井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ラヴェル:ボレロとトスカニーニ

2015-05-23 13:05:30 | 音楽

ラヴェルのボレロ、日本版スコアの解説を久しぶりに読むと、なかなか興味深いことが書いてあった。

初演の時、作曲家のフローラン・シュミットは演奏が始まってしばらくすると、廊下に出てしまった。
誰かが、どうしたのかと問うと「転調するのを待っているんです」
確かにシュミットの曲は、移り変わる調性が重要な魅力だ。ダフニスとクロエの作曲家が一つの調に留まるなんてあり得ない、とシュミットは思ったのだろう。多分悪口でも皮肉でもなさそうなところが、かえって笑わせてくれる。

トスカニーニはこのボレロがとても気に入って、各地で演奏したそうだ。
そして、意気揚々とラヴェルの前で演奏したが、ラヴェルは全くその演奏が気に入らなかった。演奏終了後、トスカニーニは客席にいるラヴェルを聴衆に紹介しようとするのだが、ラヴェルは全く席を立ちあがろうとしなかったという。

その後、二人で大喧嘩。
あげくのはてにトスカニーニは言った。
「あなたは自分の音楽がわかっていない。こう演奏するしかないんです!」

いやはや、何とも愉快な話だ。
あっぱれ、トスカニーニ!

同じ話を1975年、NHKの教養特集で聞いたことがある。ラヴェル生誕100年の記念番組、しかし白黒放送。

語り手が、ラヴェルの弟子、ピアニストのヴラド・ペルルミュテールだったので、ぐっとラヴェル寄りの見方になる。
トスカニーニのテンポは割と早めで、こうだった、と歌う。
ラヴェルが意図したのはこうだった、と歌う。結構遅め。

ちなみにトスカニーニは途中でテンポアップして、演奏時間は約14分。
ラヴェルも録音を遺していて、演奏時間は約17分。

ペルルミュテールは、この話を引きあいに出して、ラヴェルの作品には、絶対的にこのテンポ、というのが各曲にある、という主張だった。
ソナチネのメヌエットを弾きながら、遅ければサラバンドに、速ければワルツになってしまう、と戒めたのだった。

これは私にとって、絶対的な指針になった示唆だった。(ただボレロに関しては遅さに閉口するが。)

1975年当時、トスカニーニの真似をしたのか、トスカニーニ風に途中でテンポアップする演奏が時々あり、評論家の批評の対象になっていた。
それから40年、多分今、そのように演奏する人はいないだろう。
逆に論争の対象になり得ることを驚く方が多いのではないだろうか。

それにしても、作曲家を前に、あんたはわかってない、と言い切る姿は感慨深い。
そして、そういうことがあることを頭に入れた上で、ラヴェルの先生のフォーレ、そのまた先生のサンサーンスの作品に接すると、また新たな見方が見えてくるのだ。