バスで山中城にやって来た私は、小腹がすいていたので、駐車場脇にあった売店に寄った。
この売店は山中城の案内所の役割も果たしている。
ここで山中城のパンフレットを入手し、
40番、山中城!
スタンプも店内にあるので、どうあっても売店には寄る必要があるのだ。
そして、小腹もみたす。
寒すり団子(300円)をいただいた。
(画像左上にあるのは山中城のパンフ)
上の地図の「現在地」付近に売店がある。
城を貫くように通る道路は国道1号。
山中城は東海道(現在の国道1号)を取り込むように建てられたため、国道をはさんで大きくふたつに分けられる。
地図の左側(南東部)は岱崎出丸という出城部分である。
地図の右側(北西部)が本丸などの本体部分があったところ。
まずは本丸側を歩いていった。
はじめに、オーソドックス?な空堀・三の丸堀。
現在は通路となっているところは、当時は畝となっていて、自然の谷に畝を造成したものだという。
堀の長さは約180メートル、最大幅約30メートル、最深約8メートル。
畝の東側は、水路として池からの排水を処理していた。
畝の西側の堀は空堀であった。
(画像は、西側の空堀)
城内のため池・田尻の池。
城の生命線である水を貯える重要な施設といえる。
この付近には馬舎があったとされ、この池の水は主に馬の飲料水に用いられたようだ。
田尻の池から、正規のルートを外れ、二の丸下の通路をたどる。
さっそく登場! 山中城の見どころ・畝堀。
現在は空堀で、堀は芝生に覆われているが、当時は水濠だったという。
濠を仕切る畝には芝生はなく、足場はかなり不安定であったと想像できる。
敵兵は畝の部分をたどって攻めることとなるが、城兵は畝に集中する兵を狙い撃って防衛した。
西方の防衛拠点であった西の丸。
尾根の稜線を削って平らにして形成されている。
見張台が盛土を積んで造成され、曲輪の三方は土塁で守られている。
西の丸は全体的に東に傾いており、雨水が集まってため池に流れるという仕組みであった。
西の丸見張台から下を見下ろすと、
格子状の端正な障子堀が西の丸を取り囲んでいる。
障子堀の向こうは、青空に映える愛鷹山。
富士山はなんとも意地悪な隠れっぷりであった。