井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

〈寛仁大度〉【泰然自若】

2018-09-27 08:13:00 | 日記
目の前に文字があると、自然と読んでしまう。

ある小学校の会議室に入ったら、目の前に「寛仁大度(かんじんたいど)」と書いた額が目に入ってしまった。

〈シシリーの王、アルフォンソは寛仁大度の人にして…〉

というような福沢諭吉の文章を合唱曲にしようとして悪戦苦闘したことが10年くらい前にある。

この経験がなかったら、この言葉は読めなかったような気がする。
とにかく、その時以来の再会だった。そうか、これは(少なくとも現在は)一般名詞か。

少し目を移すと、今度は「泰然自若」と書いた額が目に入った。

これはさすがに初めて出会った言葉ではないが、小学校の先生のイメージとかけ離れた言葉だと思うのは私だけか?

毎日が非常事態のような小学校、だから寛仁大度な人で泰然自若としていろ、ということなのかもしれない。

しかし、全員が泰然自若とした先生ばかりの小学校は果たして成立するのだろうか。
そんなことはあり得ないのが前提の標語か。

まあ、大きなお世話かもしれないが、もっと別の言葉もあろうに、と思わずにはいられない会議室であった。

演奏会のはしご

2018-09-17 20:43:33 | 日記
多分生まれて初めて、演奏会のはしごをした。
というのも、両方とも私が以前教えていた人、いわゆる教え子の演奏会だったから、両方とも見てみたかったのである。

移動に新幹線まで使って、しかも早退と遅刻だったが、こういうのは苦にならないどころか、とても楽しい。
あっちでもこっちでも、活躍の姿が見られるのだから。

などと言えるのは、両方ともそれなりに良かった証拠だ。

最初の方は築100年の教会で行われたバロックの演奏会。
この教会に今は亡き父が、ずっと籍を置いていたという興味もあって赴いたのだが、なるほど、すぐ裏に父の元職場と思われる建物があった。閑話休題。

あまり座席数も多くなく、そのためもあり満杯の聴衆。

ゲストにテラカド氏を招き、本格的なバロック奏法の協奏曲等が演奏されたのだが、聞き慣れたビバルディの「秋」が、あそこまで遊び心たっぷりのデフォルメされたことに仰天した。
テラカド氏が酔っぱらいを演じてよろよろ動き回りながら弾くのだから。

もう一つはファミリーコンサートタイプの小オーケストラの公演。

こちらも指揮者が激しく動き回ったが、こちらは「普通」である。

普通でないのはティンパニをドラムセットに置き換えたり、軽騎兵序曲で聴衆に手拍子させたり、等々。

でも終わって帰る聴衆が口々に「今日は楽しかったね」と言って帰っていったのだから、これは成功である。私も嬉しかった。

で、ふと疑問に思ったのは、アンコールがなぜ「ラデツキー行進曲」なのだろう、ということ。(今晩は別のアンコール曲もあったが…)

明らかにウィーンフィルの真似だが、ウィーンならばよくわかるのである。ラデツキー将軍は「そこそこ」強かったそうで、侵略してくる敵はしっかり追い払ってくれたそうだ。ウィーンにとっては縁起の良い将軍をたたえた行進曲、これはウィーンっ子には快感だろう。「なかなか」名曲だし。

しかし、日本人にとっては何なのか。

絶対的な名曲ならば、元が何であれ、どうでも良いことだ。

私の意見だが、この曲に合わせて手拍子するのは、少々高度な技術がいる。手拍子するために作った曲ではないから当然だ。
そのように、手拍子するには練習が必要、みたいな曲を、遠く離れた我等日本人がやる必然性があるのだろうか。

《軍艦行進曲》とか《東京オリンピック行進曲》で手拍子、ではダメなのだろうか。

個人的には斎藤高順作曲《輝く銀嶺》なんて好きなのですが…。

(そう言えば今日は斎藤高順氏の息子さんの誕生日でした。この場を借りておめでとうございます。)

語学の達人

2018-04-24 20:03:00 | 日記
大学の同級生のベース弾きに、とんでもない外国語の達人がいる。

大学に入った段階でドイツ語を6年勉強していて、既に通訳のアルバイトのようなことをやっていた。
私も高校に入った時、1カ月くらいドイツ語をやってみたが、授業と関係無いものをヴァイオリン以外にもう一つやるというのは無理だった。

そのドイツ語、大学に入ったら張り切って授業を受けたのだが、大学の授業とはなんと超ハイスピードで進むのだろう。もう何だかわからないうちに1年が終わった。

しかし、このように出来る人は出来るようだった。
なので彼には折に触れてドイツ語を教えてもらった。だから学生時代は敬意を込めて彼のことを先生と呼んだものだ。

彼ができたのは英語ドイツ語だけではない。18才当時、フランス語、ロシア語、ポーランド語、イタリア語などができたと思う。
スペイン系とアジア系はやっていないとか言っていた記憶がある。

しかし10年くらい前に会ったら、スペイン語はおろか、中国語、ベトナム語、タイ語(だったかな?)と、しっかりアジア系言語も習得し、目の前で韓国語の通訳もどきをやっていたのには恐れ入った。

いいのいいの。こちらは地味にフランス語をやりますから…。

4月になると外国語を学習したくなる

2018-04-21 16:49:34 | 日記
理由は簡単。
NHKの語学講座がスタートするから。

この安上がりの語学講座、10代の頃はお世話になった。

始まりは「基礎英語」
小学校の卒業記念に、その小学校の先生達が児童の私達にテキストをプレゼントしてくれたのだ。
恨みつらみの方が多かったような小学校だったけど、これは素直に嬉しかった。
当時1冊100円。

その後、まあいろいろやったのだけれど、今月久しぶりに手にしたのはフランス語。テキストは500円弱にまで値上がりしていた。

値上がりは、致し方ないことで、ちょっとびっくりはしたものの、それは納得。

ショックだったのは、あれほどにぎわっていた広告が、ほんの少ししか載っていなかったこと。リンガフォンやら何やらは、一体どこに…。

昔のテキストは学習教材と語学学校、それに学習機材の広告センターみたいなもので、ラジオやテレビで足りなければ、それらの広告に頼れば良かった。

機材はICの発達で、昔よりずっと安価で素晴らしい機能のものが手に入る。

しかし、リンガフォンのように手間ひまかけた優れた教材はなくなってしまったようだ。
語学学校も結構閉鎖してしまった。

さらに英語一辺倒の流れも加速している感じがする。

そのうちグーグル先生も完璧な翻訳を提供してくれるようになり、語学学習そのものが不要になるかもしれない。

これで良いのだろうか…