技種目163だったが、リオではこれが206.11000,306と倍増している。時期東京大会ではさらに規模は大きくなろう。

リオ閉会式での引き継ぎセレモニーでの演出で、マリオに扮した安倍総理の登場が海外で評判になっている。僕のような老人には何の事だかわからないが、時代は移り変っている。小池都知事和服姿の”旗振り”もよかった。組織委員会は頭の固い老人ばかりと思っていたが、マリオ役に安倍首相を推薦したのは森嘉郎会長だという。その調子、東京大会の成功を祈ろう。

話題にならなかったが、楽しかった今年の高校野球

2016-08-22 06:03:52 | 2012・1・1
リオの五輪の蔭に隠れて、今年の高校野球はあまり話題にならなかったが、栃木の作新学院が見事、北海道の北海高校を破り7対1で快勝した。昭和37年(1962年)の春夏連続優勝いらい54年ぶりだという。おめでとう。半世紀ぶりの優勝なのに、わが家で購読している新聞は、1面だが、小さな囲み記事で”作新V 甲子園 54年ぶり”と冷たい扱いだ。

現役時代、転勤、転職が多かった僕にとって、毎夏、高校野球は応援校が6校あって忙しい、学校を出て最初に赴任して1年いた長野県、ついで転職で2年いた福島県とその後、10年間在任していた北海道(2地域)と生まれ故郷の東京(2地域)である。今年はこの6校のうち、南北海道の北海高校が決勝戦まで残り、北北海道のクラーク国際高も、取材で何回か行ったことがる深川市だけに特に熱が入った。また西東京の八王子高も、退職後一時(5年間)くらしたことがあり、例年より親しみを感じ応援した。

80歳半ばを過ぎたこの年齢になると、やたらと過ぎし”こしかた”が懐かしくなる。サラリーマンには転勤はつきものといえ、やはり現役時代は嫌なもので、何回か単身赴任の悲哀も味わった。しかし、この齢になり振り返ってみると、知らない土地で、見知らぬ人と知り合い仕事が出来たのは幸せだった。高校野球のテレビ応援観戦は、その過去の想い出を蘇みがえらせる、よすがにもなり楽しい。それにしても作新の優勝が半世紀ぶりとは驚いた。つい、この間のことと感じるのだが。