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大震災の被災地の皆さんを元気づけるために、音楽家は何ができるか?
と、あちらこちらで考える人は多い。(この場合の「音楽家」はクラシック音楽に携わる人々のことである。)
考えた挙句「何もできない」という答を導き出した人も多い。
さもありなん。自分の仕事も奪われているのだから。
加えて、被災地には義捐金がほとんど届いていないなどというニュースも入ってくる。音楽家に限らず、誰も何もできない状況を思い知らされる。
でも、何かできることはあるだろう、と良心的な人は思う。人はパンのみにて生きるにあらず、芸術は人間を元気づけるためにあるのだから。
しかし、演奏家がそれで生きていくには、震災がなくても随分前から青息吐息の地域もある。
一方、以前にも書いた通り、山pは大勢の人を集めている。これは彼が必要とされていることを実証している。
では被災地で必要とされているものは・・・。
まず衣食住に関するもの、これは当然だ。次に精神的な部分で必要とされるものに音楽が含まれるだろう。
それはバッハ、でも良いかもしれないが、いろいろ考えると、やはりまずはこれではないか、というジャンルが「歌謡曲」。
何を隠そう、井財野の得意分野はバッハと昭和の歌謡曲である。数曲ではあるが、その種のレパートリーもあり、そういえばその昔、福島県の相馬市あたりで演奏したのを書きながら思いだした。もっとも井財野版歌謡曲は、聴衆にしか伝わらず、同業者にはパガニーニかプロコフィエフに聴こえるようであるが、それでいいのだ。
という訳で、久しぶりに資料音源を聴いてみる。まだ井財野が手を出していない山口百恵の歌。
断っておくが、私は山口百恵のファンではない。だが、ほとんどの日本人が知っていた、それが昭和の歌謡曲の特徴である。
で、この「横須賀ストーリー」。これはかなり話題になった。半音の上向アポジャトゥーラによるユニゾンのシンコペーションを3小節くりかえし、スペイン風「ミの旋法」につなげるイントロダクションも独創的だが、続く冒頭の歌詞が「これっきりこれっきり、もう、これっきりですかー」だから、始まりなのにもうおしまいですかーと錯覚してしまう。こんな奇抜なもの、今誰か思いつく人はいるだろうか?
作曲は宇崎竜童、これ以降、阿木=宇崎の楽曲を山口百恵は歌うことになるが、その第1作目はことほど左様に強烈なインパクトがあった。
そして私が注目したいのは、伴奏の編曲である。1970年代まではシンセサイザーがまだ本格的には使用されていない。この曲では電子オルガンの音は聞こえるが、明らかに人間が弾いており、かなり目立つサクソフォーンを始め、ヴァイオリン等のサウンドがとても人間的である。そこが良い。
ついでに「イミテーション・ゴールド」「赤い絆(レッド・センセイション)」と聞いたのだが、こちらには女声バック・コーラスが入る。「ウー」とか「ワー」とか「フ・フ・フー」などというのだが、今はとんと聞かなくなったなぁ。当時は「シンガーズ・スリー」など、そのバック・コーラスのベテランもいたのだけれど。
と、このように語る材料には事欠かないほどの豊かさが、当時の歌謡曲にはあったのである。ついでに言えば、我々の同業者の仕事もその分あった、ということだ。
では次回は追悼の意を表してキャンディーズの中から・・・。