以前も書いたような気がするが、ショーソンの交響曲、第2楽章第2主題と、童謡「ぞうさん」は酷似している。
それを利用して井財野はショーソンからぞうさんにつなげる「團伊玖磨童謡メドレー」を作ったことがある。
さて、近衛秀麿の本を読んでいたら、たまたまショーソンの交響曲、日本初演が1952年だ、という文章があった。
え、そんなに遅いのか、え、昭和27年…
途端にむずむずしてきた。
團伊玖磨が「ぞうさん」を作ったのはその頃ではないか?
ネットで調べると、詳細に調べた人がいらっしゃった。まど・みちおの歌詞を佐藤よしみが改変してしまって、そちらが定着してしまったとか、新聞に載ったゾウの話は、記者の創作だったとか、まあ戦後のどさくさはいろいろあるものだ。
それで、今で言うフェイク記事を基にまど・みちおは作詞して、一旦別人が2拍子の「ぞうさん」を作り、そこそこ普及したと思われる。何故ならば、私の母はその2拍子のぞうさんを、私に歌って聞かせてくれたことがあるから。
そして3拍子のぞうさんが作られ、「3拍子にして、象の感じがとても表れている」と中田喜直は著者「メロディーの作り方」の中で絶賛していた。
が、いつ作曲されたのか、不明になっている。團存命中に多分一番有名な作品になったし、あれだけの文章家だったから、どこかに「こうやって作った」と書いてあって良さそうだが、(多分)唯一「私の好きな歌、嫌いな歌」(エッセイ集、タイトルは違ったかも)に「一番稼いでいる曲」と書いて、大した記述はなかったと思う。
わかっているのは放送発表が1952年の12月だったこと。
ショーソンと團先生が直接結びつく感じはしないので、今までは「他人のそら似」だろうと思っていた。
しかし、ショーソンの初演が同じ時期、東京交響楽団によってとなると話は別だ。團先生が作品発表されていた「三人の会」で演奏を担当していたのは東京交響楽団だったから、関係は深い。
意図的にショーソンのメロディーを借りて作ってやろうとは、さすがに思わなかったと信じる。
だが、ショーソンの交響曲、終盤にあれだけしつこく「ドラーソ、ドラーソ」と繰り返されると、誰でも頭から離れなくなるだろう。
以下は井財野の妄想。
NHKから「ぞうさん」に付曲を頼まれていた團先生。締め切り近いけど、まあ何とかなるさ… … …ほら、出来た。
「それにしてもすぐ出来たな」こんなにすぐできるのは自分に才能があるからか?いや、そうではないけど、まあそういうこともあるさ…。
で、ある時に気付く「あちゃー、ショーソンにそっくり、というかそのまま。でも日本国内ではショーソンより有名になってしまったし、まあ黙っとこ」
こんなところではないかと思う。だから、曲誕生の経緯については深く触れていない。
何故こんな妄想をするか、それは井財野もこういう経験があるから、である。残念ながら日本国内で有名にはなっていないけど。
それを利用して井財野はショーソンからぞうさんにつなげる「團伊玖磨童謡メドレー」を作ったことがある。
さて、近衛秀麿の本を読んでいたら、たまたまショーソンの交響曲、日本初演が1952年だ、という文章があった。
え、そんなに遅いのか、え、昭和27年…
途端にむずむずしてきた。
團伊玖磨が「ぞうさん」を作ったのはその頃ではないか?
ネットで調べると、詳細に調べた人がいらっしゃった。まど・みちおの歌詞を佐藤よしみが改変してしまって、そちらが定着してしまったとか、新聞に載ったゾウの話は、記者の創作だったとか、まあ戦後のどさくさはいろいろあるものだ。
それで、今で言うフェイク記事を基にまど・みちおは作詞して、一旦別人が2拍子の「ぞうさん」を作り、そこそこ普及したと思われる。何故ならば、私の母はその2拍子のぞうさんを、私に歌って聞かせてくれたことがあるから。
そして3拍子のぞうさんが作られ、「3拍子にして、象の感じがとても表れている」と中田喜直は著者「メロディーの作り方」の中で絶賛していた。
が、いつ作曲されたのか、不明になっている。團存命中に多分一番有名な作品になったし、あれだけの文章家だったから、どこかに「こうやって作った」と書いてあって良さそうだが、(多分)唯一「私の好きな歌、嫌いな歌」(エッセイ集、タイトルは違ったかも)に「一番稼いでいる曲」と書いて、大した記述はなかったと思う。
わかっているのは放送発表が1952年の12月だったこと。
ショーソンと團先生が直接結びつく感じはしないので、今までは「他人のそら似」だろうと思っていた。
しかし、ショーソンの初演が同じ時期、東京交響楽団によってとなると話は別だ。團先生が作品発表されていた「三人の会」で演奏を担当していたのは東京交響楽団だったから、関係は深い。
意図的にショーソンのメロディーを借りて作ってやろうとは、さすがに思わなかったと信じる。
だが、ショーソンの交響曲、終盤にあれだけしつこく「ドラーソ、ドラーソ」と繰り返されると、誰でも頭から離れなくなるだろう。
以下は井財野の妄想。
NHKから「ぞうさん」に付曲を頼まれていた團先生。締め切り近いけど、まあ何とかなるさ… … …ほら、出来た。
「それにしてもすぐ出来たな」こんなにすぐできるのは自分に才能があるからか?いや、そうではないけど、まあそういうこともあるさ…。
で、ある時に気付く「あちゃー、ショーソンにそっくり、というかそのまま。でも日本国内ではショーソンより有名になってしまったし、まあ黙っとこ」
こんなところではないかと思う。だから、曲誕生の経緯については深く触れていない。
何故こんな妄想をするか、それは井財野もこういう経験があるから、である。残念ながら日本国内で有名にはなっていないけど。