井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ストラヴィンスキーは大作曲家だった

2018-04-29 21:12:00 | 音楽
と、声を大にして言わなければならないほど、現在の評価は落ちているように思う。

とにかく演奏されなくなった。
三大バレエと呼ばれる《火の鳥》《ペトルーシュカ》《春の祭典》以外は非常に珍しくなった。

そんなの当然では、と思われそうだが、かすかに(?)私が生きていた1970年代は全くそうではなかった。

ストラヴィンスキーが亡くなったのは1970年だから、もう没後の話だ。とは言うものの、亡くなった直後でもあるが、《兵士の物語》や《プルチネルラ》だけではなく、《カルタ遊び》《詩篇交響曲》《3楽章の交響曲》《ラグタイム》や、何が面白いのかよくわからない《管楽八重奏曲》《木管楽器のための交響曲》なども盛んに演奏や録音がされていた。

タケミツもストラヴィンスキーに認められて日本を代表する作曲家になったし、118の質問に答えるという本が出版されるほど日本でもV.I.P.だった。

かつて日本のオーケストラは《春の祭典》が演奏できるというのがマイルストーンだったし、今よりは《ペトルーシュカ》も盛んに演奏されていたと思う。

まさかストラヴィンスキーに流行の波が襲いかかるとは思わなかった。プロコフィエフでさえ、その当時のロシアを代表する作曲家はストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ミヤスコフスキーと答えたほどだ。

現在では完全にプロコフィエフの方が上位にあるし、ショスタコーヴィチもストラヴィンスキーより上位ではなかろうか。

まあ、上位かどうかはどうでも良いことだが、ストラヴィンスキーの地位がかつてあれほど高く、現在それに比べてこれほど低くなるとは、当時は全く考えなかった。

そのうち、テレマンやレーガー並みの地位になるのだろうか。ご両人とも一世を風靡した作曲家である。三大バレエがあるから、そんなことにはならないと思うものの、時代の移り変わりに驚くばかりだ。