筆者が東京芸大を卒業後しばらくした頃の自説である。(ナマイキーっ!)
当時、続々と新しい先生が着任され、そのレッスンを受けた学生達の自慢合戦があった一方で、クソミソにけなし合いも聞こえてきていた。(みんな生意気!)
貶されている先生、ちょっと前までは絶賛されていたのだよ、と言ってやりたかった。
しかし、国立大学というところは、昔から基本的に人員不足、と言って良いだろう。いろいろしなければならないことが多くて、学生の面倒は「ある程度まで」が普通。
それでも新しい先生は張りきっていらっしゃるから、そのパワーで素晴らしい結果を生む。それが続くのが大体5年くらいかな、と思ったし、実は今でもある程度思っている。
ただ最近、それほど単純ではない現実も知るところとなった。
「学校の中ではすごく高く評価されるが、社会に一歩踏み出すと全く大したことはない」ということは、昔からよくあった。
しかしその逆、離れた場所から見たら素晴らしいことをやっているのに、その地域では大して評価されないということ。
こういうことも、時々あるようだ。
先生が自分を戒める意味で「寿命は5年」で、そこを超える時、しっかり気を引き締める必要はあるだろう。
が、必ずしも先生は悪くなっていないのに、5年で評価が下がってしまう場合もある。そんなことを最近数ヵ所で知ることになった。
なかなか大変な世の中である。
当時、続々と新しい先生が着任され、そのレッスンを受けた学生達の自慢合戦があった一方で、クソミソにけなし合いも聞こえてきていた。(みんな生意気!)
貶されている先生、ちょっと前までは絶賛されていたのだよ、と言ってやりたかった。
しかし、国立大学というところは、昔から基本的に人員不足、と言って良いだろう。いろいろしなければならないことが多くて、学生の面倒は「ある程度まで」が普通。
それでも新しい先生は張りきっていらっしゃるから、そのパワーで素晴らしい結果を生む。それが続くのが大体5年くらいかな、と思ったし、実は今でもある程度思っている。
ただ最近、それほど単純ではない現実も知るところとなった。
「学校の中ではすごく高く評価されるが、社会に一歩踏み出すと全く大したことはない」ということは、昔からよくあった。
しかしその逆、離れた場所から見たら素晴らしいことをやっているのに、その地域では大して評価されないということ。
こういうことも、時々あるようだ。
先生が自分を戒める意味で「寿命は5年」で、そこを超える時、しっかり気を引き締める必要はあるだろう。
が、必ずしも先生は悪くなっていないのに、5年で評価が下がってしまう場合もある。そんなことを最近数ヵ所で知ることになった。
なかなか大変な世の中である。