「最近の学生は、さらわない」
と言われて、学生はただひたすら頭を下げるだけ。なぜならば、先生の言葉通り、さらっていないからだ。(蛇足ですが、「さらう」は漢字で「復習う」と書くそうです。)
その学生のうちの一人が私。今をさること、数十年前の話だ。先生は、
「世間の方は8時間労働されているでしょ?」
だから8時間さらう、という理屈。私は一回だけ8時間練習に挑んだが、後で通産してみると、4時間弾いて、4時間休んでいた!滅茶苦茶疲れるのだ。とても自分にはできないことがわかったので、それっきりやったことがない。
最近は、週35時間のワーク・シェアなどという考え方も出てきたが、それでも一日5時間練習なので、依然無理。(断っておきますが、これはヴァイオリンの話です。ピアノにはあてはまりません。軽々しくピアニストに話そうものなら「なんと軟弱な」と言われるのがオチ。)
「一日4時間以上、練習してはいけない」と偉大なヴァイオリニスト先生がおっしゃっていますが、などとは、とても言える訳がない。さらわねば・・・という強迫観念だけが増大していく日々だったような気がする。
時が変わって、今度はこちらが学生に対して嘆く立場になる。
「どのくらい練習している?」
「週4日」
などという、ふざけたヤツがいるから、悩みは尽きない。
しかし現在自分が置かれている状況では、いかに練習させるか、教える側が精一杯の工夫をしなければならない。学生がさらわないのは先生の責任にされる御時世である。昔はオリンピックにも芸術競技があって、さらえばオリンピックに出られたらしい。その名も、
サラエバ・オリンピック
(二十年前、とある音楽高校ではやっていた言い回しでした。)
さあ、復習おう!