久しぶりに面白い本を読んだ。「ある平和家の回想東京裁判その後」(中公文庫2009年11月)と
題はかた苦しいが、内容は戦後の國際極東軍事裁判(市ヶ谷A級戦犯裁判)の内幕をわかりや
すく書いた興味深い貴重な回想録である。
著者はB・V・Aレーリンクという市ケ谷裁判のオランダ人判事で、彼の当時の体験を戦後、友人の
旧ユーゴ國際裁判所の初代所長だったA・カッセーセ氏が聞き取りの形でまとめた本だ。
市ヶ谷裁判について僕は門外漢で、あまりよく知らないが、戦前戦中の東條英機・元首相らの指導
者が勝者である連合軍の裁判によって”hung by death"(絞首刑)に処せられたのを学生時代ラジオ
で聞いて衝撃を受けたのを記憶している。またインドのパール判事が一人、この裁判で反対意見を
述べた程度の知識はあった。が、レーシンクの名前は初めて聞く名前であり、彼が連合軍側判事の
中で五人の被告に無罪を主張していたことなど知らなかった。
さらに驚いたことには、彼がはっきりと市ヶ谷裁判は勝者による一方的な裁判だとし、ほとんどの裁判
関係者がマッカーサー連合軍司令官によって任命されていたことを認めていること。またウエーブ裁判
長が独裁者で、他人の意見を聞かない人物で一緒に食事もしなかったという。
もう一つの驚きはレーシンク判事が日本文化について造詣があり、西欧人には珍しく大東亜戦争につ
いて日本が主張していた「正義」に理解を示していることだ。彼はまた法廷での日本人被告の大半が
一流の卓越した人物だったとも言っている。
オランダはBC級戦犯裁判では、連合軍側にあって最多の236人を死刑にしている。意外な感じを受けた
が、歴史とはそういうものなのだろう。
題はかた苦しいが、内容は戦後の國際極東軍事裁判(市ヶ谷A級戦犯裁判)の内幕をわかりや
すく書いた興味深い貴重な回想録である。
著者はB・V・Aレーリンクという市ケ谷裁判のオランダ人判事で、彼の当時の体験を戦後、友人の
旧ユーゴ國際裁判所の初代所長だったA・カッセーセ氏が聞き取りの形でまとめた本だ。
市ヶ谷裁判について僕は門外漢で、あまりよく知らないが、戦前戦中の東條英機・元首相らの指導
者が勝者である連合軍の裁判によって”hung by death"(絞首刑)に処せられたのを学生時代ラジオ
で聞いて衝撃を受けたのを記憶している。またインドのパール判事が一人、この裁判で反対意見を
述べた程度の知識はあった。が、レーシンクの名前は初めて聞く名前であり、彼が連合軍側判事の
中で五人の被告に無罪を主張していたことなど知らなかった。
さらに驚いたことには、彼がはっきりと市ヶ谷裁判は勝者による一方的な裁判だとし、ほとんどの裁判
関係者がマッカーサー連合軍司令官によって任命されていたことを認めていること。またウエーブ裁判
長が独裁者で、他人の意見を聞かない人物で一緒に食事もしなかったという。
もう一つの驚きはレーシンク判事が日本文化について造詣があり、西欧人には珍しく大東亜戦争につ
いて日本が主張していた「正義」に理解を示していることだ。彼はまた法廷での日本人被告の大半が
一流の卓越した人物だったとも言っている。
オランダはBC級戦犯裁判では、連合軍側にあって最多の236人を死刑にしている。意外な感じを受けた
が、歴史とはそういうものなのだろう。