「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          「里の秋」 「兵隊さんと汽車」

2009-10-31 05:28:09 | Weblog
家の近くのラジオ体操会場の落葉がめだち、すっかり秋も深まってきた。昨日、老人
会で歌の会があり、今の季節にぴったりの「里の秋」を合唱した。

          ♯「里の秋」 作詞斉藤信夫 作曲海沼実
       一 静かな静かな里の秋 お瀬戸に木ノ実の落ちる音
         おかさんとただ二人 栗の実にてます いろり端
       三 さよならさよなら椰子の島 お船にゆられ帰られる
         おとうさんはご無事でと 今夜もかさんと祈ります 

使っている歌唱集には昭和16年9月発表とあるが、三番の内容は、どうみても父さんが
南方から無事復員するのを祈る歌だ。調べて見たら作詞者の斉藤信夫は16年「星月夜」
で作詞した時は出征兵士の武運を祈る内容だったが、戦後作曲家の海沼実がNHKの番
組「復員だより」の前奏に使うさいに今のようになったのだそうだ。

同じような例に童謡「汽車ぽっぽ」がある。この歌も作詞家の富原薫は昭和13年「兵隊さん
と汽車」で発表しヒットしてている。僕も歌った記憶がある。

            ♯「兵隊さんと汽車」
         汽車汽車ポッポポッポ シユポッポ
         シュポッポ シュポッポ 兵隊さんを乗せて
         シュポッポ シュポッポ シュポッポ
         僕らも手に手に日の丸の旗をふりふり送りませう
         萬歳萬歳萬歳 兵隊さん兵隊さん大萬歳

作詞家の富原薫は昭和12年、学校の先生をしていた御殿場で、御殿場線を走る出征列車
を詞にしたものだが、戦後の20年12月、童謡歌手の川田正子がNHKの「紅白歌試合」で歌
うさい、兵隊さんではまずいので今の歌詞になった。僕ら「銃後の小国民」世代は戦争中の
歌は戦後歌うのを禁止されたが、歌詞が変わったため、今でも歌える数少ない歌だ。





      「後期医療」 鳩山総理の詭弁に怒り

2009-10-30 05:16:42 | Weblog
鳩山総理はやはり巧言令色、口だけ上手で誠意のない人物である。昨日の「後期高齢
者医制度」についての共産党志位委員長の国会質問への答弁を僕はテレビでみたが、
よくもしらじらしく、こんなことを言えるのかと強い怒りさえ感じた。

「後期高齢者医療制度」の廃止は民主党のマニフェスト(政権公約)の目玉の一つでは
なかったのか。連立政権樹立のさいも社民、国民新党との間で合意した政策ではなかっ
たのか。にもかかわらず、昨日の鳩山答弁は、廃止は廃止でも二年先の廃止であり、代
案も明示せず、しかも多額な費用がかかる、と逃げ一方、逆に廃止が出来ないのは実施
機関の地域連合の反対があるからだ、と責任を転嫁している。これは詭弁である。日本の
医療の現実からみれば「後期医療」の廃止は、素人の僕でさえ出来ないことは最初からわ
かっていた。

民主党の掲げている政権公約は、どれも羊頭狗肉にみえてきた。政権公約が達成出来な
ければ責任をとると鳩山総理は言っているが、日本丸の沈没の危険を早くも国民は抱き始
めてきている。後期高齢者は75歳以上の老人である。それを二年先でないと廃止できない、
代案も明示できないというのでは、政権公約は結局"年寄りだまし”だったのである。だ
ますという点では"振り込め詐偽”と一緒である。

鳩山答弁に対し、”ユーゲント”教育を受けた連中が、バカの一つ覚えみたいに拍手を送って
いた。みっともない。後期高齢者は民主党を信じてはいけない。

   小沢幹事長の"横ヤリ"と"ユーゲント”の素質

2009-10-29 05:34:46 | Weblog
来年度予算のムダ削減に取り組んでいる政府の行政刷新会議のワーキング・グループ
のメンバーに当初決まっていた一年生議員が小沢幹事長の"鶴の一声”で締め出され
三年生議員以上になったそうだ。随分おかしな話だが、一年生議員の研修会のあと国会
でのヤジの飛ばし方を真剣に講師に聞いている議員を見て小沢幹事長の心配もむりから
ぬことかと思ったりもした。

衆院本会議での代表質問が昨日から始まり、その模様をテレビでみたが、なぜか与党民
主党からの質問はなく野党だけだった。研修で教育を受けた成果が上がったのだろうか、
自民党の谷垣総裁から"ヒトラー・ユーゲント”と酷評された民主党一年生議員の拍手があ
まり気にならなかった。と、いうより鳩山総理の答弁がしどろもどろの詭弁で、これでは拍手
の送りようがなかったのかもしれない。

一年生議員全員が”ユーゲント”ではない。一年生議員の一人、石田芳弘 議員(前犬山市長)
が早くも小沢幹事長の”横ヤリ人事”を批判して産経新聞にこんなことを言っている。
「当選一回の議員は政界の手練手管は素人かも知れないが、市民感覚を汲み取る能力はよ
り優れている。”永田町ズレ”していない一回生の新鮮な感覚を生かすべきだ。私は鳩山総理
から”しっかりやってくれ”と激励された。(小沢幹事長は)次の選挙のことばかりいっているが、
それは”政治屋”で政治家ではない」

石田議員のいうのは一理ある。有権者は候補者に期待して一票を投じている。それを一回生
だからといって差別し”永田町ズレ”の研修をするのでは、やはりナチの”ユーゲント”教育と批
判されても仕方がない。それより鳩山内閣の閣僚間の意見の不一致が目立ちすぎる。閣僚の
研修も必要ではないのだろうか。小沢幹事長いかが?

           外飲み”はソバ屋で

2009-10-28 05:34:34 | Weblog
馬齢を重ねると"外飲み”の機会がめっきり減り、このところ僕ももっぱら今流行り
の”家飲み”派になった。仲間との交流で情報を収集したり、上役の悪口を言う必
要もなくなってきた。自分のペースで飲むほうが健康にもよいし、何より経済的な
ことがわかってきた。

でも時には気のあった友人と"外飲み”するのも老人の精神衛生上よい。咋夕も4
時半というハンパな時間から40年来の旧友と横浜のゆきつけのソバ屋で、杯を交
わした。作家の池波正太郎が”まだたそがれには、少し早いがちょっとした肴で酒
を飲むのがよい”と、その楽しみを一文しているが、僕らの会も偶然いつもこの時間
から始まる。老人には夜遅くまでの酒はよくない、ただそれだけの事なのだが。

江戸時代からソバ屋で飲むのが通だとされている。昭和時代の通人、作家の山口瞳
もソバ屋で飲むのが好きで、肴には鴨南蛮のソバ抜きとか天婦羅ソバのソバ抜きが
好きだったようだ。僕は最初からもりソバをとり、そのほか"ちょっとした肴”で酒を飲む。
昨夕は「板わさ」に「がんも」を少々。

"家飲み”の方が肴が豊富だし、安上がりだが、”外飲み”は"外飲み”の良さがある。
年寄りといえども、同世代の情報交換は、やはり”あらまほしき”だ。それよりもお互い
に若く元気だった頃のバカ話をしながら、杯を交わすのが最高の喜びである。そういえ
ば、昨夕の席にも僕らと同年輩とおぼしき年寄りが何組か同じように酒を飲んでいた。






     民主党は巧言令色 ヒットラー・ユーゲント

2009-10-27 05:11:33 | Weblog
鳩山総理の衆院本会議での所信演説をテレビ放送でみた。「論語」が静かなブーム
だそうだが、それにあやかって言わせてもらえば、演説は”巧言令色鮮仁”(論語・
学而)のように僕にはみえた。三省堂の「慣用句ことわざ」辞典によれば”巧言令色”
の意味は「うまく言葉を飾ったり顔色をつくったりする者には人の道を心得た者が少な
い。心にもないことを言っておべっかを使う八方美人には誠意のある人間は少ない」
である。

その例を一つだけ。昨日も小ブログは「後期高齢者医療制度」の廃止について民主党
の政権公約違反について書いたが、所信演説では僅かに"廃止に向かって検討を進
めている”と触れただけだ。選挙の前には、マニフェストの目玉の一つとしてあれだけ
大声をあげていたではないか。「友愛」の精神から行けば、後期高齢者も弱者の一人だ。
誠意のある政治家にはみえない。

不愉快だったのは、所信演説を聞く民主党の若手議員の議席だ。誰かの演出か指示に
よるものだろう。あやつり人形のように拍手をしたり声をあげていた。僕は戦時中の翼賛
議員を想い出したが、自民党総裁の谷垣禎一氏は、もっと適切な言葉でヒットラー・ユー
ゲントのようだと言っていた。

ネット上での谷垣批判に”鳩山演説がヒットラーとはけしからん”というのがあった。ヒット
ラーとヒットラー・ユーゲントを混同してしまっている。ユーゲントは青年という意味で、ナチ
スの青少年組織である。昭和13年、日本との親善のため来日しているが、僕の遠い記憶
のなかにもヒットラーへの忠誠を誓った彼らの一糸乱れぬ姿が残っている。

      医者にかかれないプアな後期高齢者

2009-10-26 04:52:13 | Weblog
「後期高齢者医療」の活字を久しぶりに新聞でみた。鳩山内閣がやっと政権約束どおり
「後期高齢者医療制度」の廃止に踏み切ったのかと早合点したら、そうではない。保険
料を支払えず滞納している無年金や低年金の年寄りから保険証を取り上げ,代わりに
「資格証」を発行することになるという記事だ。

朝日新聞が「後期高齢者医療」制度を運営している全国の広域連合機構について調査
しいるたところ、37都道府県、全国の8割の機関が滞納者から保険証の返還を検討して
いるとのこと。保険証に代わって「資格証」があれば、医者にはかかれるが、かかった費用
は全額自己負担で、後日請求すれば,おカネは返ってくるとはいうものの、滞納分を引か
れるので事実上は"無保険”同然で、医者にかかれない。

全国の生活保護世帯の半分近くが65歳以上の高齢者だ。このうち後期高齢者の割合が
どの程度なのか判らないが、僕の体験では「前期」と「後期」では人間の体力は衰え医療
機関にお世話になる率も多くなる。

無年金や低年金の老人にとっては、医療保険や介護保険の負担は大変だ。滞納したくて
滞納している訳ではない。僕の友人は80歳に手が届く高齢だが、国民年金では生活できず
週に2回小学校の夜警をして生活費を稼いでいる。年寄りになると"声”が小さくなる。せめ
て小ブログだけでも、鳩山内閣の老人生活保障の無策を訴えたい。「後期高齢者医療制度」
の廃止というマニフェストは、年寄りだましにすぎなかったのか。

       天皇陛下のお気持ちお察しを!

2009-10-25 04:40:38 | Weblog
秋の園遊会で女優の森光子さん(89)が天皇陛下の前で陛下の誕生を祝った当時
の歌”鳴った鳴ったサイレン”の歌(作詞北原白秋 作曲中山晋平)を口ずさみ披露
された。森光子さんは歌詞を全部覚えていると陛下に言われていたが、僕もウロ覚
えだが、この歌を知っているし、ところどころだが、メロディも歌える。天皇陛下が誕生
された昭和8年12月23日当時、僕は満3歳だったが、周囲の喜びぶりが幼児にも
伝わっていたのであろう。

岡田外相が国会開会式での天皇陛下のお言葉について”陛下の思いが少しはいった
お言葉を頂けるような工夫を考えて欲しい”と宮内庁に注文をつけた。たしかに陛下の
お言葉はいつも同じようだが、憲法上の天皇の地位を考えれば、お言葉が"通り一篇”
であっても仕方がないのではなかろうか。

天皇陛下は僕より3歳下だが、同じ世代であり、戦中の学童疎開、戦後の食糧難など
厳しい時代を生きてきた。まして陛下は皇太子、天皇という地位、立場にあり、僕らとは
はるかに違う苦労をされている。陛下のお気持ちは十分お察しできる。言いたくとも言え
ない事もあるし、やりたくともやれない事もある。

近年、皇室を取り巻く”週刊誌”的な話題が多すぎ、ひどすぎるような気がする。皇室と
言えどもプライバシーがる。日本国の象徴である天皇に対してマスコミももう少し節度
があってもよいのではないか。岡田発言も最近の変な世論をバックにしたものではなけ
ればよいのだが。陛下も後期高齢者である。お気持ちをお察しされてはどうだろうか。

     零戦銃弾密輸は英霊への冒涜(ぼうとく)

2009-10-24 05:20:26 | Weblog
「海底の零戦から銃弾などを密輸入」という記事をみて、なんとも言えないイヤな
気持ちになった。首都圏に住む40代の男3人が、さきの大戦中の激戦地、ミクロ
ネシア連邦の海まで行き、30㍍の海底に沈んでいた零戦や艦艇内から旧日本
軍の砲弾や銃弾を拾い集めて日本へ密輸入していたというのだ。動機はたんな
る旧日本軍兵器の蒐集の趣味からだとのことだ。

ミクロネシア連邦にはトラック諸島など世界最高級の環礁があり、戦争中、日本海
軍の基地があったが、昭和19年2月、米軍の2日間にわたる猛爆撃で60隻の艦艇
が沈み、壊滅的な大被害をうけている。3人は、この時の空中戦で撃墜された零戦
や撃沈された艦艇の中から拾い集めていたと思われる。彼らは過去のこういった出
来事を知っていたのであろうか。もしかすると、海底には未収集の遺骨や遺品が
残っているかもしれない。

戦争をしらない若い人たちの間には最近興味本意で、昔の日本軍の兵器を蒐集した
り、軍服を着て「サバイバルゲーム」を楽しんでいると聞いた。東京の八王子の住宅街
に近い山林でも、この「サバイバルゲーム」場の建設話が持ち上がったが、地元住民
の反対で中止になったとのこと。ネットでみると、日本各地でこのような話があるみた
いである。

西ニューギニア(インドネシア)の激戦地の山野や洞窟には、いまだに旧日本兵の遺骨
や遺品が残されたままだ。戦争マニアックのこういった連中を現地に派遣し収集に当た
らせたらどうか。ただし、遺骨、遺品たりとも無断で日本に持ち帰ったら犯罪で逮捕され
る。西ニューギニアの遺骨収集については「太平洋戦史館」(検索可能)に連絡を。

         スマトラ残留の元日本軍憲兵

2009-10-23 05:25:53 | Weblog
戦後インドネシアに残留した元日本軍関係者の会が今年30周年を迎えたと新聞に
出ていた。現在もまだ4人の方が健在だという。昔、40数年前、僕がジャカルタに
勤務していた当時は、推定で100名を越す人が日本の商社の仕事を手伝っており、
僕の事務所をかねたホテルの部屋へもよく遊びに来ていた。

戦後インドネシアに残留した元日本兵関係者は、インドネシアと国交が樹立した後
の昭和39年度の外務省編「インドネシア便覧」によると、240名だが、残留後インドネ
シアの独立戦争に参加して犠牲になったり、政府の呼びかけで帰国したり人をいれ
ると700位だといわれている。そのうち半数近くが、北スマトラ(アチェを含む)で軍
を離脱した人たちである。中でも憲兵が多い。現在、残留者の会の会長をしているサ
ントソ衛藤君の父親もメダン近くのシアンタル憲兵分遣隊に勤務していた。

スマトラに駐屯していた憲兵は第25軍に属していたが、第25軍憲兵は大東亜戦争の
緒戦、ペナン(マレーシア)攻略戦で華僑を虐殺したとの理由で,戦後すぐ連合軍(英国
軍)から指名手配された。この情報に基づきスマトラにいた憲兵は全員、隊の命令で
軍を離脱した。僕の知人の長谷川豊紀さん(故人)もその一人で、離脱後スマトラ各地
を放浪した後小舟でマラッカ海峡を渡り、タイから昭和23年に帰国している。彼はその
体験を「スマトラ無宿 虎憲兵潜行記」(叢文社 昭和57年)で書いているが、この本の
中にサントス衛藤君のお父さんも中国人の料理人に変装して登場してくる。

戦後の連合軍戦犯裁判では、攻略戦時、ペナンにいたというだけで35人の憲兵が起訴
され20人が死刑に処せられている。

          郵政民営化見直しよりも

2009-10-22 04:58:56 | Weblog
郵政民営化が見直されるという。僕ら庶民にはよく解からないが、見直して何かよく
なるのだろうか。民営化自体、低次元で物をいえば何もプラスになっていない。それ
を見直して改善するというのならば理解できるのだが、僕の理解ではそうでもないら
しい。難問山積の今、もっと他にやるべきことがあるのではないだろうか。

郵政民営化以後、わが家に関する限り何も恩恵を受けていない。むしろ配達の時間
が夕暮時になって不便になった。駅前通りのいつも利用客で一杯の郵便局が、民営
によって改善されるかと思ったら、一向によくならない。局舎が旧特定郵便局長の持
物だから引越すわけにはいかないみたいだ。

鳩山内閣が閣議決定した「郵政改革の基本方針」の骨子をみると、郵政事業だけでな
く貯金や簡易保険などの金融サービスも全国一律にすることだという。”山の中から島”
まで同じサービスするというが、それに伴う施設や職員配置をどうするのかー。また、
全国2万4千の郵便局ネットワークを利用して地域行政の拠点にするというが、平成の
市町村合併で行政のスリム化が進んでいる中で、これは逆行する動きだ。

日本郵政の社長に元大蔵省事務次官の斉藤次郎氏が内定した。昨年日銀総裁の任命
に当たって大蔵官僚任命にあれほど反対し、今も「脱官僚」を合唱しているのに政治家と
は勝手なものだ。来週から始まる国会では、またぞろ「郵政見直し」をめぐって与野党の
あまり"実のない”審議が続くのだろう。思っただけでもうんざりする。政治家の個人的な
メンツやリベンジがからんでいるとは思いたくないが。