井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

小中学校の成績はあくまで中間発表

2012-03-25 13:34:16 | 日記・エッセイ・コラム

昨年に書いた「感動の定量評価」、その元となったEメールを書いてくれた元同級生、ならびに、その感想と付随情報を提供してくれた先端医療の研究員の方と、相次いで先日会うことができた。

特に、その同級生はざっと28年ぶり、その間の時間を埋めるがごとく、6時間弱、しゃべくり通した。こんなことも人生そうそうないような気がする。

医者としての彼の専門は心臓だそうで、現天皇陛下の手術についても興味深い話が聞けた。

心筋梗塞の手術の場合、風船のようなものをふくらましてやるのが、一番効率的。ところがこれは1000人に2,3人の割で失敗するんだ。だからあの使える血管をつないでやる方法をとったみたいだけれど、あれはまた梗塞を起こす可能性が高い。関西だったら9割以上風船だけれど、関東は半々だな。

手術の方法に地域性があるとは初耳だった。

というような専門的な話もあったが、私にとって最大の関心事は、彼の現在の片鱗が、かつての中学生時代には全く見られなかったことである。私の印象は社会と美術ができる人、であった。どうしてこうなるの?ということ。

すると、いろいろユニークな事例が出てきた。

小学校時代は、全く勉強をするタイプではなく、特に算数は小学校4年から4年間、全くしなかったという。なぜかというと「りんごが何個、ミカンが何個」の類の文章題になると、頭がもやもやして、全く受け付けなかったから。それが数学の連立方程式になって、初めてすっきりと頭に入っていったそうだ。抽象的な思考の方が合うタイプという訳だ。

また数学も微積分が出てきて、ようやく全てが理解できるようになったらしい。全てというのは数Ⅰなどに留まらない。三角形や平行四辺形の面積を理解するのも人より5年くらい遅かったような話ぶりだった。

そんなこんなで、小学校のブランクの4年間からスタートして、高校を卒業する時の成績は学年で2,3番まで上り詰めた。とにかく成績が下がったことがほとんどないという、それだけみると実にうらやましい人生だ。

で、並行して野球をやっている。東工大時代にまで野球部に所属。その頃、東京大学との試合があって、初めて「あ、東大ってのはいい学校だ」と思ったのだそうだ。

こうやって書くと非凡ぶりが強調されるが、ちょっとそれとも違う。

本当に非凡な人の話も聞いたが、それらを聞いて強く感じたのは、現行の教育システムに合致できると成績は良く、合致しなければどれだけ非凡であろうと成績は良くない、ということ。

彼のうろ覚えだが、クラスメイトで、恐らく最低の成績だった男が九州工業大学かどこかの大学に行った話も出てきた。

それから限りなくポジティブだということ。

やりたいことをそのまま続け、しかも「何とかなるだろう」と思い続けて、何とかなった歴史を目の当たりにした思いだ。

本人としては優柔不断という自己分析で、さらに強い決断力が欲しそうだったが、上には上があるということだろう。

彼の中学校時代の頃を考え、現在に照らし合わせると、学校の成績はあくまで一側面だし、ましてや小中学校ともなると、単なる中間発表でしかないという思いも強くした。つまり成績が良くなかったからといって、それほど案ずることはない、ということ。

それより、自分の進みたい道を見極めることが重要、ということだろう。そこでようやく勉強の必然性が生じる訳だ。平成生まれの皆さんには、そのために勉強していただきたい、と昭和生まれのおじさんは強く思う。