井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

賑やかVS寡黙

2009-05-02 12:44:54 | ヴァイオリン

 毎年,新入生を迎え,生まれて始めてヴァイオリンを手にする人達にヴァイオリンの弾き方を指導する。グループ・レッスンである。当然ながら毎年反応が違う。

 今年の1年生は半分がやたら賑やかである。これが少々心配なのである。あくまで「おしなべて」であるが,賑やかなグループはあまり上達せず,寡黙なグループの方が上達する傾向があるからである。実際,あと半分の「寡黙グループ」が2週間で差をつけ始めた。上達が速いのである。

 「賑やか」グループが口を開く前に,どんどん先に進めるようにすると,一応はそれほど賑やかではなくなる。それでうまくいったように一見思われるが,期末にアンケート(最近は学生による授業評価がある!)をとると「進度が速すぎた」「難しすぎる」などという「マイナス評価」になって,結果が出てくるのである。

 少しは難しいことをしないと上達はないのに,これを「マイナス評価」とするアンケートも変だと思うのだが,それはさておく。

 「賑やか」グループが口を開くことが,必ずしも悪いことではないのが,問題を複雑にしている。というのは,彼等は一種の感動をしているからである。これは音楽をやるにあたって必要不可欠のことだ。これを封じ込めて先に行くこと自体に「私の」抵抗がある。ジレンマである。

 結局,少しは適当にしゃべらせておいて次にいく,ということをするのだが,その間「寡黙グループ」はひたすら練習しているので,やはり差は出てくる。これは致し方ないだろう。

 高校生までの話だが,ヴァイオリンのレッスンにおいて,おしゃべりをする子に上達するケースはほとんどない。自分の経験では,ヴァイオリンを弾く頭の回路と,話をする頭の回路は,かなり共有部分があって,ヴァイオリン・モードの時に口は動かないようになっている。例えば先生から質問されても,なかなかしゃべれないものだ。回路が「しゃべり」に切り替わらないのである。

 私だけではない。私の知り合いのおしゃべりなヴァイオリン弾きは一杯いるのだが,彼等も異口同音に「高校までは一言もレッスンでしゃべったことなんてなかった」と言う。
 これが大学にはいると,なぜか口が動き出すのである。自分もそうだった。

 新入生を見ていると,そんなことを思い出してしまった。感動を内に秘めて,寡黙にひたすら,というのがいいなあ・・・。