★ 中山恭子先生、三宅博先生に続いて西部邁先生と対談。
戦後日本で忘れかけられている「日本の心とは何か」
西部邁ゼミナール Guest日本のこころを大切にする党代表 中山恭子参議院議員
★ 走り書きです。
西部氏・・・「中山先生が東大の一期後輩だったなんて僕の悪行の数々を・・・」
中山氏・・・「西部先生はヒーローでしたから、お声をかけて頂いて光栄です。」
「日本のこころ」が何のことかつかめない・・・票が伸びなかった。
西部氏・・・1899年か発表されたのはもっとあとだが、新渡戸稲造がクリスチャンだったが「武士道」を書いた。
内村鑑三もクリスチャンだったが、外国人に「日本には宗教がないのか」と問われて「日本のこころとは?」と考えた。
西郷隆盛などと言って内村鑑三は「代表的日本人」を書いた。。
71年前は忘れましょう、悪い歴史でしたってことですから「日本のこころ」といっても・・・。
中山氏・・・90パーセント以上の人は「日本のこころ」とは何かわからないという。これでは票にならないなと思った。
西部氏・・・僕は胸をふさがる気がしたのだが、横田早紀江さんは「私は自分の娘を助けたくて行っているのではないのです。日本人として自分たちの同胞ががこういうことをされていて何の抗議も関心ももたないでいいのかそれを問いたいのです。
こんな運動をすればするほど仮に娘が存命であったとしても自分の娘が危なくなるということは知っているんです。」と言われる。
そこまで覚悟した婦人を本気で助けようとしない。
中山氏・・・これは日本という「国家の問題」である。国家として自国の国民を放置しているのは今の国際社会では考えられない。
ある意味では日本は独立国家としての意識がない国という思い。」
西部氏・・・当時は小泉純一郎首相の時だったが、僕は「平壌宣言」は最初から反対だった。
拉致問題と北朝鮮の核武装問題を分離して対処するということは確認された。
日本側も拉致返還の為に相当の金額の経済援助をするという予定で「手打ち」をした。
核武装諸国に囲まれた時に「日本の核武装はどうするんじゃい!」と議論ぐらいは、中川昭一さんが言われたことだが日本の周辺が危ない時はオープンにするのが一人前の国民であろう。
周辺が危険な時はNPT条約を脱退してもいいとある。
「核武装してはダメよ」というのはこの国が侵略的な国であるということ。
日本側も相当の相手に攻められても「ごめんなさい、従います」という国民が多い、
「何なんだ、こいつら!」もう何も書きたくなくなってします。
北朝鮮は拉致問題をみても決定的に侵略的な国である。
中山氏・・・日本政府そのものが北朝鮮によって拉致されている日本人を救出する気はない。
「平壌宣言で日朝が不正常な形にある中で生じた遺憾な問題が今後再び起こらないように確認した」、ということ、
犠牲にしてもいたしかたないということが明確に描かれている。
従って日本国家は「相手国にお任せします」、というのが戦後の日本の国民に対する方針です。
従って日本国家は国民が拉致されても救出することはしません、お任せします、ということ。
国民を護る・国防ということは日本ではタブーだった。
西部氏・・・さる著名な左翼系批評家が「日本人は無意識だが国民投票にかけても間違いなく否決される。
武器いやだな、ケンカいやだな・・・無意識に決めている。日本は変だ。
自衛隊を93パーセントが認めており、自衛隊は交戦可能なのだ。しかし大半が反対している。
まるで統合失調症のようだ。
その文明批評家もひどいとは思うが、相手に攻められても「ごめんなさい、従います。」奴隷でも何でも・・・情けない、こういう者たちの為にこれ以上物を書きたくない、テレビでしゃべりたくない、という気持ちになった。
「尖閣」「竹島」もアメリカは二枚舌を遣っている。
「竹島は日本のものだ」と言いながら李承晩には「あなたたちの気持ちもわかる」という。
「尖閣」についても同じである。
すると中国は「尖閣は俺のものだ」という。
アメリカがチャイナに寄る。
これに対して日本は「こんな事態になったのはアメリカも二枚舌を使ったでしょう」と言えない、
領土権については統治が長きに渡った時に「領土」になる、と言っているのに日本人はそれに気付かない。
アメリカに護ってもらえると思っている。世界政府というのは存在しない。
国連の常連理事国は第二次世界他船の戦勝国、しかも拒否権も持っている。
国連承認のもとで多国籍軍で作って本来日本のものである「尖閣」、日本人が拉致された「拉致」など動くしかないが「そんなことはできるはずはない。」と。
「国際警察」の代わりをするというアメリカもも中東で失敗した。もうアメリカはヤル気はない。
中山氏・・・日本は属国になるというと話は別ですが。
西部氏・・・「プライヴェートライアンという映画がある。
徴兵されて死んでいった兄弟の中で最後の一人を護るために、犠牲を出しても護ろうとする。
家族が全滅するのを放置できないと。
アメリカは大嫌いだが・・・。
中山氏・・・日本は敗戦についてのその状況についての映画がない。
★ 以上、走り書きですので詳しくはyoutubeをご覧になってください。
ブログのティールーム
★ 「バビロンの幽閉事件」を描いたヴェルディのオペラ「ナブッコ」,(ナブッコとはナブコトノゾルのイタリア読み)から
20世紀最高のヴェルディ歌手、当時60代のバリトンのカップッチッリが歌います。
紀元前の歴史ですが「王の中の王」と讃えられたアッシリアの王ナブッコが捕らわれの身から見事再起、アッシリア再興する名場面です。
(新聞で読んだことがあるがイラクのフセインはアメリカとの戦いで「私はナブコトノゾルだ」と言った。
私がそれを理解できたのはヴェルディのこのオペラを知っていたからと思い出します・・・)
お急ぎの方は4分からお聴きください。もちろん最初からお聴き頂くといいのですが。(全部で6分ほどです)
他国の神を冒涜したことで自分の自信過剰を悔い、やがてアッシリア再興へと導く場面です。
音楽的にも知的でありしかも熱血のカップッチッリ。
Dio di Giuda - PIERO CAPPUCCILLI - 1983 不世出のヴェルディバリトン、「漢」カップッチッリの名唱。
G.Verdi NABUCCO, Act IV (Piero Cappuccilli) - Arena di Verona
・・・2万人のヴェローナ野外劇場でもマイクなしで通るカップッチッリの正統的ベルカント、発声と呼吸法だけでも6年間修業したと話していた。あまりの辛さに師匠から逃げ出したこともある、今の歌手は到底我慢できないだろうとも・・・。
★ 上記と同じ部分、ヴェルディ「ナブッコ」オーケストラとの練習風景。
ムーティの指揮、熱血漢ムーティは自身で歌いながら情熱的にオーケストラに指示しています。
1分40秒からどうぞ。
Riccardo Muti prova Nabucco alla Scala - Parte 2 イタリアの至宝、熱血漢リッカルド・ムーティ