★ 松井知事のお話は納得できる。
相変わらずくどくておかしな記者さんのエンドレスな質問にも淡々と答える我慢強さ。
松井知事vsABC木原記者【機動隊員『土人』発言】
★ お知らせ 南モンゴル「クリルタイ」結成大会
11月10日午後1時開会 参議院議員会館 会議室102
(当日、結成大会後同場所にて午後2時より記者会見を行います。報道関係の皆さま、よろしくお願いいたします)
詳しくは
http://smldf.org/?p=682
★ 私は老親介護のかたわら、モンゴル帝国のビデオを買ったり本を読んだりして「クリルタイ」という会合の言葉を知っていた。(康熙帝の頃もモンゴルのハン一族と婚姻を勧めていたし、当時はモンゴル文字と漢字で「紫禁城」内の表示があった。今も一部残っているが)・・・しかし今は中国共産党の政策で満州の女真族や南モンゴルの人たちは少数中の少数になっている。
この5月に私は東京に行ってお話を伺った(といっても後ろのほうで静かに聴くだけだったが)ダイチン氏、三浦小太郎氏、三宅博先生の素晴らしいお話は忘れられない。「クリルタイ」という言葉を聴いて私は心躍った。
あのモンゴル帝国の世界最強の時代をふと思ったりした。
国は侵略されてもあの誇らしい祖先を思い、チャイナの暴政に敗けずに頑張る姿に誇り高い民族の血が滔々と流れているのを思った。
この時のことは私のブログにも少し書いた。(以下再掲)
★ 新幹線に乗り東京の山手線に乗り換えてはじめて「新橋」という駅で降りた。
方向オンチなので、通行人にききながら会場に着いたが、遅れてしまった。
もうすでに三宅先生の講演ははじまっており、途中からになったがだんだんお話は聴き手の心に迫っていった。
下記はメモをもとにしてすべてではないが箇条書きにしたもの。
<三宅先生のお話走り書き>
英国から新天地を求めて異民族を殺し、アメリカではインデアンに世話になりながら殺しまくった。
インデアンの精神は日本人と似通っている。
インデアンの母親は子供に「友を捨てて逃げてはならない。友とともに討ち死にしなさい」と教えた。
これは「武士道」と共通するものがある。たとえば相手が話し終えるまで聴く、その後、話す・・・インデアンのスピリットがあった。
戦争でアメリカは大変な罪を犯し、日本中を焼夷弾で焼き殺した。
原爆を違う型を2発、広島・長崎に落とし一瞬にして大量に殺してしまった。
イギリスもアジアの民を殺しまくった。
アフリカから多くの人が奴隷として連行され、酷使されて亡くなっていった。
暴力による「覇権」は、もうもたなくなっている。
世界では今、すべてを知った上で先人の恨みを果たす時という必然的な動きであろう。
世界全体が因果応報、アメリカのこれからは悲惨なものになるかも知れない。
アメリカも数パーセントの人に富の大半を握られている。白人もプア―ホワイトとして貧困層が多い。
経済的な奴隷であり犠牲になっている。
混沌とした状態の世界、新たな価値観。
日本はやがて混沌とした状態の中で世界の使命を果たすべき。
しかしその前に日本の国家の真の意味の自立が必要。10、20、30年が勝負。
私が荒木和博さんと共に拉致問題で走り回っているのは、ただ被害者が気の毒ということだけではない。
この問題を解決しない国家が、他の問題を解決できるはずはない。
「相手も独立国家で了承なしに取り返すことはできないんですよ」と言った官房長官がいるが、根本的なところで間違っている。
また「アメリカが拉致被害者を救出してくれたらその護衛艦を護ることができるんです」という首相。
内閣が吹っ飛んでも仕方がないほどである。
外交・国防・経済・教育、など拉致問題を解決せずしてできるはずがない。
硬直化した戦後構造、政治家も政府全体も硬直している。
アメリカの意向を忖度して国政に反映させようとする。
日本の硬直した過去の実例について
満州に無傷の百万の関東軍がいた。「即時に武装解除」という命令に従って、武装解除した結果、130万人の日本人入植者がシベリアに連行された。
モンゴルでは根本博中将が「即時武装解除」という命令に応じず、「4万人の日本人入植者を無事に帰国させるのが私の使命である。
すべての責任は私ひとりにある。」と言って無事に全員を日本に帰国させた。
根本中将は、ソ連が話に通じるような相手ではないということを骨身にしみて知っていた。(このあたりを詳しくお話された)
満州の百万関東軍との違いは本質を知っている根本中将との違いであり、関東軍は共産軍に甘い期待を持っていた。
現在の日本の政府は当時の関東軍の対応と似ている。
韓国はアメリカに慰安婦像を建て、在米の日本人子弟は殴られたりいじめにあっており、親たちが在米の大使館・領事館に相談に行っても全く意に介しない状態。
これは「エリート集団」の大きな間違いである。
これらは自分たちの仕事ではないと思っている。
国民を欺く欺瞞的なもので、限界を迎えている。日本存続も危うくなる。
しかし、今はアジアのみならず世界全体が日本が立ち上がるのを今か今かと待っている。
★ これは付け加えて書きます・・・「政治家は『おカネに汚い・いい生活をしている』などと批判されているが、私は政治家だからこそ生活を律し、国民の皆さんと同じような生活をするべきと考えている。また真の政治家は、自分の身が危うい時も前に立たなくてはならない。・・・などと仰った。
「先生、私がその前に立ちますよ」などと言いたくなる、全身全霊で国を思う政治家なのだ。
質疑応答の中で、三宅先生にいろんな質問があったが、三宅先生の答弁はあまりにも美しい展望、ヴェルディのオペラで言うと「天上的ピアニッシモ」であろうか・・・。三宅先生が文化・芸術に詳しくその政治姿勢のもとにも感じられること。
しかしこういうことを講演会で仰るのははじめてではないだろうか。
「近代の価値観が限界にきている。深い憂慮に堪えない。
これから必要なのは『徳』の世界であり西洋の言葉では『愛』である。これは『犠牲の精神』にて成立する。
★★ 先生、西洋の言葉では「Pietà(ピエタ)」慈愛・慈悲なのでしょうね。
あ、これはヴェルディのオペラによく出てくる歌詞なので勝手に私がPietàと書いただけ。
最後に評論家の三浦小太郎氏が三宅先生に続いてこう発言された。
「近代は『儲かればよい』という考えで、民族や文化、歴史や伝統は人間を縛るものとされてきた。
これからは『民族のルネッサンス』が必要である。
日本民族の伝統ある良き考え、漢民族の中にある良き時代の考え、モンゴル人の持つ良きもの、これらのルネッサンス、文芸復興である。」
三浦氏は「ロマンティスト」と思った。
★ 本日、夜6時から三宅博先生の講演会が岸和田であります。
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混声合唱曲「里の秋」―海沼実(編曲・平吉毅州)