「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         難病と現代医療体制の冷酷さ

2008-06-30 05:20:18 | Weblog
20数年行きつけの理髪店の主人が今年年頭から難病で大学病院の入退院を繰り
返している。一度は回復して店に立ったのだが、また病状が悪化して、今度は入院
が長期にわたっている、一昨日,大安の日を選んで見舞いに出かけたところ、彼は
完全にめいってしまっている。期待していた弟からの骨髄移植がHLA(組織適合)の
ミスマッチで出来なかったのが原因のようだ。

僕は病気について、あまり知識がないのだが、彼の病気はガン性の血液の難病と
のことだ。血液型にA,B,O,ABの四つがあるのは知っているが、彼の話ではさらに分
類すると、六タイプあって弟さんとは同じB型だったが、適合せず輸血のさい、拒絶
反応を起こすのだという。

彼は”打つ手は打ったのだから”と達観した表情をしていたが、内心はそうではない
に違いない。今後の治療としては、彼の血液に適応する出産後の女性の血液の輸
血を受けることだそうだが、それは数千人,数万人に一人ぐらいの確率で、なかなか
見当たらないとのことである。

僕が見舞った日は、たまたま彼の娘さんが結婚式だった。僕は前から彼がこの日を
楽しみにしていたのを知っていた。すっかり痩せこけてしまった彼は僕に言った。
「来月早々,退院を言われました。適合血液が見つかるまでは在宅治療でも同じなの
だそうです」
もう歩行も困難な患者を多分、病院の都合であろう。退院させる現代の医療体制の
冷酷さを見せつけられた。

           県の認知度より近代史

2008-06-29 05:34:39 | Weblog
国立教育政策研究所が小6、中3を対象に全国で社会科学力テストを実施したとこ
ろ、小6の39・9%が福井、徳島がどこにあるのか知らなかったという。昨年だった
かNHKの番組「どこにあるのか判らない県」で県の認知度を調査した結果では、栃
木県が島根、鳥取についで最下位だった。島根、鳥取は今回の調査でも下位であ
る。

僕は1980年代から90年にかけて、仕事で全国を旅する機会が多かったが、やはり
上記の県へはあまり行くことは少なかった。栃木県を除けば新幹線が通っておらず
交通が不便なうえ、県自体の面積も小さい。戦前は社会という課目はなく「地理」と
いう名で、こういったことを学んだ。徹底した暗記教育だったが、多分、同じテストを
当時の子供にしても同じ結果が出たと思う。

むしろ今回の調査で心配なのは、同時に行った「日本史」の調査で「大久保利通」「木
戸孝允」「大隈重信」といった明治の元勲の知名度が非常に低いことだ。”明治は遠く
なりにけり”で、明治維新後の日本の近代史が学校現場で軽視されている証左かもし
れない。「東郷元帥」「乃木将軍」について調査すれば、認知度は多分ゼロに近いに違
いだろう。

若い世代の、ほとんどの人が言うことだが、日本の現代史は”時間がなくなった”という
理由で教わっていない。多分「戦争」解釈について面倒だから、教育現場は”時間”に
かこつけて避けて通っているのではないか。この結果、自分の国の現代史を知らない
不幸な日本人が多くなってきている。

          国民のショックの解消策

2008-06-28 05:55:07 | Weblog
米国が北朝鮮に対するテロ国家指定を解除したことに町村信孝官房長官がハドリー
米大統領補佐官に電話して「日本国民はショックを受けている」と伝えたという。その
通りである。他国の無辜の人間を勝手に拉致して返さない。その中には13歳の少女
まで入っている。この行為はテロ国家、ならず者国家の何ものでもない。これを一方
的に最大の友好国が指定を解除するのだから"ショック”である。

が、この国のトップの政治家は、あまりショックを感じていない、ように僕には見える。
この決定は、あらかじめ予想されていた米国の既定路線であるかのようにケロりとし
た顔をしている。そして「今後も友好国と緊密な連絡を取って解決に努める」としてい
る。”拉致問題は自分が解決する”と豪語されておられる方だから相当問題解決に自
信がおありと思われる。ぜひ国民はその通り早期解決を望んでいる。

それにしては、この問題解決をめぐる周囲の環境がうるさすぎる。昨年までトップだっ
た前総理が仲間の元副総裁の発言をとらえて”百害あって利権あり”と批判するなど
国の外交が一元化していない印象を国民に与えている。

昨日京都で閉幕した主要国外相会議は、拉致問題解決に北朝鮮が行動をとることを
要求する声明を採択した。その通りである。来週の洞爺湖サミットを前に北朝鮮がなん
らかの信頼できる行動を起こせば、僕らのショックも解消される。福田総理への信頼
も一挙に解決される最大のチャンスである。

          冠婚葬祭にクールビズは?

2008-06-27 05:28:34 | Weblog
クールビズも3年目に入って定着してきた感じだ。昨日用事があって東京・大手町
のビジネス街に出かけたが、”梅雨冷え”にもかかわらず、ノーネクタイのサラりー
マンの姿が多かった。高温多湿のこの時期、きちんとネクタイをしめ満員電車にゆ
られての都会の通勤は難行苦行であった。もう遠くなった現役時代のことを想い出
した。

クールビズも多様化してきた。沖縄の”かりゆし”ウエアが人気を呼んでいる。本州
に比べて、さらに高温の沖縄では服装の簡素化は必要で歓迎である。色々な柄模
様の沖縄伝統のシャツが出回っている。特徴は半そで、開襟で、シャツの裾はズボ
ンから出して着るよう短くカットされている。

沖縄戦が事実上終わった6月23日、テレビで慰霊祭を見、犠牲者に思いをはせたが、
仲井沖縄県知事が黒の半そで開襟シャツで参拝していた。”かりゆし”ウエアかどう
かはわからなうが、僕の目には不適切に映った。クールビズ(cool-biz)の”biz"は、
”business"だ。そして”かりゆし”は沖縄方言で”めでたい”という意味があるそうだ。

常夏のインドネシアではジャワ更紗で作ったカラフルなシャツが公用着として定着し
ている。ただし半袖は許されていない。多分、人前では肌を見せないというイスラムの
慣習からきているものだろう。日本では明治以後、冠婚葬祭には黒服を着用、ネクタ
イで冠婚と葬祭を区別している。果たしてこれが適切なのかどうかは解らない。ただ
時代の流行や都合で長年の習慣を捨てるのはどんなものだろうか。


        インドネシアの貧乏人の尺度

2008-06-26 05:18:16 | Weblog
OPEC(石油生産国機構)加盟国の中でも、消費が生産を上回るインドネシアでは
原油価格の高騰による燃料費の値上がりが国民生活を直撃、政府の燃料政策に
抗議する学生たちのデモ続いている。政府は対策の一つとして全国の生活貧困層
家庭に一世帯当り10万ルピア(約1200円)を支給する方針だ。インドネシアでは2億
2千万のうち3800万人が貧困ラインにある。

インドネシア国家開発庁と中央統計局が発表した貧困層判定の基準尺度が14項目
が現地の新聞に載っていた。そのうち主なものを紹介してみる。(1)8㎡以下の面積
の家に住んでいる(2)トイレや電気がない(3)きれいな水が入手しにくい(4)煮炊き
に薪や木炭を使っている(5)肉や牛乳の摂取が週に1回(6)食事は1日に1回または
2回(6)衣料品1組を購入するのは年に1回(7)世帯主の月収は60万ルピア(約7200
円)。

もちろん、わが国とは生活基準や貨幣価値は異なるが、貧困層の家屋の広さが8㎡
というのは興味深い。江戸時代、長屋の貧しい家屋を九尺二間と呼んだ。奥行が二間、
間口が九尺ということだ。これを今様に計算すと約10㎡。これより狭い。しかし、東京
では古い木賃アパートの一室に住む人もいる。8㎡以下である。ホームレスのダンボー
ル住宅ももちろん、それ以下。

インドネシアにはホームレスを見かけない。一日1回の食事でも餓死したという話もあま
り聞いたことがない。常夏の国だから衣類もあまり要らない。わが国の尺度とは違う。

              東京のメダカ

2008-06-25 04:48:38 | Weblog
絶滅したと思われていた純粋種の東京のメダカが杉並区の個人の住宅の池で発見され
た、と昨日のNHKテレビが伝えていた。このメダカはDNA鑑定の結果、東日本一型という
東京の純粋のメダカと認定された。なにかエコ時代に相応しいほのぼのとした話題だ。

発見されたのは,須田孫七さん(77歳)の庭の畳二畳ほどの池で、20匹が生息していた。
このメダカは須田さんが少年時代の戦争中、近くの田圃から捕ってきて家の防火用水に
ボーフラ退治用に飼っていたものだという。いかにも時代を感じさせる。戦前、まだ杉並に
は田圃があったし、家々の前にはどこも空襲のさいのコンクリートの防火用水が置いてあ
った。そして蚊の幼虫のボーフラに悩まされていたのだ。

戦前、僕の住んでいた五反田でもメダカが捕れた。家の近くの白金の聖心女学院の庭に
はきれいな小川が流れていて、僕は庭に忍び込んでメダカや大きなオタマジャクシを”盗
み”捕った。学校の水泳プールにもトンボの幼虫のヤゴや水すましが泳いでいた。

戦中戦後の60年余、メダカにとってもきびしい時代だったが、よくぞ生き延びていてくれた
ものだ。須田さん宅の貴重なメダカは種の保存のため、近くの学校にも配られるとのこと。
文字通り「メダカの学校」である。
         ▽「メダカの学校」(作詞 茶木滋 作曲 中田喜直)
          メダカの学校は 川の中  そっとのぞいてみてごらん
          みんなで お遊戯しているよ
昭和26年NHKの「歌のおけいこ」から。

         海難事故と日本の中古船

2008-06-24 05:13:59 | Weblog
マニラから観光地セブ島へ向かっていたフィリピンのフェリー客船が台風による
高波で沈没、800人以上が絶望だという。フィリピン海域は”台風銀座”。第二次
大戦中の昭和19年12月、アメリカ第3艦隊が台風に遭遇、駆逐艦数隻が沈没し、
800人が死亡した、という記録もあるほどだ。

フィリピン最大の海難事故は昭和62年12月、タブラス海峡ででタンカーと衝突して
沈没した貨客船「ドニャ・パス」で、4375人が行方不明となっている。この船はかっ
て琉球海運に所属していた「ひめゆり号」であった。平成19年ジャワ沖で沈没した
カリマンタンと中部ジャワを結ぶ定期フェリー「センパティ」も瀬戸内海航路の日本
の中古船であった。

フィリピンやインドネシアなどの多島国家では、フェリーは庶民の足だが、大型船
の建造能力がない。そのため日本の中古船を購入することが多い。現にセブ島で
就役している「Cebuferry 1」 も最近まで南海フェリーで活躍していた。42年前、
僕はスマトラのメダンからジャワのタンジュン・プリオクまで乗った船は、かって引揚
船として活躍した「興安丸」で、当時すでに船齢30歳の老船だった。船舶不足から
インドネシア政府が、日本の民間会社から船員ごとチャーターしていた。

わが国の造船技術は高く、中古船でも十分安全だと、僕の知り合いのシンガポール
の友人がいっていた。彼は定期的に日本の中古漁船の買い付けにやってくる。彼の
話では、事故の多いのはメンテナンスに問題があることや定員以上に客を乗せたり
する規則違反からだという。もし人為事故が原因ならば、痛ましい。


       枇杷(びわ)の実の自然と季節感

2008-06-23 05:38:37 | Weblog
梅雨の晴れ間をぬって買物に出かけたら近所のお屋敷に植木屋が入って枇杷の実
を取っていた。僕はそれを横目にみながら一粒ぐらい食べたいなあと思った。夕刻、
老妻が帰宅するのを見ると、手に先ほどの枇杷の実の枝を下げてきている。老妻の話
では持主に”おいしそうですね”と声をかけたら”どうぞ”とくださったのだという。"口は
生きているうちに使え”という俚言があるが、その通りだ。

枇杷は今がシーズンである。東京の区部でも戦前は小さな借家の庭にも枇杷の木があ
った。そして悪戯っ子がもぎ取って食べても別に怒られるでもなかった。が、最近は、そ
の枇杷の木も少なくなってきた。第一、家が軒と軒とを接し庭がなくなってきてしまった。

老妻が頂戴してきた枇杷の小枝には、10㎝ほどの実が10数粒ついていた。早速一粒もい
でたべた。子供のとき食べたあの味である。感激したのは中に六つも種が入っていた。種
の有無が果物の自然度のバロメーターかどうかは知らないが、種無しの果物はなにか昔
を想いだしほっとする。

昔、6月は果物の端境期で、露地もののイチゴ、サクランボ、枇杷、そして、あのすっぱい
夏ミカンしかなかった。北原白秋のゆりかごの歌の2番に”ゆりかごの上に、枇杷の実が
揺れるよ、ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ”という歌詞がある。老人の繰言かもしれない
が、昔は自然があり季節感があって、時がゆっくり流れていた。

           天窓事故は想定内

2008-06-22 04:54:20 | Weblog
東京杉並第十小学校の6年生の屋上天窓からの事故は本当に痛ましい。防げなか
ったものだろうか?学校側は”人が天窓に乗ることなど想定外”と新聞に書いてあ
ったが、果たしてそうだろうか?学校当局は日常的に子供に接しており、先生方は
言ってみれば、子供の行動について、よく知っているはずだ。

子供は大人と違い、まったく考えも及ばない行動をする。僕も60数年前の昔をふりか
えり、今でも冷やりとする。山手線の線路の上に釘を置いて磁石を作った悪戯。目黒
川の下水道の奥深く潜入した”探検ゴッコ”などなど。僕の右目は隣の小学校との石
合戦の石が当り失明してしまった。

今でも子供の世界は同じである。悪戯や冒険は子供が大人へ成長してゆく過程での
行動だ。最近の子供は外で遊ばなくなったというが、遊びへの本能が失われたわけ
ではない。ふだん、見慣れない天窓があれば、それに乗ってみたくなる。彼らは天窓
が抜けるとは思っていない。やはり学校内の施設である。前もって危険である旨表示
しておくべきだった。

たまたま偶然とは思うが、事故のあった小学校は、あの”夜スペ”で話題になった学校
教育に”塾”を取り入れた中学校の近くである。そんなことはないと思うが、この近辺の
子供たちは、日頃”塾”におわれて遊びや悪戯に餓えているのではないだろうか。

子供時代は二度とはこない。思い切って遊ばせてやろう。遊びの中から社会のいろいろ
の姿が見えてくる。

          出先医療行政のズッコケ

2008-06-21 05:40:13 | Weblog
6月ー11月の期間、僕の住んでいる東京・目黒区では40歳以上の「成人健康
診査」が実施中と病院にポスターが張ってあった。先日、かかりつけの医者に
この診査を予約し、検便器具まで貰って、昨日クリニックへ出かけたら無駄足
だった。

理由は、まだ目黒区の担当課から、区民に診査券が発送されていないのだ。こ
ちらは医者から検便器具まで貰い予約しており、しかも月も半ばをすぎている。て
っきり、診査して貰えると思い、前夜から何も食べていない。高齢になると、物をし
まい忘れることが多い。僕らは診査券を区から貰ったが、どこかへしまい忘れてい
たと錯覚していたのだ。

事ほど左様に、後期高齢者になると、残念ながらボケてくる。しかし、反面行政側
にも文句を言いたくなる。ポスターには、はっきりと6月と書いてある。老い先短い
老人は気も短かくなっている。一日も早く自分の健康状態をチェックしておきたい
ものだが、区からの診査券の発送は来週23日以降からだという。

一時が万事、目黒区の福祉関係の仕事は不親切で、僕に言わせればズッコケて
いる。後期高齢者医療も事務手続きの遅れを理由に10月の年金から4月ー6月分
の未納分を上乗せして徴収するコンタンのようだ。僕らの都合で未納にしたわけ
ではないのだ。年金の支払いは2か月に一度なのに、徴収する時は勝手に3か月
を一度に天引きする。厚労省のおえら方は、出先現場のズッコケを知っているの
だろうか。