井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

音楽大学では何を勉強しているか

2011-01-20 23:12:07 | 音楽

音楽大学を出ずに音楽家になった人というのは、昔からある程度の割合で存在する。その人達の評価は高い人から低い人まで様々。よって音楽大学を出た出ないは、音楽家としての評価に直接結び付くものではない。

当然ながら傾向として、音楽大学出身者に優れた音楽家は多い。これは当たり前である。

考慮すべきは、音楽大学出身ではないけれど優れている音楽家の存在。こういう方の前で、並の音大出身者はタジタジになる。

ある合唱指揮者で音大卒ではないのだが、音楽作りは立派、知識も博識をほこる方がいらっしゃる。あまりにもよく勉強されているので、ぶしつけにもストレートにきいてみた。

「あまりにもよくご存じなので驚いているんですが、どうやってここまで(勉強して)来られたのですか?」

「音楽大学の方は、皆さん学生時代に勉強なさっているでしょう?私は音大出身ではないから・・・」

「・・・・・・」

はて、音大生はここまで勉強しているだろうか? アルシス、テーシスなんて私が覚えたのは「題名のない音楽会」であって、大学の授業ではなかった。大学の授業でも、結構覚えきれないくらい、多くの講義があり、それほど無駄な時間を費やしたつもりはないのだが。

勉強しているのか、していないのか、よくわからないなあ、と10年ほど思い続けていたところ、昨年春、事態は少し変わった。

三つ年下の作曲家の友人(後輩とも言う)と久しぶりに会って話す機会があった。合唱の世界と、我々が所属すると思われる「器楽音楽」の世界、両方を知る数少ない人である。たまたま私と会った後に、件の合唱指揮者と会うということがわかり、積年の疑問をぶつけた。

「音大出身者は学生時代勉強しているでしょ?って言うんだけれど、してるのかなぁ?」

「してないんじゃないですか?」

と、彼は即答した。そうか、そこまで言い切るか。

ちなみに、彼は勉強していた。私が先輩だったこともあって、「オーケストラの授業をスコア持って聞きにくるとオーケストレーションの勉強になるから」などと言って、単位にならないことにも引っ張り出して勉強させたくらい。

私なども卒業要件単位を20以上上回る単位をとって卒業したくらい、いろいろやったはず。でも件の指揮者には及ばない。一体どうして? 私たちは一体何をやっていたのだろうか?

この答が、さらに半年以上してから、ようやく見えてきた。

心血そそいでいたのは「技術」の訓練なのである。

なーんだ、と言うなかれ。例えば、ヴァイオリンの左手は19才で完成され、それ以後は努力しても伸びない、と脅されていた。こうなると浪人生はアウト。ストレート合格でも1年以内に何とかしないといけないから必死になる。確かに上手いやつはみんなストレート組だから、余計信憑性が増す。(ちなみに、19才で完成、はウソ。)

技術の中でも、各楽器、最終的に血眼になるのは「音色」をみがくことである。音楽の構成がどうのこうの言うのは、魅力的な音色を作れるようになった後の話である。いい音で演奏しなければ、世間から相手にされないのを、いやというほど皆知っているのだ。

この「音作り」にかける執念こそ、音大以外の人間にはわからないかもしれない。これこそ、良くも悪くも音大という環境の成せるわざ。音大に行くと、始終いろんな音が飛びこんでくるが、Aさんのあの音、Bさんのこの音、自分よりいい音だったら即、劣等感のかたまりに自分がなっていく。ここから脱出するためには、あれよりいい音でなくてはならない。その強迫観念で4年を過ごすのである。

理想を言えば、並行して音楽作りの勉強もした方が良い。もちろん皆していない訳ではない。が、これは卒業してからでも結構できるのである。

一方、音色作りは事実上音高音大でしかできない。自分と同年代の同じ楽器の人間が、半完成の状態で間近にいる、この環境は何物にも代えがたい。もちろん一般大学では無理だから、音色の完成に必要なインプット作業を独自にやることになる。

独自にやると、あの常軌を逸した音大生みたいに必死にはならないから、獲得した音色も、まあそこそこの、という程度になる場合がほとんどだ。これはそのまま、演奏家の評価に直結しやすい。5分を超える曲をソロで演奏しない限り、音色以外の要素では判断しないのが世間である。

なので、音大生はひたすら「技術」の勉強をしており、勉強していないという訳ではないと言って良いだろう。(という一応の結論を得て、私も安堵。)

しかし、

5分を超える曲を一人で演奏しようという場に立つ人は、音色だけでなく「音楽作り」の力が求められる。これは音楽大学でもレッスンや合奏の場で実践的に扱われるが、体系的に扱われることは極めてまれ。大抵は卒業後に勉強することになる。

でも、それが大事だ。音大を卒業してからは「音楽作り」の勉強が絶対に必要である。冒頭の話における「勉強」は、そのことを指している。

問題は、それを勉強する機会、場所、機関等が少ないこと。しかも卒業してからは「勉強する」は「遊んでる」とイコール、と世間は見なす。隠れて勉強しなければならないのである。これは大変なことだ。でも、それができた時、ほぼ確実に「ひとかどの」人物になっていることだろう。在学している皆さん、卒業する皆さん、がんばってもらいたい。