コンクールにおいて「講評用紙」というものがある。数から述べれば講評用紙があるコンクールの方が多いだろう。
権威のあるコンクールは無い方が多い。
権威があっても、合唱や吹奏楽はほぼ全てある。
海外のコンクールでは寡聞にして例を聞いたことがない。
しかし、ヨーロッパの国際コンクールだと、直接審査員を捕まえて講評を口頭で聴くことができる。審査員もそれに備えてしっかりメモをとっている。
なので、講評を聴けないコンクールが問題になる…
かもしれないが、講評のないのは毎日新聞主催の二つのコンクールくらいかもしれない。
その二つのうちの一つ、全日本学生音楽コンクールが5、6年前だろうか、予選に限り講評を始めたのである。
これは歓迎すべきことだろうと一応思う。
特に、結果は悪かったけれど良い演奏だった場合、有効に働くだろう。
コンクール等の変なところは、1番良いと思った人がそれぞれ違ったりすると、その次かな、という人が逆転して1位になってしまう現象が時々起きることである。
結果、皆が不満に思うことになる。
そんな時には、講評用紙に「私はよかったと思う」と書けるのが救いになるのではないだろうか。
権威のあるコンクールは無い方が多い。
権威があっても、合唱や吹奏楽はほぼ全てある。
海外のコンクールでは寡聞にして例を聞いたことがない。
しかし、ヨーロッパの国際コンクールだと、直接審査員を捕まえて講評を口頭で聴くことができる。審査員もそれに備えてしっかりメモをとっている。
なので、講評を聴けないコンクールが問題になる…
かもしれないが、講評のないのは毎日新聞主催の二つのコンクールくらいかもしれない。
その二つのうちの一つ、全日本学生音楽コンクールが5、6年前だろうか、予選に限り講評を始めたのである。
これは歓迎すべきことだろうと一応思う。
特に、結果は悪かったけれど良い演奏だった場合、有効に働くだろう。
コンクール等の変なところは、1番良いと思った人がそれぞれ違ったりすると、その次かな、という人が逆転して1位になってしまう現象が時々起きることである。
結果、皆が不満に思うことになる。
そんな時には、講評用紙に「私はよかったと思う」と書けるのが救いになるのではないだろうか。