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先週、数人の高校の先生たちと会う機会があった。
どこの学校もレベルの低下は悩みの種であることが、話の随所から忍ばれる。
レベルの低下とは通常学力のことを指すのだが、学力だけではないところが実際には深刻かもしれない。
「吹奏楽のセッティング、つまり譜面台といす並べをですね、隣の(学力レベルの高い)学校ならば10分でやるところをですね、(学力レベルの低い)うちの生徒にやらせると40分もかかったりするんですよ。」
学力は低くても、いす並べなど生活に直結したもろもろは手早くやってほしいものだ。
「それが、大体学力に比例しているんですよねぇ。」
学校の勉強はできなくても、生活面はバッチリ、ということはあまり無いようで・・・。
今、大学では「自ら課題を見つけ、それを解決する能力」をどう育成するか、が取りざたされている。これは、例えて言えば英単語を覚えること、歴史の年号を覚えることより、効率的な椅子並べはどうすべきか、の方に近い。
近い、と思っていたが、高校の現状を見ると、椅子並べと英単語の記憶が遠い訳でもなさそうだ。
学力と椅子並べ、この相関関係がどうなっているのかあまりわからないのだが、やはり勉強はするものだ、という平凡な結論に。