★ ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』前奏曲、
もちろん、フルトヴェングラーの指揮である。(古い録音だが、まだこれの右に出る演奏はない)
これはイタリア人指揮者トスカニーニが振るとヴェルディのようになってしまう。「くっきりハッキリ」なのだ。
やはりイタリアとドイツは血が違う。
ワーグナーは、フルトヴェングラーにかかると自由自在に鳴り響き、休符にも存在感と意味があり、それは
ためいきだたり、ふと戸惑って立ちどまったりする瞬間でもあり、聴き手の心を揺らせ、
オーケストラの響きは苦悩と喜びをらせん状のように、また大きな波のように自在なフレージングの重なりをさらに重ね、
音楽が高みへと昇って行く、それは生きることの喜びであり苦悩であり・・・。
三島由紀夫が映画『憂国』にも取り入れ、こよなく愛した曲、それは美しいだけでなく、この音楽の「迷い」を感じ、
また、完璧な美しさ、くめども尽きぬ芸術の奥行きの深さ、音の流れの清冽さ、そして
救いのない絶望感も秘めながら展開する音の渦巻の中に精神を浸すかのように、自身の呼吸を合わせたのかもしれない。
フルトヴェングラーの雄大な指揮は、この曲の流れの中に言葉が秘められ、それを全身で
聴く思いである。すごいな・・・フルトヴェングラー・・・これが芸術家だ。
ドイツの音楽のために、ナチスのもとで指揮をし、戦後はその汚名を浴びたが、なんとライヴァルのトスカニーニが擁護した。
トスカニーニはイタリアで激しくファッショと戦い、頑固一徹を貫いた堅物であったが、「英雄は英雄を知る」。
実はユダヤ系楽団員をひそかに亡命させながら、言い訳を一切しなかったフルトヴェングラー、
その音楽こそ多くの聴衆の心を打ち、純粋に魅了したのであった。
耳を澄ますとフルトヴェングラーは消え、ワーグナーの音楽だけが聴こえる。
Wilhelm Furtw�・ngler "Prelude to Act I" Tristan & Isolde 1952 (約11分)

ヒロイン、イゾルデの「愛の死」ソプラノは現代最高のワーグナー歌い、ニーナ・シュテンメ (約7分弱)
Nina Stemme - Wagner - Tristan und Isolde - Liebestod