「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

昭和に比べて幸せだった平成の御代31年 

2019-04-30 11:35:09 | 2012・1・1

平成の御代は今日、4月30日、天皇陛下の「皇位礼正殿の儀」の国事行為によって終わりを告げ5月1日午前零時から年号は「令和」に変わる。31年間の平成の御代を振り返ってみた。東日本大震災(平成23年)関西淡路大震災(7年)をはじめ自然災害も多かった時代だが、戦争を体験している僕ら昭和1ケタ世代にとっては、はるかに幸せな時代であったように思う。

昭和天皇が崩御されたとき(1989年1月)僕は57歳であった。当時日本の社会はまだ55歳定年制で、その意味では僕は”第二の人生に”に入っていた。30年間勤務したサラリーマン生活を50歳の時止め、自由勤務の仕事に切り替え、60歳から厚生年金の受給を始めた。平成5年から頂戴しているから、平成の28年間、僕は年金を頂戴している。

振り返ってみると、僕ら世代は産まれたとき(昭和6年 満州事変)から中学3年(20年)までの少年期戦争で、空襲に会い、軍需工場へ動員されたりしている。戦中から戦後にかけて食糧不足から飢えに近い状態も体験してる、”もはや戦後ではない”(昭和31年国民経済白書)といっても年間の国民所得は1000ドル(36万円)以下であった。

それに引き換え、平成時代、僕は33回も海外旅行をしている。そのうち22回は,本を執筆するための旅行だったが、昭和の64年間には7回だけである。僕は平成年間に、膀胱がん4回、大腸がん2回、膝の人工関節置換手術など9回も入院したが、医学の進歩でこうして何とか元気でおられる。平成は昭和に比べれば、はるかに幸せだった。

 


戦前昭和の東京の子供の遊び懐古(1)

2019-04-29 05:42:44 | 2012・1・1

4月29日は「昭和の日」の祝日だが、僕ら昭和1ケタ生まれれにとっては昭和天皇がお生れなした「天長節」の呼び方が懐かしい。今日は平成最後の「昭和の日」、平成への惜別を兼ねた昭和の話を書くべきだが、やはり「昭和」それも子供だった戦前昭和の頃の遊びの話になってしまった。

10数年前、僕が戦前昭和の東京の子供の遊びについて書いたワープロのフロッピーが机の片隅にある。ワープロ機器がない今、すぐに全文みられないが、一部が印刷されて残っている。長いが紹介してみよう。

戦前の東京では、子供は年長の子供"ガキ大将”を中心で屋外でいろんな遊びをした。”ガキ大将”が”〇〇遊びする者、この指とまれ”と声をかけるとすぐに数人が集まった。東京の区部でも路地は舗装されず、ところどころ、”原っぱ”と呼んでいた空き地があった。集団での遊びでは”鬼ごっこ”や”隠れん坊”が一番ポピュラーだったが、”下駄隠し”といって、自分のはいていた下駄を相手に探させる遊びだった(まだ子供は下駄や”つっかけ”と呼んでいた木のサンダルをはいていた。”いっさんばらりこ”という遊びもあった。路上に円を描いて区分し、その区分された場所まで、一斉に出かけて競い合うものだった。

戦争時代を反映して”軍隊ごっこ"といって敵味方にわかれて戦争の真似をして、捕虜にされた者は、中国服に似させて洋服裏返し着せられたりした。”カチク、水雷”という遊びも人気があった。これも敵見方に分かれ、双方、一人の艦長を奪い合うものだった。”カチク”(駆逐艦のなまった語)は水雷は勝ち、水雷は戦艦に勝つといった一定のルールがあった。

敵性スポーツといいながらも”ゴロ.ベース”も人気があった。車の少ない路地の道路でテニスの軟式ボールを使った野球で、ベースは一塁と三塁の電信柱を使い、二塁と遊撃(ショート)はなかった。冬には”馬とび”をよくした。じゃんけんして負けになった者が腰をかがめて馬になり、勝った者がその上に乗り、馬が何か演技を注文、例えば「案山子」ができなければ交代する他愛もないものだ。このほかメンコ遊びやベーゴマが盛んだったが別稿にする。(機会をみて女の子の遊びも紹介したい)

 


”戦犯旗” 韓国の旭日旗への偏見誤解

2019-04-28 04:51:41 | 2012・1・1

中国の国際観艦式に自衛隊の海上護衛艦が「旭日旗」を掲げて参加した。新聞の小さな記事で読んだが、産経新聞の国際コラム”ソウルから”によると韓国では“異様に大きく”報道されているとのことだ。韓国では旭日旗は”戦犯旗”と目されているらしい。昨年だったか、文言寅大統領は自国の観艦式に「旭日旗」を掲げる護衛艦の参加を拒否したことを想起した。何故、”戦犯旗”なのか

亡父が保存しておいてくれた僕の幼稚園時代の自由画帖(昭和11年 年長組)を見ると、毎ぺーじのように旭日旗を掲げた軍艦の絵が描かれている。(写真)日支事変の始まる前年の作品で、時代を反映していて面白い。戦前、昭和の時代は、国旗、日の丸と旭日旗が今では想像がつかぬほど日常的で人気があった。朝日新聞の社旗も僕の母校の旗も旭に校徽をあしらっている。

僕ら昭和1ケタ世代は、戦争の申し子みたいで、ハワイ沖海戦、マレー沖海戦、ミッドウェイ、ソロモン沖海戦と戦果がるたびに「軍艦マーチ」にのって大本営発表を聞いている。しかし、日露戦争の日本海海戦の”皇国の荒廃この一戦”の例を引くまでもなく、メインポストに掲げられたのは旭日旗ではなくてゼット旗であった。もっとも、わが国は併合前の大韓帝国とも今の大韓民国とも交戦したことはない。"戦犯旗”と言われる筋合いはない。

 

 

 

 

 


薄い日本の存在感 ジャカルタのMRT(都市高速鉄道)

2019-04-27 04:17:15 | 2012・1・1

関西在住のインドネシア通の友人から、この4月に日本の全面協力で開通したMRT(都市高速鉄道)のその後につぃて興味ある資料を頂戴した。東洋経済onlineの記事だが、見出しの一部を拾うと””薄い「日本」の存在感”日本の努力はしられているか”とあり、開通式に出席したジョコ大統領が祝辞の中で「日本」という単語を一切使しているのにわなっかとも書いている。

MRTだけではない、日本全体の存在感が昔に比べて薄くなっている感じがする。2011年、僕は小ブログ「80歳のインドネシアの旅 日本人の存在」の中で10日の旅の印象として、かって僕が1966年、特派員としてジャカルタに駐在した当時に比べ、インドネシアでの「日本」の存在が薄くなったと書いている。僕が常駐して当時は、日本からの賠償金引き当てで、インドネシア国内は大きなホテルやデパートが建ったりして「日本」の存在感が強かった。まだ戦後20年ということもあって町では片言の日本語も聞かれた。

2012年にも僕は中部ジャワ中心に10間旅しているが、ジャワの奥地にまで韓国の企業が進出しているのに驚き「日本」の存在を憂えている。半世紀前、僕がジャカルタにいたときは、日本食レスおらんは一軒もなく、常駐日本人はせいぜい数百人であった。今は2万人近くの日本人が常駐している。にもかかわらず。「日本」の存在感が薄いのは何故か。スハルト時代にインドネシアで五輪真弓の「心の友」が大流行した。日本とインドネシアとの外交哲学は”dari  hatii ke hati"(心から心へ)であるが、双方がその原点に立ち戻るべきだ。

 


10連休の黄金週間は始まるが 

2019-04-26 05:59:28 | 2012・1・1

”目に青葉 山ホトトギス 初鰹”(山口素堂)-年を通じて最高の季節。とくに今年は天皇陛下のご退位、ご即位の儀式もあって連続10日間休みが続くまさにGW(黄金週間)だ。孫の一人は、すでに早々と長期休暇を取って米国へ観光旅行へ出発した。しかし、80歳後半の夫婦にとっては正直言って今一つだ。医療機関の長期休暇を見越して老妻は今日定期健診に出かけた。

老人にとって困るのは生活情報である。ゴミ出しはどうなのか、スーパー普段どおり開店しているのか。銀行郵便局などの金融機関はどうなのかetc。昨日、今日の新聞の折り込み広告を見ると、衣料量販店が10日連休をさかてにとって”毎日が買い時11日間”として4月26日(金)-5月6日(月)と売り出し期間を明記しているのもあるが、生鮮品スーパーは普段の安売りチラシを入れていない。

5月2日は八十八夜、新茶の季節、昔は街のお茶屋さんも売り出しで忙しかった。しかし、10日間の連休の影響を受けて、チラシには新茶売り出し日は4月25日ー25日、30日、5月1日、2日、7日と細かく書いている。昔ながらの行事も連休の中の1日に埋没してしまった。

さて、80歳後半の老夫婦には、連休10日間、何も予定はない。天皇陛下のご退位、ご即位の儀式をテレビで拝見、拝聴しお祝い申し上げるだけ。車の免許はないので、外出して他人に迷惑をかける心配はない。(写真は10日連休のテレビの天気予報)

 


スリランカ.テロ事件 イスラム人口の増加

2019-04-25 05:04:50 | 2012・1・1

スリランカで起きた多発テロ事件は現地からの報道によると、イスラム過激派IS(イスラム国)の流れを組む現地スリランカ人組織の犯行のようだ。そして、その狙いは今年3月、ニュージランドのクライストチャーチで発生した白人至上主義青年によるモスク襲撃事件に対する報復との見方が強い。

スリランカ事件の一報を聞いた時、僕はまた、ヒンドゥー教徒タミール人と仏教徒シンハリ人との衝突の再発かと思った、国民の大半が仏教徒であり、寡聞にしてイスラム教徒が10%近くもいるとは知らなかった。イスラムといえば、事件の多い、中東のアラブ諸国やイラン、アフガニスタンを想起するが、最近はイスラム教徒の少ない,ニャンマーのロヒンギアなどでも衝突が起きている。

世界のイスラム人口は2億2千万の最大教徒数を持つインドネシアを筆頭に約16億人いる。この数は23億人キリスト教徒についで第二位だが、、イスラム教徒の居住地域の出生率が急増しており、2100年までには順位は逆転まちがいという。Wikepediaの「在日ムスリム(イスラム教徒)出身国」によると、日本でも増加の傾向にある。例えば、ムスリム少数国別の蘭にはスリランカも入っており、在日スリランカ人約9千人のうち50-60%がイスラム教徒だという。

外国人就労実習生や観光客の増加で日本でもハラル食を中心にイスラムへの知識や関心は、昔に比べて強くなってはきているが、他国に比べてどうだろうか。まだ偏見や誤解があるのではないだろうか。スリランカ.テロを対岸の火としてはならない。


衆参ダブル選挙 野党の足並み 与党の弛み

2019-04-24 05:20:19 | 2012・1・1

立憲民主党の枝野幸男代表と国民民主党の玉木雄一郎代表が昨日会い、6月の参院選挙が衆院とのダブル同時選挙になる可能性がありそうだとして、衆院選一人区にも野党は統一候補を立てるべきだと意見一致したそうだ。多分、この会合は統一地方選挙が終わった時点で、結果をどう評価するか、その総括だろう。

統一地方選は市議選だけ見ると、自民党は294選挙区で6724人が当選、前回より64議席増した。これに対して野党は、統一選挙初挑戦だったが、立憲民主党が197人。国民民主党が95人,二党併せて292人で、この数は前回、旧民主党の284人より微増している。両党はこれをどう評価するだろうか。

昨日の新聞の都内版に23区の区会議員の各候補者別得票数が載っていた。閑にまかせて読み、素人なりに分析してみたら、一つの傾向が読み取れた。各区とも当選者は自民党だが、二位は公明党が多く、立候補者全員が当選、それも一定の票を得ていた。次いで共産党だが、旧民主党は立憲民主党は各区2人から3人、上位当選したが、国民民主党は23区全体で11人しか当選していない。

夏の参院選が衆院とダブルで実施されるとしたら、どうだろうか。平成が令和の御代に変わり、大阪のG20サミットもあり国際情勢も流動的だ。安倍内閣も”忖度”で象徴される政局で、弛みがみられ、必ずしも追い風ではない。国政選挙は地方選挙とは違うが、国民にとっては政局にひきずりまわされるのは迷惑だ。

 


スリランカ多発テロ 77年前のコロンボ大空襲

2019-04-23 05:23:24 | 2012・1・1

復活祭の休日の朝、スリランカの大都市コロンボにあるキリスト教会や五つ星のホテルなど8か所が自爆テロに会い、280人が死亡、500人が怪我を負った。犠牲者の中にはホテルで子供をつれ、家族と一緒に朝食をとっていた日本人女性一人が死亡したほか、4人が負傷した。痛ましい事件である。

スリランカでは、10年ほど前まで、国民の7割を占める仏教徒のシンハリとヒンデゥー教のタミールとの間で抗争が続いていたが、日本の仲介もあって鎮まり、治安は回復していた。今回のテロはこの両派の対立の再発ではなく、国民の1割ほどのイスラム教徒の中の過激派が同じく1割ほどのキリスト教徒を狙い撃ちしたテロのようである。

大東亜戦争史を調べている僕は1995年、JICAの研修事業で知り合ったスリランカの友人を訪ねる方がたコロンボへ出かけた。大東亜戦争緒戦の1942年4月、インド洋上の海軍機動部隊の艦上から180機がスリランカ(当時セイロン)の英国インド洋艦隊の司令部があったトリコヌル軍港やコロンボの飛行場を爆撃している。この戦跡と、この空爆の際、撃墜された3人の日本兵を祀った日本人墓地を参拝するのが目的だった。

77年前の日本軍によるコロンボ空襲を知っている日本人はあまりいないのではないか。しかし、一方では他国の宗教間のテロ事件に巻き込まれる時代である。今、日本には仕事を求めて1万人をこすスリランカ人が居住している。一方、スリランカにも千人近くの日本人が長期滞在している。77年の時代の経過を感じる。

 


二人の80歳代東京.区長再選と議員定年制

2019-04-22 08:34:27 | 2012・1・1

統一地方選挙後半戦、東京区長選挙で豊島区の高野文夫区長(81)と北区の花川与惣多区長(84)の二人が当選、再選された。なかでも花川区長は5期連続当選で、全国市町村区長の中で最高齢である。49歳も年下の元都議有力候補など3人を相手に堂々とした勝利である。最近、87歳の高齢者の無謀運転など、”肩身の狭い”思いをしていた老輩にとっては朗報だ。

僕が住む目黒区でも須藤甚一郎区議(80)が5選をはたした。連続4期トップ当選ではなかったが、2位当選である。須藤区議は80年から90年代にかけてテレビの芸能レポーターとして活躍した人物だ。名前は通っていて当然だが、やはり5期も上位当選しているのは、日常的な区議としての活動があるからであろう。

自民党には参院議員比例代表には、小泉内閣時代の73歳定年の内規があるそうだが、夏の選挙を前に有名無実化されそうだという。確かに80歳の二階幹事長から見て73歳では若すぎるように見える。しかし、人間は実際年齢だけでは判断ない。自転車に乗って選挙運動していた花川区長は。髪は黒黒としていて84歳には見えない。

超高齢化、100歳時代が到来しようとしている。80歳代の現役の政治家がいてもおかしくはない。しかし、選出するには、直接選挙民が候補者を自分の目で見て選ぶべきである。政党が勝手に比例代表制で選ぶのは、いかなるものか。