井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

いい天気になれなれ

2010-05-18 21:20:22 | 大学

筆者の通った中学校には「アナライザー教室」というのがあった。各座席にスイッチがあって、それを押すと、教壇近くに置いてある機械に結果が集約されて、スイッチAを押した者○名、Bを押した者△名、というのが電光掲示板でわかるのであった。

その装置を使う前に必ず試運転がある。

「ではまず、全員Aを押してください。押しましたか?(そうか、こことここは電気がつかないな。球切れかな。)はい、では挙手で・・・」

このアナライザー教室が役に立った記憶は全くない。昭和40年代のハイテクはこの程度のローテクであり、さらにローテクの挙手に及ばなかった。こんなものに税金が投入されたが、誰も文句を言わなかった。世の中全てが、このような中途半端な製品であふれており、それが当たり前、そのような中途半端な製品を作り、買うことで社会が成り立っていたのだから、文句を言う筋合いではない。

今日の会議で、それを思い起こさせる機械が披露された。ソクラテック・ナノという。21世紀は、まず無線である。端末がカードになっていてボタンが6個。それを押すと電波がコントローラへ飛び、コントローラにつながるパソコンで集計され、結果はスクリーンに映し出される。

元々は授業で使うために購入されたのだが、数ヵ月後には教授会にも導入されて、投票に代わる集計マシンとして使われるそうだ。空中都市008の世界だなぁ。

それに先立って、まず試運転である。二択や四択の設問が用意されていた。クイズ高校選手権の問題から持ってきたそうで・・・。大学の先生の会議の席上であるから、淡々と、目はランランと。

「シーザーサラダはシーザーさんが作った。」(これは正しいそうだ。)

「ホワイトハウスに初めて住んだのはワシントン。」(これは間違い。建設が間に合わなかったとかで最初に住んだのはジョン・アダムズ。)

こんな気楽な会議ばかりだったら楽しいんだけど、なんて思っていたら問題発生。

「電話の天気予報サービスの番号117は、いい天気になれなれからきている。」

ちよっとたんま。大学の先生は、一般には全く気にしないことを取り上げては問題にしてみせるのが特徴である。今回問題視したのは、何を隠そう、筆者自身である。

「時報が117で、天気予報は177じゃないですか?」

集計がストップした。議事進行係の職員が、

「ああこれ、コピーペーストで持ってきたもので・・・」

ところが、それで終わってしまった。フォロワーが全くいない。皆さん再び淡々とボタンを押し始めた。近くに座っていた技術科の先生がボソッと、

「いい天気になれなれだから177かもしれないな・・・」

ちょっと待ってよ皆さん。117と177の区別も知らんとね!元電電公社の家族達は、幼少のみぎりから教育されている。「時報はピッ、ピッと鳴る、天気予報は、天気になれなれ。」技術科の先生が知らないとなれば、あとは推して知るべしだが。

これ、電話帳の最初の方にも書いてあったんだよ、といきり立っても始まらない。

そのうち、哀しみが訪れてきた。筆者でも天気予報はテレビか携帯電話のサイトしかみなくなっている。(でも時計合わせは117だが。)これだけ電話離れが起きているということ、時代の流れというものなのだなと、しみじみ感じない訳にはいかなかった。

ちょっと前にプッシュホンの計算サービスが終了した。筆者も使ったことがない。存在さえ知らない人がいてもおかしくない。(でも、これ夢があったんですよ。うちの電話が巨大コンピュータにつながって計算やってくれるってね。)

117と177、ともに長生きしてほしいなあ、と思わずにはいられなかった。