井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

日本弦楽指導者協会の思い出③

2018-02-16 18:43:00 | 日記・エッセイ・コラム
次の思い出は、ずっと後の1990年頃、ヴァイオリン仲間が誘ってくれて、ザハール・ブロンの公開レッスンを見に行ったこと。

現在某オケのコンマスで活躍中のI氏が、ラヴェルのツィガーヌでレッスンを受けていた。

この事は以前も書いたが、一応繰り返すと、冒頭のソロは、きちんと4拍子を数えて弾かなければならない、と注意していたことをよく覚えている。かつて田中千香士先生がおっしゃったことと、全く同じだったからだ。

その後、招待演奏でまだ20歳前後のワジム・レーピンが登場。小品を披露したが、背の高さが非常に印象的だった。

さらに興味深いのは、これから数十年後、レーピンのツィガーヌを聞いた時である。ブロンの言うことをかなり無視した、いわゆる日本人が得意とする「一音入魂」型の演奏をしていたからだ。

ここからは私の勝手な推測だが、レーピンはブロンだけが全てのはずはない、何か他の方法もあるはずだ、と思っていたところで出会った日本人の演奏。I氏の演奏を面白いと思って、取り入れたのではなかろうか。

と、延々と思い出話を書いたのは、現在ピティナの活動に関わっているからだ。

ずっと後発のピアノ指導者協会、しかも一匹狼の多いピアノ指導者が、そう簡単にはまとまらないと思いきや、かつてからは考えられない盛況ぶり。もちろんそれなりに大変な事は多々あるにしても、弦楽器奏者の我々も巻き込むのだから大したものだ。

一方、協力し合うのは本来得意なはずのヴァイオリン業界は、それからするとちょっと寂しい。日弦協の活動も関西、中京は活発だが、あとはかつての勢いから遠ざかっている感を否めない。

かつての社会主義者ではないが「団結せよ、日本の弦楽器指導者」と叫びたい今日この頃である。