
ある審査会で、さる高名な音楽家と会う機会があった。○○音楽賞をもらうくらい世間での評価は高い。
審査が始まる直前、開口一番のたまわった。
「サン=サーンスのバイオリン協奏曲って知らないんだよね。全く演奏されないでしょう?」
知らないこと自体は誰にでもあるから、それを云々するつもりはない。しかし、知らないことを恥じるどころか、それを知っていても何の意味もないような口振りは、バイオリン弾きにとっては噴飯もの! だが、そこは抑えて、
「バイオリンを弾く人間はみんな必ずやる曲なんです。メンデルスゾーン並みの美しさはあると思いますよ。ただちょっと音域が低いところがあって、オケに埋もれやすいところもありますが。」
と言うに留めた。
それを受けて、
「チェロ協奏曲はよく演奏されますけどね。」
と言うので、
「チェロ協奏曲より名曲だと思いますよ。」 と私。
「まあ、彼のアイデアは良いから、そういうこともあるでしょうね。」
何をエラそうに! フランス作曲界の権威だったアンリ・ビュッセールは、サン=サーンスのバイオリン協奏曲第3番を、フランス産の全協奏曲の中で、最高傑作に位置付けている。それが全てとは言わないが、そういう見解があって全くおかしくない傑作であることは、論をまたない。
という次第で、この高名なる音楽家に対する私の評価は一旦地に落ちた。
が、ヨーロッパ滞在が長かったことが、伊達ではなかったのだな、と思う瞬間もあったのである。
オペラに向き合う心の姿勢に関する話だったが、
「ドイツとかイタリアはドラマがあるんですよ。日本人にもあります。でもイギリス人(イングランド人?)にドラマは無いんです。薄いんですよ。」
これは別の人との会話を傍で聞いていたにすぎないが、なるほど、と私は膝をうったのだった。
イギリスの音楽というと、エルガーを筆頭に、ホルスト、ブリテン、ウォルトンなどを思い浮かべるが、この辺りはかなり国際化したイギリス音楽だと思う。
一方、どうしようもなくイギリス、の横綱格にヴォーン=ウィリアムズがいる。我々が演奏すると、どうしても明治大正の匂いがしてしまって、どの曲も笑いを禁じ得ない。
変な曲だなと、今まで笑って聞いていたのだが、根本の考え方を改める必要がありそうだ。
上述の見解によると、あれは淡々と演奏すべきなのかもしれない。我々がいつも通り考えると、そこにドラマを見いだそうとするから、勢い演歌以上に泥臭くなることしばしばだ。それはやってはいけないとは言わないが、作曲家の意図とは異なる、ということかもしれない。
さもありなん、テニスもサッカーも競馬もガーデニングもやって音楽を聴こう、などという人が、いちいちドラマチックにできるか、ということだ。全て淡々とこなす、うすーい国なのだろう。
君子の交わりは淡き水のごとし、とは中国の言葉だったと思うが、そうすると、ジェントルマンというのは君子ってことなのかな?
という訳で、気に入らない人物からでも学ぶことはある、という話であった。