2 0 1 2 年 3 月 3 1 日 ( 火 )
午 後 2 時 2 8 分
岩 手 県 西 磐 井 郡 平 泉 町
中 尊 寺 讃 衡 蔵
月見坂を上ると、
讃衡蔵(宝物殿)が見えてくる。
讃衡蔵と金色堂を見るには、ここで拝観料(大人800円)を支払う。
讃衡蔵に入ると、まず最初にきらびやかな仏像が安置されている。
月見坂を上る途中に建っていた数々の支院のご本尊が、こちらに収められている。
いずれも国指定重要文化財クラス。
讃衡蔵の展示品の目玉は、
紺紙金字一切経【国宝】であろう。
通称
「中尊寺経」と呼ばれる写経であり、紺色の紙に金文字の行と銀文字の行が交互に並ぶ
「金銀字交書一切経」と、紺色の紙に金文字が並ぶ
「金字一切経」がある。
前者は
藤原清衡、後者は
藤原秀衡の発願によりつくられた。
讃衡蔵には、国宝・重要文化財が惜しげもなく??展示されている。
残念ながら
撮影禁止のため、画像はありません。
讃衡蔵のところで、中尊寺のご朱印と「四寺廻廊」ご朱印をもらった。
このあたりにあるみやげ物店で、ちょっとしたおやつを買ってみた。
南部せんべいを砕いてチョコレートでコーティングした
「チョコ南部」。
・・・さあ、金色堂に行こうか!
金色堂覆堂は、1965年に建造された鉄筋コンクリート造のお堂。
この中に
金色堂【国宝】が納められている。
金色堂も
撮影禁止。
上の画像でよ~~く見たら金色っぽいところが金色堂ですな。
金色堂は、内側外側ともに総金箔貼りで、扉、壁、軒から縁や床面までも漆塗りの上に金箔を貼って仕上げられている。
さらに内部の装飾にはアフリカゾウの象牙を用いている部分もある。
堂内に安置されている仏像は、阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像、観音菩薩立像、勢至菩薩立像)、その左右に3躯ずつ計6躯の地蔵菩薩立像(六地蔵)、その手前に二天像(持国天、増長天)を配し、以上11躯の仏像から構成される群像となっている。
中央壇・左壇・右壇の3つの須弥壇があり、各壇に11躯の群像が安置される。
そして、3つの須弥壇には奥州藤原氏当主の遺体が安置されている。
中央壇に初代・清衡、右壇に2代・基衡、左壇に3代・秀衡の遺体(ミイラ)と4代・泰衡の首級。
(泰衡は、平泉攻めの末に家臣に裏切られ首を源頼朝のもとに送られた。大きな釘で首を柱に架けてさらされた後に、首桶とともに金色堂に納められた)
金色堂は、建立当初屋外に建っていた。
建立の数十年後に「霧よけ」のような施設が造られ、1288年に外側からすっぽり包む形で覆堂が建設された。
金色堂覆堂を出たところにある
経蔵【国指定重要文化財】。
かつては中尊寺経を納めていた。
経蔵からさらに進むと、
松尾芭蕉像。
かねて耳驚したる二堂 開帳す。
経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。
七宝 散うせて、珠の扉 風にやぶれ、金の柱 霜雪に朽て、すでに頽廃空虚の叢と成べきを、四面 新に囲て、甍を覆て雨風をしのぐ。
しばらく千歳の記念とはなれり。
五月雨の 降のこしてや 光堂
旧覆堂【国指定重要文化財】は、現在の覆堂ができる前に、実際に金色堂を納めていたお堂である。
室町時代に建てられたものという。
金色堂が移ったあとの堂内には、中央に大きな柱が1本。
“有料ゾーン”を出た。
中尊寺の境内に朱塗りの鳥居がひとつ。
中尊寺の鎮守・白山神社である。
白山神社能舞台【国指定重要文化財】。
1853年に仙台藩によって再建され、近世に残る能舞台としては東日本唯一のものらしい。
中尊寺の奥まで来たので、これにて終了。