井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

紳士は君子?

2011-10-19 18:19:23 | 音楽

ある審査会で、さる高名な音楽家と会う機会があった。○○音楽賞をもらうくらい世間での評価は高い。

審査が始まる直前、開口一番のたまわった。

「サン=サーンスのバイオリン協奏曲って知らないんだよね。全く演奏されないでしょう?」

知らないこと自体は誰にでもあるから、それを云々するつもりはない。しかし、知らないことを恥じるどころか、それを知っていても何の意味もないような口振りは、バイオリン弾きにとっては噴飯もの! だが、そこは抑えて、

「バイオリンを弾く人間はみんな必ずやる曲なんです。メンデルスゾーン並みの美しさはあると思いますよ。ただちょっと音域が低いところがあって、オケに埋もれやすいところもありますが。」

と言うに留めた。

それを受けて、

「チェロ協奏曲はよく演奏されますけどね。」

と言うので、

「チェロ協奏曲より名曲だと思いますよ。」 と私。

「まあ、彼のアイデアは良いから、そういうこともあるでしょうね。」

何をエラそうに! フランス作曲界の権威だったアンリ・ビュッセールは、サン=サーンスのバイオリン協奏曲第3番を、フランス産の全協奏曲の中で、最高傑作に位置付けている。それが全てとは言わないが、そういう見解があって全くおかしくない傑作であることは、論をまたない。

という次第で、この高名なる音楽家に対する私の評価は一旦地に落ちた。

が、ヨーロッパ滞在が長かったことが、伊達ではなかったのだな、と思う瞬間もあったのである。

オペラに向き合う心の姿勢に関する話だったが、

「ドイツとかイタリアはドラマがあるんですよ。日本人にもあります。でもイギリス人(イングランド人?)にドラマは無いんです。薄いんですよ。」

これは別の人との会話を傍で聞いていたにすぎないが、なるほど、と私は膝をうったのだった。

イギリスの音楽というと、エルガーを筆頭に、ホルスト、ブリテン、ウォルトンなどを思い浮かべるが、この辺りはかなり国際化したイギリス音楽だと思う。

一方、どうしようもなくイギリス、の横綱格にヴォーン=ウィリアムズがいる。我々が演奏すると、どうしても明治大正の匂いがしてしまって、どの曲も笑いを禁じ得ない。

変な曲だなと、今まで笑って聞いていたのだが、根本の考え方を改める必要がありそうだ。

上述の見解によると、あれは淡々と演奏すべきなのかもしれない。我々がいつも通り考えると、そこにドラマを見いだそうとするから、勢い演歌以上に泥臭くなることしばしばだ。それはやってはいけないとは言わないが、作曲家の意図とは異なる、ということかもしれない。

さもありなん、テニスもサッカーも競馬もガーデニングもやって音楽を聴こう、などという人が、いちいちドラマチックにできるか、ということだ。全て淡々とこなす、うすーい国なのだろう。

君子の交わりは淡き水のごとし、とは中国の言葉だったと思うが、そうすると、ジェントルマンというのは君子ってことなのかな?

という訳で、気に入らない人物からでも学ぶことはある、という話であった。