鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

夢の跡・高館

2012-12-20 | 寺院仏閣

2 0 1 2 年 3 月 3 1 日 ( 火 )

午 後 3 時 4 0 分

岩 手 県 西 磐 井 郡 平 泉 町

中 尊 寺 第 1 駐 車 場



月見坂を下り、中尊寺を出た。
中尊寺から国道4号を越え、青看と地図をたよりに歩く。


中尊寺から徒歩5分、卯の花清水があった。



名もなき湧水であったが、『おくのほそ道』の「卯の花」の句から、いつしかその名がついたという。



現在、湧水は枯れてしまい、水道水で代用しているようだ。トホホ・・・



卯の花清水から歩くと、高台へ行く道に分かれる。
坂を上っていくと・・・



源義経の居館があったという高館義経堂に到着。
拝観料は大人200円。

石段を上って高台に着くと、館を構えるには手狭な印象を受ける。
かつては相当の広さであったが、北上川の浸食により現在の姿となった。






北上川の向こうにそびえる秀峰は束稲山
衣川は、北上川の流れが大きく曲がるところで合流する。

(まづ)、高館にのぼれば、北上川 南部より流るゝ大河也。
衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。





義経堂
1683年(天和3年)4代仙台藩主・伊達綱村が義経を偲んで建てた。



堂内に木像の義経像



源義経主従供養塔は、昭和61年の義経800年の御遠忌を期して立てられた。

(さて)も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の(くさむら)となる。
国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。




芭蕉直筆の拓本をもとに立てられた芭蕉句碑

夏草や兵どもが夢の跡
卯の花に兼房みゆる白毛かな 曽良

  
高館義経堂の見どころは、はっきりいって少ない。
観光客もほとんどいなかったが、義経主従の最期に思いをはせ、芭蕉一行が眺めたであろう景色に共感するには十二分であった。




黄金の秘宝・中尊寺其之弐

2012-12-20 | 寺院仏閣

2 0 1 2 年 3 月 3 1 日 ( 火 )

午 後 2 時 2 8 分

岩 手 県 西 磐 井 郡 平 泉 町

中 尊 寺 讃 衡 蔵



月見坂を上ると、讃衡蔵(さんこうぞう)(宝物殿)が見えてくる。
讃衡蔵と金色堂を見るには、ここで拝観料(大人800円)を支払う。


讃衡蔵に入ると、まず最初にきらびやかな仏像が安置されている。
月見坂を上る途中に建っていた数々の支院のご本尊が、こちらに収められている。
いずれも国指定重要文化財クラス。

讃衡蔵の展示品の目玉は、紺紙金字一切経【国宝】であろう。
通称「中尊寺経」と呼ばれる写経であり、紺色の紙に金文字の行と銀文字の行が交互に並ぶ「金銀字交書一切経」と、紺色の紙に金文字が並ぶ「金字一切経」がある。
前者は藤原清衡、後者は藤原秀衡の発願によりつくられた。

讃衡蔵には、国宝・重要文化財が惜しげもなく??展示されている。

残念ながら撮影禁止のため、画像はありません


讃衡蔵のところで、中尊寺のご朱印と「四寺廻廊」ご朱印をもらった。



このあたりにあるみやげ物店で、ちょっとしたおやつを買ってみた。



南部せんべいを砕いてチョコレートでコーティングした「チョコ南部」

・・・さあ、金色堂に行こうか!




金色堂覆堂は、1965年に建造された鉄筋コンクリート造のお堂。
この中に金色堂【国宝】が納められている。

金色堂も撮影禁止
上の画像でよ~~く見たら金色っぽいところが金色堂ですな。


金色堂は、内側外側ともに総金箔貼りで、扉、壁、軒から縁や床面までも漆塗りの上に金箔を貼って仕上げられている。
さらに内部の装飾にはアフリカゾウの象牙を用いている部分もある。

堂内に安置されている仏像は、阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像、観音菩薩立像、勢至菩薩立像)、その左右に3躯ずつ計6躯の地蔵菩薩立像(六地蔵)、その手前に二天像(持国天、増長天)を配し、以上11躯の仏像から構成される群像となっている。
中央壇・左壇・右壇の3つの須弥壇があり、各壇に11躯の群像が安置される。

そして、3つの須弥壇には奥州藤原氏当主の遺体が安置されている。
中央壇に初代・清衡、右壇に2代・基衡、左壇に3代・秀衡の遺体(ミイラ)と4代・泰衡の首級。
(泰衡は、平泉攻めの末に家臣に裏切られ首を源頼朝のもとに送られた。大きな釘で首を柱に架けてさらされた後に、首桶とともに金色堂に納められた)

金色堂は、建立当初屋外に建っていた。
建立の数十年後に「霧よけ」のような施設が造られ、1288年に外側からすっぽり包む形で覆堂が建設された。




金色堂覆堂を出たところにある経蔵【国指定重要文化財】。
かつては中尊寺経を納めていた。




経蔵からさらに進むと、松尾芭蕉像

かねて耳驚したる二堂 開帳す。
経堂は三将の像をのこし、光堂(ひかりどう)は三代の(ひつぎ)を納め、三尊(さんぞん)の仏を安置す。
七宝(しっぽう) 散うせて、(たま)の扉 風にやぶれ、(こがね)の柱 霜雪(そうせつ)に朽て、すでに頽廃空虚(たいはいくうきょ)(くさむら)成べきを、四面 新に囲て、(いらか)を覆て雨風をしのぐ。
しばらく千歳(せんざい)記念(かたみ)とはなれり。


五月雨の 降のこしてや 光堂




旧覆堂【国指定重要文化財】は、現在の覆堂ができる前に、実際に金色堂を納めていたお堂である。
室町時代に建てられたものという。



金色堂が移ったあとの堂内には、中央に大きな柱が1本。



“有料ゾーン”を出た。



中尊寺の境内に朱塗りの鳥居がひとつ。
中尊寺の鎮守・白山神社である。



白山神社能舞台【国指定重要文化財】。
1853年に仙台藩によって再建され、近世に残る能舞台としては東日本唯一のものらしい。



中尊寺の奥まで来たので、これにて終了。