この連休の初めに伝説のプリマ・ドンナ「マリア・カラス」の記録映像を観た。
1958年パリ・オペラ座ガルニエ宮でのライブ、大統領を筆頭に各界の著名人、ブリジッド・バルドーやチャーリー・チャップリンまで観客に含まれている、文字通り伝説の公演記録である。
第一部はベルリーニの「ノルマ」やロッシーニの「セヴィリアの理髪師」に含まれるアリアが中心、第二部はプッチーニの「トスカ」第二幕をそのまま上演するという構成。
何せモノクロ・フィルムなので、どこまでカラスの魅力を伝えきれているのか、よくわからないところもあるのだが、大きな瞳を活かした一瞬の表情の変化には、観客が吸い込まれていく力を感じた。
カラス以前の歌手の記録を見ていないので、推測に過ぎないのだが、ある歌い方はカラスが創始して、みんなが真似するようになったのかも、と思わせる瞬間もあった。
有名なアリア「今の歌声は」で、楽譜には書いていないけれど、誰もがそうする箇所がある。この映像を見て、初めてその必然性を理解した。演技と密接に結びついていた表現だったのだ。
もっともフィガロのアリア「私は町の何でも屋」の方にも、楽譜通りには歌わない箇所があるので、もっと以前からそのように歌われていた可能性も充分にあるのだが・・・。
と、一例を挙げればこのような感じで、魅力にあふれた映像。カラスの魅力については、これまでも多くの方がたくさん語り継がれていることなので、私がここでそれを繰り返さなくても良いだろう。
こちらが注目してしまったのは、それを支える合唱と管弦楽。(こちらはあまり語られていないと思う。)
公演が始まる前に、ちらっと映った集団があった。舞台裏で働く人も一応正装するのは、さすがオペラ座、と思いきや、こちらは合唱団だった。
これがなかなかパッとしない。
暗譜していないし、曲間にはおしゃべりしていたりするし、フランスのオケ同様、あまり美しくない光景に映る。
オーケストラはピットの中なので、今回そういう問題はもちろん起きなかった。
それで、興味をひいたのは“プンタ・ダルコ”
アリアの曲間に、標記の曲がはさまれた。これの序奏に punta d'arco (弓先で)の指示がある。
日本のオケでは全く無視されている指示である。弓先で弾いたら、あの軽快なサウンドが出ないからだ。
ところが、このオペラ座管弦楽団は弓先で「跳ばして」その軽快なサウンドを出していた。
この技術、日本のオケには「存在しない」と言って良いだろう。多分、やってもできない。コンマスが要求してもメンバーから一斉に反発を喰らうのがオチだろう。
同様の指示はチャイコフスキーの「金平糖の踊り」にもある。ロシアのオケはできるのかな。
日本のオケは十分世界の一流、と思っていたけど、まだこんなことがあったねぇ、と思いながら鑑賞した「伝説の公演」であった。