井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ドレミを選んだ日本人は西洋人?

2018-03-10 19:41:06 | 音楽
井財野が日本的なメロディーを作れないと、前々回の記事で書いたが、文部省唱歌だって負けてない。
「ふるさと」はイギリス国家によく似ているし、「春がきた」によく似た部分がトランペットの名曲「トランペット・ヴォランタリー」に出てくる。

どうしてこんな非日本的な歌で日本人を教育するのか!と、やや怒りを感じていたのだが、かなり誤解していることに気づかされた。

再び千葉優子著「ドレミを選んだ日本人」だが、これら明治時代に作られた唱歌の数々は、日本人にも西洋的な「音楽」の感覚を何とか植え付けようと、苦心惨憺の結果の産物だったようだ。それらの唱歌が非日本的なのは当たり前、逆に何とか西洋的なものを日本人に馴染ませるためのものだったのである。

約500年前の日本人の感覚の記述が同書にある。
宣教師フロイスの「日本覚書」に……

「われらにおいては、クラヴォ、ヴィオラ、フラウタ、オルガン、チャルメラなどのメロディはきわめて快い。日本人にとってはわれらのすべての楽器は、不快であり嫌悪される。我々のカント・ドルガンの音楽の協和音とハーモニーを重んじるが、日本人はそれをカシマシとみなし、まったく好まない。」

ヴァリニャーノの「日本諸事要録」には……

「我等の声楽や器楽は、通常彼等の耳には煩わしく聞こえ、彼等自身の音楽を極端に愛好するが、それは我等の耳にはまったく苦痛であり……」

この状況からいくつもの過程を経て、その最後の仕上げとばかりに文部省唱歌が登場したようだ。

結果、私達日本人は西洋人と同等の感覚を持つに至った。多分、上述の宣教師と同じような感覚を持つ日本人、かなり多いと思うし、そこまではっきり西洋人と同等でなくとも、500年前の日本人と同じ感覚を持つ現代日本人は皆無に近いのではなかろうか。

明治時代の先人達が頑張ってくれたおかげで、今日の我々がある。

どうもありがとう。

感謝の気持ちはある、しかし、これでいいのか、どこかしっくりこない。