「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

              身近になった認知症

2012-10-31 06:22:36 | Weblog
小中(旧制)計11年間一緒だった旧友S君の消息が最近、途絶えて心配していたが、やっと居所が判った。共通の友人のA君が早速S君に電話したが、文字通り”竹馬の友”だったのに、A君のことが判らなくなってきていた。S君の奥さんの話だと、身体は健康だが、認知症のため週に三回デーサービスで介護を受けているとのことだ。認知症など遠い話だと思っていたが、S君の話を聞いて愕然とした。身近な話になってきたのだ。

厚生労働省の推計によると、65歳以上の老人の認知症患者数は平成14年には全国で149万人だったのが今年度は305万人と僅か10年間倍増している。65歳以上の老人の10人に1人が認知症患者という勘定だ。老人の数はここ数年、加速度的に増えているが、この認知症患者の増加のスピードは厚労省の推計をはるかに上回っている。

昭和10年代の初め子供だった頃、学校へ行くため、S君の家へ誘いに行くと、S君のお祖父さんが東の空に向かって手を合わせているのを見かけた。多分、お祖父さんは今の僕らの年齢よりは若かったと思うが、近所の大人の話では、少し頭がぼけてきたという話だった。その頃、元治元年生まれの僕の母方の祖母も喜寿を迎えた途端、家の周りの彷徨が始まっていた。昔から認知症はあったのだが、年寄りの数が少なくあまり問題にはならなかった。

秋の季節には昔務めていた会社のOB会とか学校の同期会とか集まりが多い。加齢とともに参加者の数が減ってきている。欠席の理由には圧倒的に足腰が弱ってきたため、というのが多いが、中には妻が認知症で面倒をみているためというのもある。案内を出しても返事がこないケースもある。かっては元気に集まりで騒いでいたのに、思いたくはないのだが、認知症になっているのかもしれない。もうそういった年齢なのである。

     ”明日がない明日がない明日がないからさ”の野田内閣

2012-10-30 06:24:12 | Weblog
野田総理の所信演説をテレビ中継で見たが、例によって美辞麗句の空虚なものだった。”明日への責任を果たすために道半ばの仕事を投げ出すわけにはゆかない”と居座り宣言ともとれる発言をしていたが、国民の多くは、この総理に日本の明日を託すわけにはゆかない。道半ばでも早く退陣をお願いしたい気持ちが強いに違いない。”夕暮れ時、一日の仕事を終えて仰ぐ夕日の美しさに感動”とは総理の現在の自分の気持ちへの陶酔ともとれる。

総理の演説を聞いて、僕は亡くなった坂本九が昔歌っていた「明日がある」を思い出した、もともとの歌詞(青島幸男作詞)は、自分に自信が持てず、意中の恋人に恋を打ち明けられない心中を歌ったものだそうだが、昭和38年(1963年)池田内閣が所得倍増計画を発表した時代を反映して、国民がみな当時の流行語であった”ハッスル”していた時代であった。”明日がある、明日がある。明日があるからさ”の歌の最後のリフレーンに実感があった。

所信表明のあった昨日、また民主党議員二人が党へ辞任届を出した。これで内閣不信任決議案可決はあと7人となった。参院での総理の所信演説は野党の反対でなかった。こんなことは憲政史上はじめてなことだ。いったい野田総理は”明日への責任”を果たすため、当面何をしてゆこうとしているのか。総理は昨日の演説のなかで「日本経済の再生」を強調していたが、積極的な策はなく、すべて日銀頼りのように素人の僕にも感じられる。

夕暮れ時の夕日の美しさに陶酔されていては困る。もう野田内閣はレーム.ダック(足の不自由なアヒル、死に体)である。にっちもさっちも行かなくなっている。”近いうち”の国民への約束を守って頂きたい。

          被災地からの「農家自慢のお米」

2012-10-29 06:22:23 | Weblog
福島県田村市の介護保健施設の施設長をしている女医の田中リナさん(インドネシア国籍)から「農家自慢のお米」の袋に入った新米が贈られてきた。老人施設は原発事故現場から34㌔の所にあり、事故直後は市内の一部が”屋内避難”になっていた。しかし、今は放射能値も低く、23年度産の産米はすべて出荷可能になっている。田村市の富塚市長は”私も自信をもってお薦めできる”とHPに書いている。

消費者のお米に対する嗜好に変化が出てきているそうだ。かっては新潟、宮城といった穀倉地帯でとれた「ささにしき」とか「こしひかり」がうまいお米の代表だったが、今は昔まづいお米として見向きもされなかった北海道産のお米がもてはやされてきて「ななつぼし」「ゆめぴりか」などの銘柄に人気がでている。昭和40年代から50年代にかけて、僕は札幌に住んでいたが、当時は道内産のお米はまずくて食べられるものではなかった。

頂戴した「農家自慢のお米」の袋には銘柄の表示はなかった。多分、田中先生が施設の御老人から直接譲ってもらったものかもしれない。しかし、この「農家自慢のお米」は全国的に新しいネットによる販売方式として広まっているみたいだ。消費者は銘柄よりは、直接生産者の”顔”の見える安全なお米を選択する傾向にあるのかもしれない。

田村市で生産された新米は富塚市長ご推薦のように美味しかった。その味は昔食糧難の頃、母親が”闇屋さん”から手に入れた玄米を家庭で一升瓶に入れて棒で搗いた、あの銀シャリの味であった。


           エビガニ(ザリガニ)捕りの想い出

2012-10-28 06:18:36 | Weblog
埼玉県のペット会社の社長が県内の川や沼で無許可の網を使ってザリガニを捕った疑いで県の生活安全企画課の告発を受けて警察に逮捕された。2002年から10年にかけて捕りに捕ったり100万匹を捕り、1匹50円から100円で観賞用に売り1億円も儲けていたという。ザリガニが人間の生活に益なのか害なのかしらないが、無許可の網を使っただけで警察に捕まるというのは、ちょっと酷な気持ちがないでもない。

ザリガニといえば昭和10年代のはじめ頃、僕は東京から電車に乗って慶応大学のある日吉まで捕りに出かけた。当時日吉はまだ畑や田んぼが一帯にあり、僕はまず蛙を捕まえて、これを餌にザリガニを釣った。僕らはエビガにと呼んでいたが、このエビガにはアメリカからやってきた”悪者”だからいくらでも捕まえてよいと大人から言われていた。食糧難の時代だったが、僕らは捕まえても食べることはなかった。敗戦の年、勤労動員先の工場のドブ川にはうようよいて、カーバイトを入れると浮かんできた想い出もある。

埼玉県のペット会社はザリガニを鑑賞用に売っていたという。カブトムシと同じように子供たちには人気があるのだろう。都会では自然が破壊されて、かっては何処にでもいたセミやトンボやバッタ類が姿を消してしまった。そういえば、今年わが家では”秋の夜長を楽しむ”虫の声を聞いたことがない。札幌に住んでいた頃、この季節になると、冬の到来を告げる”雪虫”が現れたが、今でも現れるのだろうか。

庭のない我が家のベランダに花が一輪咲いた。ダッチェという外来種の花だが自然破壊の中での一時の憩いである。

             年金生活と一万円の既製服

2012-10-27 07:04:10 | Weblog
現役を引退してすでに15年以上、最近ではめったにスーツ姿で外出する機会は少なくなった。体型はそれほど変わらぬから昔の服で十分なのだが、昨日老妻と近くの「洋服の○○」に行き、一着9900円の上下を買ってしまった。最初は来月予定している旅行用に替えズボンを買うつもりだったのだが、老妻が目玉商品のスーツを見て、これのほうが得だと強引に買わされてしまった。

今はサラリーマンにとって良い時代である。昔は“吊るし“といってバカにされていた既製服でも身体にあったものが安く買える。僕がサラリーマンになった60年前を思い出すと、当時は背広といえば洋服屋さんに頼んで誂えるのが普通だった。仮縫いもあって出来るまで二、三週間はかかった。それだけに高価で一か月の給料ぐらいしたような気がする。靴まで当時は誂えたものだった。

今は何十種類の既製服が用意されているからメタポの僕でもちょっと腹のサイズを広げただけで着られるものがあった。その加工賃とネーム入りで結局一万円は出たが安い。既製服チェーン店ができるまで、サラリーマンの衣装への負担は給料に比べて大きかった。昭和44年、僕の給料は初めて10万円を超えたのを覚えているが、その頃でも注文して洋服を作ると同じぐらいした。だから普通サラリーマンはボーナス時にやっと背広を新調したものだった。

大学三年の孫が就活運動に入るので、就活スーツを二着注文した。二着のほうが割安なのだそうだ。それも自分のアルバイトのカネで買ったとのこと。60年前、背広はアルバイトで買える代物ではなかった。たしか親に頼んで背広を作ってもらった記憶がある。時代は変わってきた。



      ”がんばれ石原慎太郎” 年寄りからのエールと注意

2012-10-26 06:48:37 | Weblog
石原慎太郎都知事が辞職して新党を結成、再び国政選挙に打って出る。石原氏は80歳、僕より学年は2年下だが、ほぼ同世代である。その知事が今月初めの記者会見で”すべては健康次第”と決意を匂わせ、健康診断の結果判断する”と述べていた。正直いって僕は自分の体力の衰えからみて、知事も”年寄りに冷や水”にならなければよいがと心配した。

しかし、昨日の記者会見をみると石原知事はとても80歳の老人とは思えない。若い時ヨットマンとして蓄えた体力があるのか、それとも何か特別な方法で体力を鍛えているのであろうか。お見かけした限りでは十分重責に耐えられる。決意にあたって”若いやつ、しっかりしろ”と檄をとばしていたが、そういわず先頭にたって、もうひと踏ん張り頑張って貰いたい。

米国の人口問題研究所によると、2050年には日本人の平均寿命は90歳になるという。それを受けてか厚生労働省も人生90歳を想定して社会保障問題に取り組んでいるようだ。石原慎太郎氏が一橋大学の学生時代「太陽の季節」で芥川賞を貰った昭和30年(1955年)の日本人男性の平均寿命は63.60歳であった。それが今は79.44歳である。石原氏が80歳で、知事をやめ新党を結成してもおかしくないのかしれない。

80歳の誕生日を迎えたとき、僕は傘寿の喜びをこのブログに書いている。平均寿命をクリアした喜びである。その自信から僕はスポーツジムに通い水中歩行と水泳を始めた。アンチエージングへの挑戦とは思わなかったのだが、それが裏目に出て帯状疱疹になってしまった。やはり歳は歳なのである。賢明な石原氏の事だから、そんなことはないと思うが、あまりとばさないほうが良い。

              選挙運動は始まっているが

2012-10-25 07:02:21 | Weblog
”朝方人間”の僕は夕方近くになると眠くなる。加齢によるもので、ちょっと微睡む程度なら健康にはよいというのだが。昨日も老妻の留守中テレビを見ていてウトウトとしたら玄関のブザーの音。あわててインターフォンをとったら、老妻の老人クラブ仲間が、宗教政党の区議を連れて挨拶に来たと事。むげにお帰り願うのは礼儀に失するので顔を出したが、挨拶とは無論”近いうち”の選挙がいよいよ近くなってきた証拠だろう。

野田総理はもう完全にやる気を失っているとしか思えない。今回の田中慶秋法務大臣の病気を理由の辞任の後を受けての人事が証明している。今年6月法相に任命したばかりの滝実氏を交代させておいて、その滝氏を再び登板させるとは何事か。緊急事態を理由にあげているが、常識的には”近く解散まで”の暫定人事である。田中氏が兼務していた拉致担当の職務は藤村官房長官が兼務するという。民主党内閣になって藤村氏が8人目の拉致担当相である。拉致問題を解決する意欲など一片もない暫定人事だ。

29日に迫った臨時国会が本当に開かれるのかどうか。野党が果たして審議に応じるのかどうか。それなのに野田総理は新党大地の鈴木宗男代表と会って”今は選挙の時ではない”と意見一致したと新聞に出ていた。新聞の中には野田総理は、このまま桜の咲く頃まで解散せず居座るつもりだという。しかし、内外に重要問題が山積している。野田内閣は完全に操舵のコントロール不可能な状態になっている。少なくとも国民の信託を受けて宰相になった人物だ。もうこれ以上政権の維持は不可能、決断の時は来ていると思っているに違いない、”近いうちに”の解散は必至だ。巷の政治家の臭いを嗅ぎつける力は強い。








             唯我独尊、朝日の傲慢な社風                 

2012-10-24 06:49:10 | Weblog
日本維新の会代表の橋下徹大阪市長が例の週刊朝日の問題について”謝り方を知らないバカ集団だ。人間ではない。犬猫鬼畜同然だ”と烈火のように怒った。週刊朝日にが誌上に編集長名でお詫びの原稿を出したが、ただそれだけで社員がその詫び状が載った週刊誌を大阪市長宛に届けただけだという。

常識では考えられない週刊朝日側の態度である。橋下市長の怒るのも当然だ。テレビの画面をみていると、よく事故や事件を起こした当事者がカメラの前で”ガン首”そろえて頭を下げている場面がある。テレビの”絵作り”上の技法だが、ご本人たちにとってはあまり気持ちのよいものではないだろう。しかし、社会を騒がせたのだから仕方がないという気持ちが視聴者にはある。週刊朝日の今回の事は、単に橋下市長への侮辱だけではなく”被差別”問題に対するマスコミの偏見である。週刊朝日は自系列のテレビ局を使い、親会社の朝日新聞社長以下がテレビの前で頭を下げるべきほどの問題だ。

マスコミにはかって新聞が”社会の木鐸”と言われていた時代のおかしな体質がある。”社会の木鐸”はよいのだが、それをよいことに唯我独尊となり、記者の日常生活まで一般社会では通じないことがあるような気がする。橋下市長は”週刊朝日の社員教育はどうなっているのか”と怒っていたが、その通りである。一般の会社なら見開きのわび状を出すほどの事件を起こしたならば、まずその時点で社長が橋下市長の所へ駆けつけ直接謝罪すべきなのである。社員教育以前の問題である。長年の唯我独尊的な傲慢な社風が特に朝日にはしみついているのだ。

          レームダック(死に体)の野田内閣

2012-10-23 06:07:53 | Weblog
2012年度上期(4月―9月)の貿易赤字が3兆2190億円と半期ベースの赤字としては過去最大である。貿易立国の我が国である。国のかじ取り役の政府の経済政策は大丈夫なのか。数日前、野田総理はとってつけたように新経済政策を発表したが、なんと補正予算を組むのではなく、予備費9000億円で景気を浮上させようというものだ。こんなチマチマとした消極策で景気はよくなるのだろうか。素人の僕でも心配だ。

野田内閣はもうレームダックである。lame duckとは足の不自由なアヒルの事だが、日本では”死に体”と訳している。足が不自由で、ニッチもサッチも行かない状態の事だ。今の野田内閣のことをよく言い当てている。民主党政権発足当初”よいしょ”と持ち上げていた朝日新聞の最新の世論調査(10月20,21日実施)でも、野田内閣の支持率は18%と二割を切った。過去の内閣の支持率を見ると、二割を切ると数か月内に解散に追い込まれている。

前原誠司国家戦略担当相が、野田総理の”近いうち解散”発言に関連し、年明けでは”近いうち”ではない、と年内解散を示唆した。国家戦略を担う大臣の発言だから間違いなかろう。民主党政権は鳩山、菅内閣とケチのつき通しである。不適当な表現で恐縮だが、博打では一度ケチがつくと、何をやってもよい目はでないものだ。まさか総理の椅子にしがみついているとは思えないが、ここは決断である。さもないと史上最低の宰相として名を残すこになろう。

               "報道タレント”の弊害

2012-10-22 06:10:07 | Weblog
日本文化大学学長の大森義夫氏が産経新聞のコラム「新聞に喝」の中で”報道タレント、池上彰氏が朝日新聞紙上で、読売新聞の記事”中国海軍、東シナ海で演習、海自を想定か”について”こんな時こそ、新聞には冷静な報道や分析が求められている”と論評したことに対して”池上さん、朝日の読者向けとはいえ味付けが甘すぎるのでは?軍事とか軍備に目をつぶっていれば平和は保てるのですか?”と書いている。

池上彰氏についての僕の知識といえば、NHK時代、子供向け報道番組でお父さん役として時事解説をしていた程度だが、最近は民放だけでなく新聞などのマスメディアでも大車輪で活躍している。僕みたいな不器用な人間には考えられないことだが、先日スペイン協会の会合に出席したら彼がスペインの経済危機にまで発言していると聞いて驚愕した。

ネット情報を見ると、池上氏が反日活動家ではないかという批判が多い。その一つに池上氏が”日中戦争をやめさせるためにABCD経済包囲網ができた”とか”終戦日の玉音放送は何を言っているか判らなかった”とテレビで言ったことを批判していた。この発言だけで池上氏を反日家と決めつけるわけにはいかないが、あの時代を知っている僕らの世代にとっては、戦後生まれ(昭和25年)の池上氏が知ったかぶりして、このような発言されるのは、あまり愉快ではない。

池上氏だけではない。最近のテレビの報道番組や新聞記事をみると、その道の専門家や権威ではない素人が登場してくるケースが多い。特にテレビ番組では、容姿とかしゃべりのうまさを優先させるのかもしれない。こういった発言は時には弊害である。僕は毎月一回、スペインの会に出席し難解な経済危機問題を勉強しているが、このブログで、とくとくとして、これを解説ほどの勇気はない。