井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

田中千香士の芸術

2009-07-02 23:49:23 | ヴァイオリン

 幻の録音が、めでたく先月リリースされた。

田中千香士の芸術
価格:¥ 2,800(税込)
発売日:2009-06-24

 追悼企画と銘打ってある。2枚組みのCDであるが、私に思い入れがあるのは、その中のフォーレのソナタである。

 千香士先生は妙に断言するのが口癖だった。
「レッスンが必要なソナタは4曲。クロイツェル、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル。フランクは機が熟すれば弾ける。」

 幸いにして、その4曲のレッスンは何とか受けられた。そのうちの一曲である。

 フランス物につきまとう難しさがある。濃厚な味付けはフランス的ではなく、かといってフランス人の表現は、ともすると淡白に聞こえ、早い話が手本にするには躊躇してしまう、ということだ。

 フォーレをやる時も御多分にもれない。私も人並みにCDを買った。これは、と目星をつけたのが、シュロモ・ミンツとピエール・ドゥカン。ミンツのは面白いけれどフランス風には聞こえない。ドゥカンのはフランス風だけれど、薄味で物足りない感がある。図書館で借りたシェ・ウィという中国人の方がよほど好感が持てた。

 その中で、東京文化会館の資料室に行って、何かぴったりくるものを探しに行ったら、見つけたのが師匠のレコード。自分の先生だから、という要因が多分にあるのだろうが、理想的な演奏に聞こえたのである。大変素晴らしいと思った。

 このような録音を遺されていること自体、知らなかったので、恐る恐る先生にお伺いを立ててみる。「あの録音は・・・?」

 「あんなの聞いちゃだめだよ。ゴトシ(仕事)の世界だから」
と、相変わらず煙に巻く返答である。ある日呼び出されて、スタジオに入ると「これ弾いて下さい」と言われて録音しただけのものだから、とか何とか言われたような気がする。それが照れなのか謙遜なのか,未だにわからない。本当のことを伝えるより、(仮に作り話でも)面白い話をすることに価値を置く先生だったし…。だからと言って、歌謡曲のバックを録音するノリでフォーレを弾く訳がない。やはり「照れ」だな・・・。

 ピアノの近江康夫氏が、またいいのだ。1楽章の低音(ベース)にシビれる。
「同じ頃、コンクールにはいってね。」
 その組み合わせでレコード会社が売り出そうとしたのであろう。

 とにかく先生の言葉を聞くと、少なくともその時は、素直に良いと思って良いのかどうなのかわからなくなってしまったのである。

 これを今聴けば、もっと自分なりの評価もできるだろうに、上野まで行かないと聴けないとなると、いつのことになるのやら、と思っていたのであった。だから、今回の復刻はとても嬉しかった。

 早速聴いてみた。

 この録音に対してあまり客観的な叙述はできないことがわかった。我々弟子にとっては、その演奏姿が容易に思い浮かぶのだ。その幻想にひたってしまって、他人にどう聞こえるかなんて、どうでも良くなってしまうのが正直なところである。

 なのだが、無理やり客観的になって述べれば、好みが分かれる演奏かもしれない、と思った。

 私にとって快感なのは、基本的に「まっすぐな」演奏で、たまにちょっとブレーキがかかる、といった具合の音楽作りである。この好み自体が、先生によって形成されたものかもしれないが、とにかくこれが「ヨーロッパだ」と叩き込まれたし、快感に感じるように教育されてしまったのである。

 そのせいで良いと思っているのかどうか、率直に言って、よくわからない。でも、このセンス、やはり多くの方に聞いてほしいと思う。かつて五嶋節さんを虜にし、篠崎功子先生をして「日本人のヴァイオリンを聴く気にはなれないけど、千香士さんだけは別」と言わしめた存在、決して私だけが悦に入っているのではないはずだ、と思う。是非御一聴あれ。