鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

松島海岸の戦い

2012-12-25 | 移動の旅

2 0 1 2 年 4 月 1 日 ( 水 )

午 後 2 時 5 2 分

山 形 市

J R 山 寺 駅



立石寺の参拝を終え、山寺駅に戻った。

時刻は午後3時前。
このままホテルに戻るのももったいない気がする。

「四寺廻廊」のご朱印も、毛越寺、中尊寺、立石寺がそろい、残すところはあと一寺。
となれば、目的地は松島・瑞巌寺しかないだろう。


JR山寺駅1番線 14時58分発
  仙山線 快速 仙台行き
  仙台駅7番線 16時09分着

仙台から松島へのアクセスは、東北本線と仙石線が考えられる。
だが松島海岸、瑞巌寺その他松島の観光地へは仙石線一択となる。
東北本線の松島駅からだと、だいたい2キロほど歩くハメになる。

JR仙台駅10番線 16時21分発
  仙石線 普通 高城町行き
  松島海岸駅2番線 17時00分着

東日本大震災の影響で、仙石線は高城町(たかぎまち)駅(松島町)から矢本駅(東松島市)まで不通になっていた。




午 後 5 時 0 1 分

宮 城 県 宮 城 郡 松 島 町

J R 松 島 海 岸 駅 ロ ー タ リ ー に て


松島海岸駅に降り立った私に、突如腹痛が襲う
駅近くの公衆トイレに駆け込む!

紙がねぇ!!!

忘れていたのである! 「用より紙」の格言を!

「もしトイレで神に見放されたら、自らの手で運をつかむべし!」

私は必死にカバンの中におわす神様を探す。
そして幸いノートの神様がいらっしゃった。
ノートの神様のお力で、この旅最大の危機を乗り切ることができた。


松島海岸駅から瑞巌寺までは、参道をショートカットするルートをとったため、走って3分もかからなかったが・・・



ノートの神様の御利益は、瑞巌寺には通じなかったようだ。




春の雪・立石寺其之弐

2012-12-25 | 寺院仏閣

2 0 1 2 年 4 月 1 日 ( 水 )

午 後 1 時 3 7 分

山 形 市

立 石 寺 仁 王 門





仁王門が見えてくると、山道もいよいよ後半。
門の左右に配置された仁王像は、運慶の弟子による作といわれ、邪心を持つ者を拒むという。


立石寺は、860年(貞観2年)に天台宗3代座主の慈覚大師・円仁が開山したとされる。
鎌倉時代には、幕府の政策で禅宗に改宗されるが、14世紀半ば、羽州探題・斯波兼頼により再建され天台宗に戻った。

戦国時代には兵火を受けて一山焼失してしまう。
このとき比叡山延暦寺から分燈されていた「不滅の法燈」も消滅し、再度分燈されるととなる。
1571年(元亀2年)比叡山が焼討ちにあうが、その再建には立石寺から「不滅の法燈」が分けられた。

立石寺再興は、山形城主であった最上義守・義光父子によりなされていった。

松尾芭蕉が旅の途中で訪れたことは、あまりにも有名であろう。


仁王門をくぐると、ちょっとした難所あり。


(上から見下ろした画)

石段に雪が積もって、踏み固められてアイスバーン状態になっていた。
ここはロープを伝って上る。


仁王門の先は、雪が多く残っていた。



行く手の左を見上げると、岩壁の上に建つ伽藍。

行く手の右側には立石寺の支院が並ぶ。
順に観明院、性相院、金乗院、中性院
これらの支院には立ち寄らず、まずは上を目指す。




立石寺の最奥、奥之院(妙法堂)に到達。
天は春の雪を降らせる。
1015段の石段を踏破した私への嫌がらせか? 祝福であろうか。

ここで立石寺のご朱印をいただこう。
奥之院の坊主にご朱印帳を差し上げたところ、
「ここでは立石寺のご朱印ではなく、奥之院と大仏殿のご朱印ですよ」
「四寺廻廊」のご朱印帳は返されてしまった。

 

奥之院(左)と大仏殿のご朱印。
立石寺のご朱印じゃないならいらねぇとは言えず、ご朱印ふたつとも頂戴することとなった。




奥之院から見下ろす山内支院。



中性院は奥之院のすぐ下に建つ。


奥之院から石段を下りずにそのまま歩くと、

 

三重塔のミニチュア・三重小塔【国指定重要文化財】が安置されている。
手書きの案内表示によると、室町末期に作られ、本尊の大日如来が中に収められている。


ふと崖の向こうを見やると・・・



山内支院のさらに向こうの岩場は、釈迦ヶ峰という。
一般の参詣者は入れず、修験者のみが入れる。



釈迦ヶ峰の岩場に覆われた胎内堂
修験者のみ入れる。


雪積る道を進んでいくと・・・





がけっぷちに建つのは納経堂【山形県指定文化財】で、山内では最古の建築物。



立石寺の開基・慈覚大師の木像を安置する開山堂

開山堂の脇には・・・


(上から見た画)

ここにもちょっとした難所。
こちらはロープがないのでかなり難儀した。
そんで・・・



五大明王を祀る五大堂
立石寺随一の展望台となっている。







日いまだ暮ず。
麓の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。
岩に巌を重て山とし、松栢年旧(しょうはくとしふるく)、土石老て苔(なめらか)に、岩上の院々扉を閉て、物の音きこえず。
岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寞(じゃくまく)として心すみ行のみおぼゆ。
閑さや 岩にしみ入 蝉の声

・・・この日は当然蝉など鳴いておらず、参詣者もそれなりにいたので閑かさもくなかったが、冷たい風がなんとも心地よかった。


立石寺は、五大堂でゴールというわけではない。
ほんのちょっと先がある。



のびる脇道から見た五大堂。



穿たれた巨岩の中に祀られる磐司祠
ここがもうひとつの最奥部だ。




午 後 2 時 3 4 分

山 を 下 り る


20分弱で山を下りた。
売店で荷物を回収し、あとは立石寺のご朱印を頂戴せねばならない。



登山道入口近い根本中堂へ。
しかしここではご朱印はもらえない。

売店のおばちゃんに尋ねると、下山口近くの本坊でもらえるようだ。
最初からおばちゃんにきいておけばよかったよ。




立石寺から外へ出る抜苦門
本坊はこの先にある。

本坊に入りご朱印を所望すると、
「ご朱印をしまうかばんを足下に置くのはいかがなものか・・・」
軽くお説教されてしまった。



立石寺のご朱印と「四寺廻廊」のご朱印を頂戴し、立石寺をあとにした。




残雪・立石寺

2012-12-25 | 寺院仏閣

2 0 1 2 年 4 月 1 日 ( 水 )

午 後 1 時 0 2 分

山 形 市

J R 山 寺 駅



JR山寺駅から歩いて3分。



駅からの参詣者が必ず渡るであろう宝珠橋
正面にそびえるのが立石寺(山寺)【国指定史跡・国指定名勝】。

前方の丁字路を右折したところに・・・



山寺の登山口がある。
この日は春休みということもあり、参詣者がそれなりにいた。




登山口を上がるとすぐに根本中堂(本堂)【国指定重要文化財】に着く。
1356年(延文元年)最初の山形城主・斯波兼頼が再建したものが現存する。
ブナ材の建築物では日本最古のものという。




根本中堂に隣接する日枝神社拝殿
日枝神社は立石寺の鎮守。



日枝神社の神木




日枝神社の隣りには、芭蕉・曾良像がたたずんでいる。

山形領に立石寺と云 山寺あり。
慈覚大師の開基にして、(ことさら)清閑の地也。
一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。

芭蕉一行は、尾花沢(山形市の北)から最上川を経由して日本海へ出る予定であったが、地元の人々の勧めにより、この立石寺に寄り道したとある。


境内にある売店へ。
ここでは手荷物を無料で預かってくれる。



ふぅ~、あたたまりますなぁ~
山形名物・玉こんにゃく(1本100円)でした。




参詣者が自由に修行ができるという念仏堂



念仏堂の隣りには鐘楼

鐘楼の裏にあるトイレで用を足して・・・



山門をくぐると、いよいよ山道へ。
ここで巡拝料300円を納めることとなる。

なお、この先にはトイレはないので、鐘楼裏のトイレに立ち寄ることをお勧めする。



山道を上ると、まず現れる姥堂



奪衣姿の石像を本尊とする。
ここから上は極楽浄土とされ、そばの石清水で身を清め新しい衣に着替えるものとされた。
脱いだ衣はここに奉納するものとされていた。


山道の幅はだいたい2車線?くらい。



ところどころで残雪が行く手を阻む。
こういうところに限って手すりがない。

歩いていくうちに、山道が軽く渋滞しだした。
前の方からは、「ぜぇ~ぜぇ~ぜぇ~ぜぇ~ぜぇ~」
おじいちゃんがあきらかにヤバそうな息遣い
リタイヤした方がいいんじゃねぇか?



山道に迫る岩。



きざはしがわずか14センチという四寸道
このあたりも残雪ですべりやすくなっていた。

ぜんそくのような息遣いのおじいちゃんは、その歩みを止めない。
おいおい、ホントに休んだ方がいいって・・・

仕方ないのでスキを見て追い越す。
・・・無事でいてくれよ、ご老体。




岩壁に碑がいくつにも掘られている。
このあたりには弥勒洞といい、雨風の浸食により阿弥陀如来の姿が浮かんだという。
たぶん真ん中のところ・・・か??


山道を上ること約15分・・・



仁王門に到着。