「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          憧れの日本への夢

2007-07-31 05:30:42 | Weblog
メダンに住むインド系インドネシア人のケネディ君から上手な日本語の手
紙を貰った。
「日本に住み働いたり勉強したりすることは、多くのインドネシア人の夢で
ですが、それは簡単なことではありません。去年、私は日本で働くチャンス
がありましたが、私の歳ではもうだめで、夢の実現はできませんでした」
(ママ)

ケネディ君は10年前、僕がボランティアでメダンの外国語学校で日本語を
教えていた時の生徒である。先祖はオランダ植民地時代、タバコ農園の労
働者として南インドから来た。彼は日本語を学び、現地の日本企業に勤務し
たかったようだが、メダンには希望の勤務先はなく、今は日本語講師として
僅かな収入で生活している。

北スマトラのメダンに近いアサハンに住むハシモト君とも僕は文通がある。彼
は名前でも判る様に日系である。彼のお父さんは戦争中日本が接収した油ヤ
シ農園で働いていた技師だったが、敗戦後現地の女性との間にできたハシモト
君兄弟(双子)を置いて帰国した。彼の手紙から父親は九州出身なことは判っ
たが、すでに故人で親族は兄弟との接触を拒んだ。親族の同意があれば、彼
らは希望の日本で働けるのだが、その夢もたたれた。

日本は彼らからみれば夢の国である。依然、3Kの職場であれば、働く場所は
ある。ケネディ君の手紙には、年齢から日本行きは難しいので、食べてゆくた
めに小さな雑貨店でも開きたいと書いてある。所望はしていないが、言外には
開店資金の融通依頼なのだ。世界の貧富の格差問題である。



     自民党の大敗  自民党の退廃

2007-07-30 05:57:47 | Weblog
参院選の自民党の大敗は事前から予測されていた。だから選挙前から党の
執行部は、負けても安倍政権の交替がない旨、予防線を張っていた。そして
選挙結果が出始め、趨勢が大敗とわかると、待っていたとばかり、同じことを
繰り替えして言った。安倍総理によると”新しい国造り(”美しい国造り”とは
言わなかった)は緒についたばかり、やりとげないことが多すぎる”ということ
だが、正直いって国民は、選挙結果のようにこの内閣に期待はしていない。

昔から「巧言令色鮮牟仁」という言葉がある。うまい言葉をいう人にかぎって
誠意はない、ということだが、安倍総理は”まさに”(この人の口癖)"巧言令
色”のように見えた。政策に"美しい国造り”という美言を掲げながら、その実
態は"政治とカネ""芸者と玉代"など旧態依然ぶりだ。

僕ら老人はどちらかというと保守的だ。事実、僕も選挙ではいつも自民党に投
票していたが、さすがに昨日はやめた。理由は老人の目からみても政治が生
活者からあまりにも遊離しているように感じたからだ。シャッターの下りた地方
都市、農漁村の疲弊、広がる貧富の格差などなど。”芸者の玉代”で表徴され
る自民党政治とはかけ離れすぎている。

参院戦の自民党の大敗は、自民党の退廃であり、おごりである。安倍総理が
いくらきれいごとをいっても信じられない。言わせて貰えば、僅かばかりの老後
の蓄え者にも健保の三割自己負担を課すような政治家には、"美しい国造り”
など口にする資格はない。いさぎよく退陣すべきだ。




          セミの声をはじめて聞いた!

2007-07-29 06:33:29 | Weblog
昨日、セミの声を今年はじめて聞いた。それもアブラゼミではなく、ミンミン
ゼミである。戦争前、東京の区部ではセミの鳴き声にも順番があった。7月
上旬、ニイニイゼミが鳴きだし、ついで夏休みの頃からアブラゼミが一斉に
鳴きだした。目黒川沿いの低地にはミンミンゼミやツクツクボウシなど羽が
透明なセミはあまりいなかった。ヒグラシの声は聞いたことがなかった。

トンボは町のどこにもいたが、たいがいはシオカラとムギワラであった。大型
の”高級トンボ"、ギンやチャンは皇后陛下の実家のあった池田山や島津山
などの台地へ行かないととれなかった。当時東京の子供達は竹竿に鳥もち
を塗り、セミやトンボをとっていたが、子供心にも残酷に感じていた。

夏らしい陽が照りつけた昨日、目黒不動の縁日へ出かけた。さすがに境内は
アブラゼミの大合唱であった。”男坂”横の独鈷の滝は昔、同様湧き水が流れ
ていたが水量は少なかった。子供のときは”男坂”を一気に駆け登ったが、今
はとてもそんな元気はない。傾斜のゆるい”女坂”をゆっくりゆっくり登った。

炎天下、どうしてこんなにお年寄りが集まるのだろうかー。僕らも、その仲間な
のだが、善男善女ぶりして手をあわせ、病気除けの線香の煙を頭に招き寄せた。
認知症予防に役立てばと願ってである。そして大日如来にもお賽銭をあげた。
これは宝籤に当たるのを願ってである。



           アジア杯敗退の教訓

2007-07-29 05:22:51 | Weblog
アジア杯サッカーの三位決定戦、日本と韓国の試合をテレビで観た。試合は
前後半90分、延長戦30分でも0対0のまま決着がつかず、結局、サドウンレ
スのPK合戦のすえ韓国に負け、次期2011年の大会のシード権を失った。

試合は両チーム”死闘”をつくして日韓の試合にふさわしいゲームだったが、
幾つかの教訓を残した。その一つはAFC(アジア・サッカー連盟)のたび重
さなる不手際で、日本チームの試合参加のコンディションが十分ではなかっ
たことだ。前開催地のハノイから、パレンバンまでの移動時間をAFC側に一
任した(本来は当然のことだが)が、途上国の飛行機は必ずしも時間通りには
行かない。またホテルのブッキングでもトラブルがあったが、これも言語習慣
の違いいというハンディがあることを事前にわからなかったことだ。これでは
戦う前から日本側に不利だ。

もう一つの教訓は勝利への執念が韓国より低いことだ。韓国は監督コーチ陣が
韓国人の気性を知り尽くしているのだろう。反則、退場処分を受けてもさらに
反則を繰り返し、選手達を奮い立たせた。一方の日本のオシム監督はPK戦に
なると、心臓に悪いからとベンチに引っ込んでしまった。PK戦では双方に技
術的な違いはない。最後は気力であろう。

最後に昨日のブログの関連で。画面で見る限り、韓国の国旗のほうが日の丸より
多かった。多分、インドネシアのテレビ・チームに製作を依頼したのであろう。
”ニッポン・ニッポン”のサポーターは画面に紹介されなかった。

          パレンバンのアジア杯

2007-07-28 04:57:24 | Weblog
この10年ぐらい東南アジアの国々を歩くと、日本人より韓国人が多い”のに
驚く。観光客もそうだが、長期滞在者とみられる人もそうだ。かっては日本人
”天国”といわれたインドネシアでも、現在は在留邦人1万1千人に対し韓国
人は、ある統計によると、4倍の4万人近く滞在している。

このインドネシアのパレンバン(スマトラ)で、今日28日、日韓両国の間でアジ
ア杯三位をかけて試合がある。優勝戦ではないので、あまり関心はないが、勝
者には2011年の次期大会のシード権が与えれるので、関係者には大事な試
合だ。

今回の大会の開催国の一つであるインドネシアのサッカー熱とその盛り上がり
は想像以上のようだ。先日、首都ジャカルタで行われた韓国戦には1対0で惜
敗したが、ユドヨノ大統領も観戦した。日本が豪州に勝った試合については一
般紙まで一面で、まるで自国が勝ったような報道ぶりだった。

70歳以上の日本人にはパレンバンの名前は懐かしい。さきの戦争で日本陸軍 
の落下傘部隊が降下した場所だ。これを讃えた軍歌「空の神兵」(作詞梅木三郎
作曲高木東六)は有名だ。
          ○ 藍より蒼き大空に大空に
            たちまち開く百千の
            真白きバラの花模様
            見よ落下傘 空を降り
            見よ落下傘 空を征く
            見よ落下傘 空を征く

65年前「空の神兵」が降り立った地での試合、勝敗の行方もさることながら、
現地サポーターが、日本を応援するのか韓国なのか興味深い。
                      
 




       昭和21年、復活中等(高校)野球

2007-07-27 05:37:23 | Weblog
首都圏ではまだ梅雨明け宣言もないのに僕の”夏”は終わった。毎年、僕ら
は母校の野球応援を年中行事にしているが、今年はもう早々と1回戦で敗退
してしまった。野球の応援が終わると、僕らは気抜けして”夏”が終わったも
同然な気になってしまう。

先日、新聞のスポーツ欄に昭和21年夏、戦後初の全国中等学校(高校野球)
に出場した"球児”たちの"同窓会”の記事があった、この年は甲子園が進駐
軍に接収されていて、大会は西宮球場で開催された。全国の予選を勝ち抜い
た19校が参加して浪華商業が優勝した。

僕らの母校は東京の予選第1回戦で、波華商に準決勝で敗れた東京高師付
属中学(筑波大学付属高校)に当たり18対6で負けた。昭和21年は食糧難
のピークで、5月には”米よこせ”メーデーが起き、デモ隊が皇居に押し寄せ、
僕らの学校は半日授業であった。

高師付属中との試合は同校の小石川の校庭で行われた。僕らも応援に駆け
つけたが、校庭はザリまじりで、もちろん観覧席などなく立ったまま応援した。
わが母校の選手はユニフォームもなく運動靴であった。

あれから61年、かってハラペコで白球を追った"球児”も応援に声をはりあげ
た紅顔の少年たちもすでに70歳代の後半である。周囲には”食”は満ち溢れ
ているが、残念ながら、血糖値や血圧を気にする年代になった。ただ気力だけ
は昔のままだと自負しているのだがー。

         ”芸者の玉代” 料亭政治

2007-07-26 05:38:26 | Weblog
山本拓農水副大臣が「自殺した松岡大臣の多額の事務所費は"芸者の花代”に
使われた」と発言した。周囲からたしらめられて"冗談だった”と謝罪したというが
”冗談”にしては度がすぎる。多分、彼も大臣のご相伴に預かっていたと、ゲスは
勘ぐりたくなる。

”花代”なんという言葉を久しぶりに聞いた。若い世代は理解できるのだろうかー
? こんな古い、閉鎖的な”料亭政治”が、いまだに永田町の政治家の間で横行
しているのだろうかー?僕はこれを聞いて、ビックリ、ガックリそして怒りを感じた。
税金のムダ使いである。故人に対する侮辱問題だけではない。

山本副大臣の”不用意”の発言で、永田町の相も変らぬ政治の一端をかいまみた
が、調べてみたら安倍総理も幹事長代理時代、60回、950万円を料亭で使用し
たと政治資金収支報告書に記載している(2002年)。”料亭政治”は総理のお
父さんの時代にも目にあまるものがあり、世論に叩かれて赤坂の夜の花柳街か
ら政治家の高級車が消えたことがあった。

”清新”なイメージで登場した安倍内閣であり、僕も期待していたが、相も変らぬ
”料亭政治”のようだ。この内閣から”清新さ”を取ったら何がのこるのかー。
世継政治家は変なところを真似ないで欲しい。世論調査で”人柄”まで下降線をた
どっているそうだが、わかるような気がする。
せっかく立派な議員会館を作ったのだから、それに相応しい会議室を設けて話し
合いをしたらどうなのか。

            こわい原発の人為事故

2007-07-25 05:48:14 | Weblog
きのう小ブログで「柏原原発の"風評災害”について書いた。僕は日本の科学技
術に信頼を置いている。さもなければ、55基の原子炉が稼動している、この小さ
な国には住めない。また安全だから政府もこれを許可している。

このブログに対してこの方面の知識に詳しいchengguangさんからコメントを頂き,
”風評被害”の一因は、一部報道機関の知識の欠如によるのではないかとのご
指摘を頂いた。つまり、国や東電の発表を、よく理解できずに活字にしている、と
いうご意見である。そして、コメントの中で、原発の監視体制に触れられていた。

その矢先も矢先、北海道電力が泊原に建設中の原発建屋内できのうボヤがあっ
た。北電の発表では7月に入って3件もの不審火が発生、このほか溶接用機械の
電源コードが切断されていたという。原子炉が稼動以前のこととはいえ、危険物
はなかったのかー。監視体制はどうなっていたのかー。

柏原原発の変電所火災は鎮火までに2時間もかかった。発電所には自社の消
防隊組織はなかったのかー。危機管理のマニュアルはあったのかどうかー。な
により感じたのは地域の警察、消防との連携がどうなっていたのかーである。
柏原に限らず、全国の55原発について、国と電力会社は、今回の地震を契機
に人為的な事故が起こらないよう、もう一度危機管理面の点検をお願いする。
歳をとったせいか、最近、人間不信を時々感じるようになった。






        柏崎原発の"風評被害”

2007-07-24 05:36:56 | Weblog
これだけ情報社会なのに依然"風評被害”があとを絶たない。中越沖地震でも
そうだ。地震被害も出ていない寺泊海水浴場はシーズンを前にキャンセルが続
出しているという。知事まで漁港に赴きサカナの安全宣言までしている。これは
どうやら地震直後の国や東京電力の対応の拙さからきていると思う。

地震直後テレビで柏崎原発の変圧器の火災の黒煙が映し出された。しかし、こ
れは原子炉とは直接関係ない施設で、原子炉本体は地震と同時に稼動をストッ
プしたことを知り安心した。もともと僕は国の原子力安全政策に万幅の信用を置
いている。置いていなければこの国には住んでいられない。

問題はその後の国と東電の対応である。原子炉本体に異常がないから安心した
のであろうかー。変圧器の消火に2時間もかかり、原子炉が止まったから問題な
いとみたのか、プレス・レリースも遅れている。さらに発表した数値に誤りがあり、
訂正している。非常時なことは解るが、まず必要なのは漏洩した放射性物質の数
値がまったく地域住民や付近の農水産業に影響ないことを明らかにすべきだった。

日本人は「原子力」にセンシティブである。国の原子力安全保安院や東電の専門
家にとっては、まったく問題がなくても、一般庶民にとっては”数値”の安全性では
なくて、放射性物質の”漏洩”である。IAEA(国際原子力機関)の調査など必要ない
事故だが、"風評被害”の拡散防止には役立つだろう。



       「東京音頭」 東京の盆踊り

2007-07-23 05:55:37 | Weblog
東京はまだ梅雨明け宣言が出ていない。夏休みに入ったというのに子供たち
の顔色はいま一つさえない。が、幸い夕方になると雨も上がってくる。昨日、
一昨日と、近くの小学校の校庭で"盆踊り"大会が開かれた。

老妻に”連れられて”昨夕、会場をのぞいてみた。人工芝の校庭の真ん中に
組まれたやぐらの上から子供たちの叩く太鼓の音が響くが、歌はテープから
のものだ。浴衣姿の少女たちに混じって老妻も、よせばよいのに踊りの輪に
なる。

僕がこの世に生まれて最初の記憶は「東京音頭」のあのメロディだ。
        ○「東京音頭」 西条八十作詞 中山晋平作曲
       はあ踊り踊るなら チョイと東京音頭ヨイヨイ
       花の都の花の都の真ん中で サテ
       ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイヨイ
       ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイヨイ
昭和8年6月発売のレコードだが、僕は満で2歳ちょっとの頃だ。母の実家
の馬小屋を改造した小部屋で、この歌を歌った。ヤットナが納豆の音に聞こ
えた記憶がある。東京の区部でも馬車が走っていた頃だ。

「東京音頭」が流行してから数年で、東京も国防色がハバをきかせ、盆踊
りも出来なくなった。女性たちも”モンペ”姿に変わり、浴衣姿も消えた。
今年は女性の浴衣姿がめだつ。平和でよいことだ。女性が”モンペ”姿で
防空訓練をやっていた頃が悪夢のように想いだされる。