井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ショーソンと「ぞうさん」

2018-12-23 19:16:00 | 日記・エッセイ・コラム
以前も書いたような気がするが、ショーソンの交響曲、第2楽章第2主題と、童謡「ぞうさん」は酷似している。
それを利用して井財野はショーソンからぞうさんにつなげる「團伊玖磨童謡メドレー」を作ったことがある。

さて、近衛秀麿の本を読んでいたら、たまたまショーソンの交響曲、日本初演が1952年だ、という文章があった。

え、そんなに遅いのか、え、昭和27年…

途端にむずむずしてきた。

團伊玖磨が「ぞうさん」を作ったのはその頃ではないか?

ネットで調べると、詳細に調べた人がいらっしゃった。まど・みちおの歌詞を佐藤よしみが改変してしまって、そちらが定着してしまったとか、新聞に載ったゾウの話は、記者の創作だったとか、まあ戦後のどさくさはいろいろあるものだ。

それで、今で言うフェイク記事を基にまど・みちおは作詞して、一旦別人が2拍子の「ぞうさん」を作り、そこそこ普及したと思われる。何故ならば、私の母はその2拍子のぞうさんを、私に歌って聞かせてくれたことがあるから。

そして3拍子のぞうさんが作られ、「3拍子にして、象の感じがとても表れている」と中田喜直は著者「メロディーの作り方」の中で絶賛していた。

が、いつ作曲されたのか、不明になっている。團存命中に多分一番有名な作品になったし、あれだけの文章家だったから、どこかに「こうやって作った」と書いてあって良さそうだが、(多分)唯一「私の好きな歌、嫌いな歌」(エッセイ集、タイトルは違ったかも)に「一番稼いでいる曲」と書いて、大した記述はなかったと思う。

わかっているのは放送発表が1952年の12月だったこと。

ショーソンと團先生が直接結びつく感じはしないので、今までは「他人のそら似」だろうと思っていた。

しかし、ショーソンの初演が同じ時期、東京交響楽団によってとなると話は別だ。團先生が作品発表されていた「三人の会」で演奏を担当していたのは東京交響楽団だったから、関係は深い。

意図的にショーソンのメロディーを借りて作ってやろうとは、さすがに思わなかったと信じる。

だが、ショーソンの交響曲、終盤にあれだけしつこく「ドラーソ、ドラーソ」と繰り返されると、誰でも頭から離れなくなるだろう。

以下は井財野の妄想。

NHKから「ぞうさん」に付曲を頼まれていた團先生。締め切り近いけど、まあ何とかなるさ… … …ほら、出来た。

「それにしてもすぐ出来たな」こんなにすぐできるのは自分に才能があるからか?いや、そうではないけど、まあそういうこともあるさ…。

で、ある時に気付く「あちゃー、ショーソンにそっくり、というかそのまま。でも日本国内ではショーソンより有名になってしまったし、まあ黙っとこ」

こんなところではないかと思う。だから、曲誕生の経緯については深く触れていない。

何故こんな妄想をするか、それは井財野もこういう経験があるから、である。残念ながら日本国内で有名にはなっていないけど。