今度は昔から気になっていた「包拯」(ほうじょう)こと「包青天」の物語を見た。
(包 拯(ほう じょう、咸平2年2月15日(999年3月5日) - 嘉祐7年5月24日(1062年7月3日))は、中国北宋の政治家。字は希仁。諡は孝粛。廬州合肥県の出身。)WIKIより
包拯「全部で58話」で、これにかかりっきりだった。
かつて鮑国安という名優が演じた曹操役を見て、彼が「包青天」を主演して大好評だったと知り、それが今も日本には紹介されていないのでガッカリしていたが、若い俳優が演じているyoutubeを発見したのだった。
生まれつきかなりの色黒、額にも傷があり容姿にも恵まれていなかったが少年にして四庫全書を読み、非凡さで周囲を驚かせる。
そして科挙に合格し、名裁判官となる話だ。
時代は「宋の仁宗」の治世、包青天は「すべて法で裁く」ことを推し進め、皇帝や皇族らにも一切の例外を認めず、厳しい。
昔、西安に行った時にガイドに楊貴妃が愛用した温泉(今も使用される)、蒋介石が幽閉された建物、などの説明を受け、私は矢継ぎ早にいろいろ質問した。ガイドは私の問いに答えて「包拯先生」と(日本語でいうので尊称、中国語だったら包拯氏、という意味になる)言った。
そしてガイドは「なぜあなたは中国の歴史に詳しいのか」、と質問する。
私は笑って「興味があるのです。ところであなたが尊敬している政治家は誰ですか?」と訊くと驚いたことに「蒋介石先生です」というのだ。(ビックリ!!大丈夫か、そんなこと言って・・・ここは共産主義の国だよ・・・って。)
中国のガイドは名門大学を出ていて、観光客に混じったスパイを見つける、という役目もあると知っていた。
ほとんどの日本人観光客は日本のガイドのように思っている。呑気なものだ。
北京に行くと北京語で話すガイドに替わった。そこで筆を買いに行く、と有名店の名前を言うとそこは「行ってはならない」と定められてるところか、必死で止められた。しかたなく長城の近くの文具店で買った。
上海・武漢・長江下りなど各地でもガイドが替わった。これも言語の違いということらしい。
武漢では「四川大学」出身という若い男性ガイドで、大変謙虚だった。不思議にガイドは中国人独特のなまりがない。
一度も日本には行ったことがない、という。
そこまで特訓されているのかなあ・・・と思った。
上海のガイドは年配の男性で商売慣れしているのか、しつこく「月餅」をすすめてきた。
日本で売られている「月餅」よりかなり分厚い。
断っても何度もすすめる、キッパリと拒絶。ホテルの部屋にも電話をかけてくる。実にしつこい。
食事の時は大皿に盛った炒め物の上のところしか食べないようにした。
食卓の長いお箸は日本から持ってきたアルコールで消毒してから使用した。
一度、観光船のキッチンを見に行ったら大きな切り株のようなまな板で肉を切っていてその後まな板を洗わずに、すぐにデザート用のスイカを切ったのを見て、生ものは一切食べないことにした。
日本からのガイドの青年は屋台のカエルを食べて高熱を出した。
中国側のガイドがいるので観光には影響なかったが。
私は屋台などで絶対に食べない。
ペットボトルの水もホテルで沸かしてから飲んだ。中国に旅行中病気になれないと用心した。
今の「コロナ」が中国で蔓延し、なかなか治らないのも衛生に問題があるとも思う。
例えば「手を洗う習慣」である。
桂林の船の中ではトイレの前に置いてあるバケツの水で流し、次の人の為にそのバケツに新しい水を汲みに行くように英語で書いてあった。中国語のわからない観光客の為にだろう。(手は流す前のバケツの水で洗う。そんなバケツに触れたので、持参のアルコールティッシュでさらに手を消毒もした)
船内で食事を終えると、係がバケツを持ってきて食器も残飯も全部その中に入れるのには驚いた。
日本ではお盆を持ってきてその上に載せて運ぶのが常識だ。
しかし中国の歴史ものの劇や漢詩は本当に素晴らしい。・・・昔の中国旅行を思い出しながらこのお正月は「隋唐演義」「包拯~包青天」合計で100話以上を視たことになる。それに歴史の本も思い出して読んだ。
多民族が入れ替わり統治する大陸の歴史は、古代ローマやドイツでも同じだ。
確かに王朝が替わると統治民族も違ってくるので、文化破壊が行われたことで、逆にそれが日本に保存されている例も多い。
欧州でも古代ギリシャやローマの建築物や美術が破壊されて今は遺跡として残存していることも、それは古代エジプトや中東もそうだが。
西安では「西遊記」の玄奘が登った大雁塔にも登った。柱がなく、外壁の分厚さで支えられている。
久しぶりに「歴史のお正月」だったが、コロナを用心して日本ではどこも旅行していない。
作家の奥山篤信氏の著作でシェイクスピアの「ヴェニスの商人」の映画評の項で、当時の英国を舞台にせず、イタリアを物語の地にしているシェイクスピアの意図を明らかにされていたが、イタリアのヴェニスではユダヤ人やアラビア人も自由に「国際商業都市」として共存共栄が成り立っていた、シェイクスピアはイギリスを舞台にこの作品を書けなかったことを察しておられるが、またの機会に書いてみたい。
【公式】「開封府(かいほうふ)~北宋を包む青い天~」予告編
★ 政治の記事は・・・また書きます。今は小休止です。
「言論の不自由さ」を感じています。
ところで・・・この記事、ウイーンの「ニューイヤーコンサート」を録画したのを聴きながら書いています。昨年は聴衆なしでしたが、今年やっと復活しました。
ブログのティールーム
今年の「ニューイヤーコンサート」からラデッキー行進曲
イタリア語で解説しています。l Concerto di Capodanno 2023 dal Musikverein di Vienna ritrova il canonico programma di valzer e polka, con i Wiener Philharmoniker diretti dall’austriaco Franz Welser-Möst. Il direttore ha preso il posto dell’annunciato Daniel Barenboim, che sarebbe dovuto tornare a dirigere il Concerto anche per il Capodanno 2023, ma per ragioni di salute ha preso un periodo di riposo.
指揮はダニエル・バレンボイムの予定でしたが、健康上の問題でオーストリア出身のフランツ・ヴェルサー・メストに替わりました。
Concerto di Capodanno 2023 da Vienna ~ Marcia di Radetzky
ラデッキー将軍はオーストリアの英雄、「ニューイヤーコンサート」はいつもこの曲で締めくくります。
トルコ戦争やナポレオン戦争などで勝利をおさめ、イタリアの独立戦争には厳しい態度で臨み、処刑し、イタリアからは反感をかっている。ミラノのカツレツをウイーンに持ち帰り、「ウイーン風カツレツ」(ヴィンナーシュニッツエル)とした。
ミラノ風カツレツ ウイーン風カツレツ(ウインナーシュニッツエル)