最初に「通りゃんせ信号」を見たのは1974年、宮崎市の「デパート前」。驚きをもって受け入れたものだが、あっという間に(申し訳ないけれど)いやになった。音楽としては無表情の極致である。
飽きずに聞くために、頭の中で伴奏を鳴らすのだが、これがまた気に入らない。一回くらいは良いのだが、そう何種類も作れる訳はなく、そのうち同じ伴奏になって、自分が飽きてくる。ただの信号音の方がずっと良い。
さて、「通りゃんせ」の相棒は「故郷の空」。
これがまた、どういう訳か音程の外れた信号の多かったこと! そして、これまた頭の中で伴奏をつけるのだが、こちらはメロディーが気に入らない。これは、本来スコッチナー・リズム(と言ったっけな?)、通常の付点とはやや違い、長短が短長になったりという、少ッチ面白いリズムなのだ。
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このリズムでないと、この曲は面白くない。ましてや「夕空晴れて、秋風吹き」などという人畜無害の歌詞なんて、もってのほか。
と思っているものだから、これを強制的に聞かされる信号は、大変苦痛なのである。
ところが、大抵の方は全く無関心で、私としては大変うらやましい。
が、ちょっと待った、という事態が、先日の飲み会で起こった。
「あのメロディーは何なの?」
「○○に似ているよね。」
え゛っ。「夕空晴れて、て知らないの?」
「そんな歌詞ついているんだ」
は? スコットランド民謡だから知らなくてもいいかもしれないけれど、あんたの生まれはヒコットランド(山口県下関市彦島の別名)だろ? スコッチ飲むだけじゃなくて民謡にもスコッチ(二度目は受けない)関心をもってくれよ。
しかもその飲み会は音楽関係者ばかりだったのに、知っているのは私だけ。これは問題だとばかりに続ける。
「本当は麦畑の歌だけどね。だから原曲に一番近いのはドリフターズの誰かさんと誰かさん。」
「あ、それは知ってる。」
ほら、やっぱり知ってるじゃない。しかし、一番を最後まで歌えたのはまたもや私だけ。おかしいなぁ。私は「8時だヨ」はほとんど見ていないのに・・・。
それにしても「故郷の空」がこれほどにまで忘れられているとは驚きだった。
ウィキで調べると、「故郷の空」は戦後まで歌われた、と書いてある。そうか、私の子供時代はまだ「戦後」だったのか。戦後って長いなぁ。
さらに「通りゃんせ信号」とその相棒は、現在徐々に「カッコー信号」とその相棒にとって代わっているそうで、そのうち消えるそうだ。
消えるとわかると、急にいとおしくなったりする。今度「通りゃんせ信号」や「故郷の空信号」に出会ったら、歌いながら渡ってみるか・・・。