井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

新・ツィガーウ or ツィガワヌ

2011-01-23 07:33:02 | コンクール

以下しばらくは2007年7月31日に書いた記事である。

 ユーチューブというのは問題も相当あるが,便利と言えば便利,見入ると止まらなくなるのも問題である。

 「琉球頌」のピアニスト,エム氏が出ているというので,観てみた。チャイコフスキー・コンクールのヴァイオリン二次予選である。曲はツィガーヌでヴァイオリンは高校生。

 高校生としてはさすがに立派な演奏だと思った。が,天下のチャイ・コン,世界最高の水準に照準をあてると,あれやこれやと思わせる。そして,ラヴェル!私は,この作曲家の作品が大好きで,これに関してはちょっと詳しいのだ。

 この曲は長いヴァイオリン独奏で始まる。この類のものを日本人が弾くと「一音入魂」になりやすい。また「一音入魂」の演奏は日本人好みなのである。
 が,西洋音楽のスタイルには反する。4拍子で書いてある以上は4拍子で演奏するのが原則である。と私は師匠から叩き込まれた。

 同じ事を昔,かのブロン教授も言っていた。20年近く前,まだ今程有名ではなかったが,弦楽指導者協会が招いて公開レッスンを聴講したことがある。日本音コンで入選だか入賞だかした男の子がツィガーヌを弾いたのだが,まずはカウントを取らされた。ブロンの腕が1,2,3,4と規則的に動くのである。
 かくして「一音入魂」の世界は消えていくのだが,やはり日本人の民族性に基づいたものなのか,なかなか根絶はしないようで……。

 とはいえチャイコン,ブロンの言うことに逆らって先には進めないだろう。はっきり逆らっているほどではないのだが,時々拍子を無視しているのが気になる。この段階でまず「ツィガーウ」!

 ピアノが加わると,しばらくはピアノの好サポートもあって,なかなか良かった。時々「越中おはら節」に聞こえなくもないが,スタッカートは鮮やかだし,落とすのも惜しい,と感じた審査員もいたかもしれない。

 が,新たなメロディーが出るハンガリー風のところで,またもや拍節感が失われ「ツィガーウ」!ハンガリー語は語頭にアクセントがあるから1拍目をしっかり弾いてからシンコペーションを出すべきなのだ。シンコペーションだけ出しては「鹿児島おはら節」か「串本節」と同じ節回しになってしまう。ここは躍動感を期待する場所だが,浮遊感に変わってしまった。エッジがない音が連続する,いわゆる「ルーモっぽい」音なので,当人は1拍目をきちんと弾いているつもりだろうとは思うのだが,うーん残念。

 最後の16分音符の連続でも強拍が失われ「寿限無」状態。しかしジュゲムは面白い。面白いと思った人も聴衆にはいたと思う。ただ作曲家の意図とは違うのは明らか。ラヴェルはテンポの幅さえ許容しなかった。

 とどめの2小節,ここにハンガリー風の逆付点リズムがピアノ・パートにある。これをきちんと聞かせるにはリテヌートをかけなければならない。これを無視しては「ツィガーウ」。

 という訳で,総括すると,かなり日本風の演奏と言えるかもしれない。それで井財野としての結論は,早く「ナガウタ」という名のヴァイオリン曲を作って,国際コンクールで弾いてもらわねば・・・というものであった。皆様,今しばらくお待ちを・・・。

これが当時の見解である。今でも基本的に変わってはいない。「ナガウタ」はなかなかできないが。

さてこの動画、現在でも見られ続けていて、再生回数は優に2万回を超えている。これを読んで下さっている方々の中にも、ご覧になった方は多く含まれていると推察する。高校生だった彼女も大学生。さらに磨きがかかったであろうから、現在の話と受け取ってもらっては困る。あくまで過去の話だ。

ところで、先日ふと耳にしたツィガーヌ、最初はカウントを守っていたが、徐々に一音入魂的演奏に変っていくものだった。私が馴染んでいるパールマンあたりはまずやらない方法だ。あれ?と思い、演奏者を調べたらレーピンである。

実は前述の公開レッスン、ブロンは二十歳そこそこのワジム・レーピンを連れていて、最後に模範演奏のようなことをさせたのだ。体格はやたら大きくて、顔だけ子供のレーピンだった。そこで弾いたのはサンサーンスだったか何だったか、あまり覚えていない。というのも、それほど上手いとも思わなかったからである。

で、ここから先は想像なのだが、真面目なレーピンはずっとブロン師のレッスンを舞台袖で聞いていたのではないだろうか。そして、心ひそかに「先生は、あの日本人のやり方に否定的だけれど、結構面白いかも」と思う。「いつかやってやろうじゃないの・・・」

そして、自分のレコーディングの際、それが実現した・・・

ロシア人は元々の原住民と攻め入ってきたモンゴル人との混血が祖先だという。ヨーロッパ人の中で、割とアジア寄りの民族と言えなくはないだろう。日本流の演奏法が琴線にふれた可能性が考えられる。

さらに一方、例えは悪いが、嘘も百回言えば真実になると言われている。画像の演奏が「嘘」ではないのだが、少なくともフランスの伝統からは遠い。しかし2万回も見られているということになると、新しいスタンダードという解釈が可能になってくる。

日本的な無拍節な演奏が、市民権を得るというのは、日本人にとってなかなか愉快な話ではないだろうか。今後の世界の動向を見守りたい。