井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

スケーターの音楽センス

2010-10-27 21:18:21 | スポーツ

こんこん様
大変興味深いコメントをありがとうございました。
「曲を聴いたときに思わず体が動くほど気にいった」というのは重要ですね。誰でも、そのような曲で演技すべきだと思うのです。本人が決めたということは、やはりスケーター自身のセンスも問われるのだということが、はっきりしました。

たったこれだけ書いて、約70件のアクセスがあったので、やはりスケート愛好者は裾野が広いですね。
せっかく訪れて下さった方のために少し補則してきます。最初はコメントとして書き始めましたが、段々長くなってきたので、記事の方に変更しました。(あくまで音楽屋さんの立場でものを言いますが、感動を追究するという意味では、フィギュア・スケートとの共通点は結構あって、このような話題は面白いかもしれません。)

感動の正体は感情刺激の積み重ねだと思います。積み重ねは波状に刺激がくることで積み重なり、そのタイミングと量で感動の深さが決まると思います。

フィギュア・スケートの場合、例えばジャンプが決まれば一つ感動を呼び起こす訳ですね。つまり観ている側がジャンプの前に徐々に期待を募らせ、跳んで着氷する瞬間が刺激のピーク、それから次の滑りに無事つながっていくと高揚感が鎮静に向かうというプロセスだと思います。この繰り返しで感動が大きくなっていくことになります。

このような高揚感と鎮静の繰り返し、クラシック音楽にもとても多く現れます。ユヅル君の使った「ツィゴイネルワイゼン」もその一つ。だとするとピッタリ、かと思いきや、大抵はミスマッチになります。それは、音楽の高揚する場所とスケートの見せ場を一致させることがまずできないからです。今回も案の定、音楽が休符に入った(つまり無音状態の)瞬間にジャンプが入ったりして、全くチグハグでした。

では、スケートの高揚感や鎮静度に合わせてオリジナルの音楽を作ればピッタリか、というと、そうでもないのです。劇の伴奏音楽や映画音楽の世界でミッキーマウス何とか、という名前がついているそうですが、実は一歩間違うと滑稽なものになる危険性があります。トムとジェリーを思い出してもらえばわかると思いますが、あのようにピッタリというのは「笑い」を誘う可能性大です。

笑いも感動の一種、スケートで笑わすことができたら、それはそれですごいかもしれませんが、少なくともユヅル君はお笑いを目指しているとは思えないので、とりあえず敬遠しましょう。

じゃあ、何が良いのか。

高橋選手のピアソラはタンゴの親戚(これがタンゴかどうかは何十年も論争が続いた歴史があるので、ここでは深く追求しないでください)、マオー選手が昔選んだ「仮面舞踏会」はワルツ形式のバレエ音楽、というようにいずれもダンス曲でした。ダンス曲は元々躍動感を含んでいるものなので、一番問題が起きにくいでしょう。その線でいくと、本ブログでなぜか人気の「エスタンシア」(ヒナステラ作曲)などは良いかもしれません。

でも、高橋選手がオリンピックで使用した「道」(ジェルソミーナ)はダンスとは言い難いです。しかし大成功でした。なぜでしょうか。

どんな音楽でも、高揚に向かっていく箇所と鎮静に向かっていく箇所があります。これを感じ分けることさえできれば、問題はほぼ生じないと言えるでしょう。

スケートのジャンプの前、滑りとしては単純になりますが、いわゆるジャンプのための準備をしている箇所になります。ここでは絶対、高揚していく音楽でなければなりません。観客は無意識に音楽を聴いています。音楽で徐々に観客の心が高揚していって「ジャンプ」、これは確実に感動します。選手が美しく見えます。

逆に鎮静方向に向かう音楽の中でジャンプしたら・・・スケートとしての評価に変りはありませんが、観客の心をつかむ度合いがかなり減り、美しいと感じる人も減る、ということになるでしょう。選手としても自らを鼓舞するのに、余計なエネルギーを使うことになっているはず。このケース、実は結構多いのです・・・。

高揚か鎮静か、このほんのわずかな曲調の変化に気を配るだけで、ずっとメダルが近づく、私はそう信じています。日本のスケーター達が、早く音楽に敏感になりますように・・・。