鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

歌枕の地・多賀城

2012-12-15 | 城郭【日本100名城】

2 0 1 2 年 3 月 3 1 日 ( 火 )

午 前 8 時 0 6 分

宮 城 県 多 賀 城 市

J R 国 府 多 賀 城 駅



国府多賀城駅の西口からスタート。



多賀城の政庁をモチーフとした時計は、午前8時06分を指していた。




午 前 8 時 0 7 分

館 前 遺 跡


駅前から歩くと(といっても何にもないが・・・)すぐに史跡に到着。



館前遺跡【国指定特別史跡】は、陸奥国の国司の居館跡とされる。
多賀城に付随する施設と考えられたため、特別史跡に追加指定された。

でも・・・ただの空き地っぽい


早々に館前遺跡を後にする。
国府多賀城駅から多賀城跡までのアクセスは、



このような立て看板がいい具合に据え付けてあるので、これに従えば問題なくたどり着くことができる。
なかには「こんなところを通っていいのか・・・?」って疑ってしまうようなところもある。




午 前 8 時 1 7 分

多 賀 城 碑 ( 壺 の 碑 )


急こしらえの青い立て看板にしたがって歩いた。





多賀城碑【国指定重要文化財】。

多賀城の概要と、多賀城設置と修築のいきさつが刻まれている。
この碑が立てられたのは、762年(天平宝字6年)12月1日。


多賀城は、亰より1500里、蝦夷国界より120里、常陸国界より412里、下野国界より274里。
西の靺鞨国(渤海国。満州地方に勃興した国)の界より3000里のところにある。
(※奈良時代の1里は、約535メートル)
724年(神亀元年)、按察使(あぜち)(国司を監督する役職)にして鎮守府将軍、官位が従四位上、勲四等の大野東人(あずまびと)が設置した。
762年(天平宝字6年)、参議にして東海東山節度使、官位は従四位上、任部省卿にして按察使、鎮守府将軍である藤原恵美朝猟(あさかり)が修造した。
~多賀城碑より~


多賀城は北における中央政府の一大拠点となり、坂上田村麻呂による蝦夷征伐もここが拠点となった。
蝦夷討伐により、前線は胆沢(いざわ)(岩手県)へ移っていく。

その間、地震もあり多賀城は次第に放棄されていくが、平安時代後期の前九年の役後三年の役の戦乱においては、再び軍事拠点として用いられた。
後醍醐天皇による建武の新政においても、陸奥将軍府が置かれた。



多賀城碑は江戸時代前期に発見されたもので、一説には坂上田村麻呂が矢じりで刻んだ「壺の(いしぶみ)であるという。
「壺の碑」は、和歌でたびたび歌枕として用いられた。

『おくのほそ道』は、多賀城碑が「壺の碑」であるととらえている。
そして、歌枕として名高い「壺の碑」や「末の松山」を見られて感銘を受けた、と結ぶ。

つぼの石ぶみは高サ六尺余、横三尺計歟(ばかりか)
苔穿て文字幽也。四維(しゆい)国堺之数里をしるす。
……むかしよりよみ置る歌枕、おほく語伝ふといへども、山崩川流て道あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り、代変じて、其跡たしかならぬ事のみを、(ここ)に至りて疑なき千載の記念(かたみ)、今眼前に古人の心を(けみ)す。
行脚の一徳、存命の悦び、羇旅(きりょ)の労をわすれて、泪も落るばかり也。




午 前 8 時 2 7 分

多 賀 城 跡


多賀城碑から北を見やると、なだらかな坂が続く。
まだ朝だからなのか、歩くのは私とひとりの老人のみ。



多賀城の政庁へと続く道路が復元されている。

坂を上りきると、南門跡を表す礎石へ。



かたわらの案内レリーフより。



かつての多賀城は、このような四方を回廊で囲まれた役所であったという。



南門跡から進んで、石敷広場跡



多賀城の中央部、政庁跡
征夷大将軍・坂上田村麻呂、「八幡太郎」源義家らの名将がここで作戦を練ったのであろうか。



「後村上天皇御坐之處」と刻まれた石碑。
後醍醐天皇の皇子であった義良(のりよし)親王(のちの後村上天皇)は、鎌倉幕府倒幕後の東国鎮撫のためにこの地にお越しになった。
南北朝の争乱が起こると、鎮守府将軍・北畠顕家(あきいえ)の補佐を受け、東国の武士を率いて京都へ戻った。


政庁から見下ろすと・・・



政庁から続く道路、その先には工業団地がかすかに見えた。




午 前 9 時 1 0 分

J R 国 府 多 賀 城 駅 へ 戻 る


駅には戻ったが、ここに及んで100名城スタンプをもらっていない。
100名城スタンプは、駅にある観光案内所でもらえると確認しているが・・・

駅員さんに尋ねたが、案内所は9時30分にならないと開かないらしい。

案内所が開く間に、次の列車は行ってしまう。
しかしスタンプなしで去るのは避けたい。

その次の列車の発車時刻は、9時56分。
30分程度ならばさほどの影響はあるまい。

それに、この駅前には店が全くないから、食事もできない・・・。

ということで、観光案内所が開業するまで、多賀城の史跡をもう少し見て回ることにした。