「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          叱られた喜寿の老人たち

2008-03-31 06:35:46 | Weblog
昨日のブログで書いた母校の"ホーム・カミング・ディ”での出来事。式での記念撮
影のさい、僕の仲間の二人がハゲ隠しにかぶっていた帽子を取らなかった。とた
んに近くにいた82歳の先輩からお叱りを受けた。考えれば、公式の席で帽子をと
らないのは社会常識にかけている。帽子をかぶっていた二人だけでなく、これを注
意しなかった僕らまで怒られた。

このお叱りを受けて、僕は60年前の中学生時代を思い起こした。当時学校への登
下校のさい、校門には先輩達が立っていて下級生の服装を検査した。戦時中のた
め、制帽は戦闘帽、足にはゲートル(巻き脚絆)を巻いていた時代だが、だらしない
服装をしていると強く叱られ、ときには殴られた。

今の日本の社会は、昔のような先輩後輩の関係が薄れ長幼の序も崩れかけてきた。
これによって、いろいろと社会にひずみが生じている。傘寿を越えた先輩が喜寿の老
人を叱るというのは有難いことだ。僕らの世代では、たとえ後輩が帽子をかぶってい
ても注意せず、見逃すに違いない。

たかが公式の場で帽子を取るかどうかの問題ではない。今の日本社会は、ちょっとル
ール違反が多すぎる。卒業式のシーズンが終わり、今年も国旗国歌の問題で非常識
があった。国の公式の場で国旗を掲げ、国歌を歌うのは国際ルールである。大阪門
真第三中学では、一人を除いて全員、国歌斉唱のさい座ったままだったという。なぜ、
校長はその場で注意しなかったのかー。生徒にこのようなことを教えた教員は即刻首
にすべきである。

 歴史から消えた二人の先輩  広瀬中佐と佐久間艇長 

2008-03-30 06:13:25 | Weblog
母校(旧制中学)を卒業して60年、きのう母校主催の”ホームカミング・ディ”に
招かれて久しぶりに校門をくぐった。あの空襲の火災にも耐え、外郭が残って
いた三階建ての校舎も取り壊され、屋上ガーデンまであるモダンな校舎に変容
しいていた。僕は昭和18年ここに入学、戦後の23年、まだ焼跡が残る学校を後
にした。

母校は今年で創立145年、多分古さでは全国でも一、二だと思う。長い歴史の
中で、多士済々を輩出しているが、中でも母校は戦前「海軍兵学校」の予備校
と呼ばれた時代があった。このため、何人もの海軍大将が母校から巣立ってい
るが、学校時代、僕らが誇りにしていたのは軍神、広瀬中佐と佐久間艇長であ
った。
           ▽広瀬中佐 文部省唱歌 大正元年
         轟く砲音 飛び交う弾丸 荒波洗うデッキの上に
         闇を貫く中佐の叫び 杉野はいずこ杉野はいずや

           ▽佐久間艇長 作詞作曲不明
         花は散りつも香りは残る 人は死しても名を残す
         天晴れ佐久間艇長日本男子の好亀鑑 

今の日本人で何人の人が、この二人の名前を知り、この歌を歌えるだろうか?
戦前に生きていた日本人なら100%、二人の名前を知っていた。広瀬中佐は日
露戦争の旅順閉塞の際、行方不明になった部下の杉野兵曹長を探し求め、最
後は敵弾にあたり戦死した。佐久間艇長は明治43年4月、潜水艦艇長として瀬
戸内海沖で訓練中、部下13人とともに事故死したが、残された遺書により死ぬ
最後までの沈着な行動が武士の鑑と賞賛された。

僅か百年前の出来事が、かっては国民の亀鑑として学校でも教えられたが、今
は、二人の名前を知る人はなくなり、歴史からも消えようとしている。
 

     「集団自決」 戦争が読めない変な判決

2008-03-29 07:03:58 | Weblog
沖縄戦時、座間味島、渡嘉敷島で住民の「集団自決」があったのは、軍の命令による
ものだと、ノーベル賞作家の大江健三郎氏が岩波書店発行の「沖縄ノート」(1970年)
に記述したのは誤りだと、島の守備隊長らが名誉毀損、本の発行差し止めを求めてい
た裁判で、大阪地裁の深見敏正裁判長は訴えを全面棄却した。

結論から言って、焦点をぼかしたおかしな判決である。(1)軍は住民に手榴弾を住民
に与えている(2)軍が駐屯していない島では「集団自決」が行われていないーという
のが訴えを棄却した主な理由だが、これは軍の”関与”の理由に当るかもしれないが
原告が訴えている軍命令があったかどうかの理由には当らない。肝心の軍命令につ
いては、はっきりしないとしている。

大江健三郎氏は「沖縄ノート」の中で現地取材もせず、守備隊長とも会っていないのに
”罪の巨魁”と悪者扱いし”集団自決”を最も忌むべき””呼ばわりしている。これは
国のため戦っていた梅沢裕・座間味島守備隊長(91)らに対して大変失礼である。しか
も梅沢氏は、自身「集団自決」命令を否定し逆に生き延びるよう説得している

沖縄戦時、大江氏は愛媛県旧大瀬村の国民学校5年生、深江裁判長は戦争を知らない
世代である。二人と戦争の空気が読めていない。僕は当時、敵の本土上陸に備えて江戸
川運河の拡幅工事に従事していたが、もし敵が攻めてきて、軍から手榴弾を渡されれば、
沖縄住民と同じように自決する覚悟は出来ていた。

戦後の平和時に、過去の狂気の時代についての空気もわからずに、物書きが変な理屈
で、当時のことを推察で書き、これを読んだ裁判官が推論するのは歴史への冒涜だ。

         無差別殺人と巻き添え自殺

2008-03-28 06:40:08 | Weblog
「殺すのは誰でもよかった」無差別殺人が茨城と岡山で連鎖的に起こった。僕から
みれば、孫の世代の犯罪で、いま一つ動機がわからない。しかし、何も関係もない
他人を襲って殺すのは正常ではない。普通の人間のやることではない。心の病が
原因としか思えない。

知り合いの精神科医の経営するクリニックでは、三ヶ月先まで予約で一杯だという。
僕の周囲にも老人性躁鬱病が複数いる。身体的には健康だが、精神的なことから
外出できず、家に引き籠りがちで社会との接触を拒んでいる。何が原因なのかわか
らないが、昔、精神分裂症と呼ばれた精神統合失調症が最近増えているそうだ。昨
年東京池袋のデパートから飛び降り自殺し通行人の男性を巻き込んだ女性は、この
病だった。

自分で自分の命を絶つ分には、言葉は悪いが勝手である。が、他人まで巻き添えに
するのは、無差別殺人と同じである。今朝の新聞に東京文京区で、両親と妻を殺し子
供二人を巻き添えに心中を図った男が捕まった。家族いえども許せない。日本の自殺
者は平成10年から連続9年、3万人を越えている。WHO(世界保健機構)によると、こ
の数字は先進国ではダントツなのだという。

無差別殺人も巻き添え自殺も、何か今の日本の社会の一端を見せ付けられたような
気がする。政治の混乱から日本人全体が閉塞感に陥り、イライラしている。そして自己
の主張だけで相手へ配慮に欠けた政治が、このような悲惨な社会現象となっている。

          お巡りさんは制服嫌い?

2008-03-27 06:39:27 | Weblog
JR常磐線荒川沖構内での殺傷事件の警察の警備について色々と批判が出てい
る。その一つは、なぜ制服の警察官を現場に配備させなかったのか、というもの
だ。僕もその通りだと思う。犯人から前もって“早く捕まえてごらん”と挑発的な電
話が駅周辺からあり、そのあたりに潜んでいるのは判っていたことだ。

警察官の心理の中に”私服”への変な憧れがあるのではないか。昔、警察官の知
人から聞いた話だが、交番勤務の若いお巡りさんには”私服”の刑事に対して憧憬
があるようだ。それと関係があるかどうかはしらないが、東京の警視庁の警察署には、
警棒を持った”私服”の警察官が門前の警備に立っている。警備が目的なら制服の
方が威厳があり、適切だと思うのだが。

敗戦直後、戦争中のイヤな体験からか制服(軍服)嫌いの日本人が多くなった。自
衛隊が、まだ警察予備隊とか保安隊と呼ばれていた当時、隊員が制服を着て街を
歩いた所、世論から反発があった。そのせいか、あまり制服を着た自衛隊員を街で
みかけなくなった。

自衛隊や警察庁にも隊員の制服着用については内規があると思う。捜査部門の刑
事が、犯人捜査の必要上、私服なのは解る。しかし、荒川沖事件のような時には制
服の警察官も必要だった。警察官の中に制服嫌いの心理がかりにあったとすれば
誤りだ。今の若いお巡りさんには戦争体験があるのではなし、誇りをもって制服を
着用して貰いたい。



     日本の危機 全共闘世代の政治家たち

2008-03-26 07:13:19 | Weblog
三月末に期限切れになる揮発油(ガソリン)税などの暫定税率をめぐる与野党交渉は
暗礁に乗り上げてしまった。民主党の鳩山由紀夫幹事長は、与党の譲歩案には一切
耳を貸さず「ゼロ回答」などと労組の団体交渉みたいな言葉を使っている。賃上げ交渉
ではない。国民生活に影響し、国家の運命さえかかった重要問題である。民主党の作
戦は衆院を解散し総選挙に追い込もうとするのは、ありありだ。

日銀総裁”不同意”から始まって暫定税率に至る民主党のなどの作戦を見て、僕は1960
年末の東大・安田講堂占拠事件当時の全共闘の騒ぎを想い出した。学生たちは大学
改革を叫び、大學側の一切の呼びかけに、ヘルメットと角棒による暴力で対抗した。偶然
にも民主党四役のうち鳩山幹事長と管直人代表代行の二人が、この全共闘世代。もう
一人の代行、輿石東(参議院議員会長)は全共闘運動を支持した日教組の出だ。

昨年死去した元陸軍大本営参謀、故瀬島龍三氏(元伊藤忠会長)が、ある本に”日本の
危機は、全共闘世代(団塊世代)が政治の中枢についた頃の政治だ”といった意味の事
を書いていた。その根拠については忘れてしまったが、今の鳩山幹事長の発言行動など
をみていると、なるほどとうなずける。世間知らずのお坊ちゃん政治家だけに、全共闘の
当時の学生たちと同じだ。本人は気がついていないかもしれないが、瀬島龍三氏の言う
ように今、日本の危機である。福田総理、思い切って衆院を解散したらどうだろうか。
日本人の叡智は、こういった連中に投票しないと信じている。


     敬老精神はどこへ 後期高齢者医療保険

2008-03-25 07:10:35 | Weblog
4月1日から実施される後期高齢者医療保険証がやっとわが家にも届いた。すでに
何度か都や区の広報誌で読んでおり、その内容は知っているが、いきなり夫婦共に
利用者負担金が三割と記されており説明がない。ただ”お前らは現役なみ”の収入
がるからだというのである。現役並みの収入の基準とはいくらからなのかーわから
らない。

後期高齢者医療制度は不評で年寄りいじめ、高齢者差別である。大阪や広島で
は、年寄が老骨にムチ打って街頭デモをしている。昨日の新聞によれば、これまで
高齢者には適応外だった「資格証明」が新制度によって適応されることになったと
いう。「資格証明」というのは健康保険の滞納者が、大病で入院などする場合「資格
証明」を発行して貰えるが、そのために高額を支払わなければならない制度である。

老人の滞納者は、ほとんどが貧困から払いたくても払えないケースである。。とても
「資格証明」の一時金など支払う余裕などない。これでは貧乏人の年寄は”死ね”と
いうことと同じである。

幸いわが家の場合”現役なみ”であり、夫婦ともまずは健康である。老妻など医療機
関のお世話にはなってない。が、相互扶助は保険の精神からいって仕方がないと思
っている。問題は後期高齢者医療制度に流れる老人蔑視である。敬老精神はかって
は日本人の美徳であった。”現役並み”といっても、その収入はたかがしれている。例
えば、気持ちだけでもよい。三割を二割にする気配りがないのである。

       虐殺報道は正しい検証が必要

2008-03-24 06:23:27 | Weblog
インドネシアで発行されている邦字紙「じゃかるた新聞」が大東亜戦争中の日本軍
による最大の虐殺事件といわれるポンティアナ(西カリマンタン)の現場を取材した
記事(3月22日)を掲載している。戦後生まれの記者だから仕方がないのだが現地
の噂や展示物をそのまま信じ込むのは、僕の経験からいって危険である。

1996年、僕は同じように戦争中虐殺があったとされていた西スマトラ州ブキティンギ
の旧日本軍(第25軍司令部)防空壕跡を訪れた。当時、この防空壕で三千人の労務
者が虐殺されたと、まことしやかに伝えられ、日本の早稲田大学や慶応大学の先生
方までそれを信じ込んでいた。現地の噂や虐殺をほのめかすレリーフにだまされてい
たのだ。当時、この壕を建造した責任者の証言でまったくのウソと判った。

ポンティアナの虐殺があったことは事実で、戦後の連合軍(オランダ)裁判(BC級戦
犯裁判)で、旧日本海軍第22根拠地司令官(中将)二人を含む16人が処刑されてい
る。残念ながら、このことは日本では関係者以外、ほとんど知られていない。インドネ
シアでも現地以外はあまり知られていないのではないだろうか。

2000年10月、僕もポンティアナの現場を訪れた。虐殺の犠牲者の子供の案内で慰霊
碑に詣で献花してきた。ブキティンギと同じように日本軍の残虐を示唆するレリーフが
ここでも展示されていた。慰霊碑には21038人が殺されたと刻まれている。多分事件
について予備知識なしにここを訪れた日本人は、ただただ驚きレリーフの数字を信じ込
むに違いない。が、オランダの裁判記録は2100名である。

西カリマンタン州では毎年6月28日、州知事参加の下に事件の慰霊祭が催されてい
る。日本人の当時の関係者も最近まで弔電を送り、弔意金を贈っていたが、ご高齢で
途絶えている。戦時賠償は法的には解決ずみだが、やはり日本人として心が痛む。と、
同時に正しく歴史を検証し後世に伝えたいものだ。

         「朝日新聞」のチベット冒涜

2008-03-23 06:35:26 | Weblog
「五輪前どうにも邪魔な生き仏」ーという川柳が朝日新聞の声欄(3月20日)に
載っていたと知り合いの「主権回復をめざす会」
からメールを頂いた。生き仏とは現在インドに亡命中のダライ・ラマのこと。ダラ
イ・ラマはチベット仏教の最高指導者で、チベットでは観音菩薩の化身として尊
敬を集めている。

中国政府にとっては、今回のチベット暴動は五輪開催を前にして確かに頭の痛
い問題には違いないが、なぜわが国にとって、どうにも邪魔なのかー。かりに川
柳にしても新聞は他国の宗教を揶揄する記事を掲載すべきではない。

17年前だが、イスラム教の開祖、モハメッドを侮辱したサルマン・ラシュディの「悪
魔の詩」を日本語に翻訳した筑波大学の五十嵐助教授(当時)が刺殺された事件
があり、まだ未解決だ。昨年もベルギーの新聞が、モハメッドを風刺した漫画を載
載、世界中のイスラム教徒の怒りを買った。

日本人は自分の宗教については寛容といわれるが、他国の人が同じように寛容
とは限らない。同じ仏教国でもミャンマーでは、僧侶の身体に触れてはいけない
そうだ。チベット仏教のことは知らないが、教えの最高指導者である。その方を侮
辱するような記事を載せてはいけない。編集者は”アサヒル”だけではなく”アサボ
ケ”までしているのではないだろうか。

           万だの櫻と大和男子

2008-03-22 06:58:52 | Weblog
東京はきのう予定日より一日早く全国に先がけ櫻が咲いた。家の近くの暗渠の櫻並木
の蕾はまだ固かったが、”しだれ櫻”だけ一本、絢爛な花を咲かせていた。”しだれ櫻”は
”万だ(バンダ)の櫻”ともいう。花は豪華だが散るのは早い。

”万だの櫻”というと、僕らの世代は、この歌を想い出す。日露戦役の奉天の歩兵の活
躍を歌ったものだ。
        ▽ 歩兵の本領(作詞 加藤明勝 作曲 永井建子)
          万だの櫻か 襟の色 花は吉野に嵐吹く
          大和男子と生れなば 散兵線の花と散れ。

中学校(旧制)の教練の時間、僕らは軍歌演習といって、教官の指導で、この歌を
声をからして、どなったものだ。そして、軍国少年ならずとも、見事に散って靖国の
社に祀られようと本当に信じていた。そういう時代であった。

僕の住む目黒区の木は「椎」(しい)である。「いやひこの神の御前の椎の木の幾代
へめらむ神代よりかくもあるらし」(良寛)多分、椎の木は幾百年、あるいは幾千年前
からこの地にあったのであろう。ところが、宅地開発でめっきり家の周囲から椎の木
は姿を消し僅かにスダジイが一本残っているだけだ。それも梢の枝を刈られ丸坊主
の無残な姿だ。

万だの櫻のいさぎよさがよいのか、スダジイの無残な老体をさらすのがよいのか大和、
男子は考えたが、やはり命あってのものだねだという結論に達した。