井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ハイルマンの《マタイ受難曲》

2019-03-16 13:04:00 | 音楽
3月15日、鹿児島市民文化ホールでウーヴェ・ハイルマン指揮の《マタイ受難曲》の公演が行われた。
私も第2オーケストラのトップとして参加した。

この公演で特筆大書すべては、ソリストと合唱(そしてオーケストラの3分の1)が鹿児島国際大学の学生であるということ。

エバンゲリストやイエスを学生でやりきってしまうこと、自分の学生時代を考えたら信じられないことだ。その後、もっと学生レベルは上がったのかもしれないが、それでも、歌い始めて5年ちょっとでエバンゲリストまでいくとは、ヴァイオリン並みのハイ・スピード、というと語弊があるかもしれないが、とにかく驚異。

その裏にはハイルマン夫妻による特訓につぐ特訓があるそうだ。
これは、まあ他大学ではかなり難しい。

一つにはハイルマン氏が超体力の持ち主であることに起因する。何でもドイツではサッカー選手になるかテノール歌手になるかの選択を迫られたほどだとか。沖縄芸大の教授時代は学生と毎週サッカーをして、連戦連勝の日日。

一体何の先生やら、という感じもある一方で、バリトンからメゾソプラノまでの声域をカバーしてしまう。
ソプラノのアリアを学生の横で一緒に「実音で」歌ってしまうから恐れ入る。

そして、そのハイルマン先生のソプラノアリアに感動のあまり、私は涙してしまうのであった。

写真はリハーサル時のハイルマン氏と筆者。



ちなみに今回、クライマックスのソプラノアリア「愛ゆえにAus Liebe」はカウンターテナーの学生さんが歌う。
既存のイメージだと、カウンターテナーが歌うのはアルトのアリアなので、このキャスティングには始めびっくりしてしまう。
が、感傷的には絶対になってほしくないこのアリアに、カウンターテナーはとてもマッチする。

学生さんのソリストなので、中には(学生らしく)不安定なピッチの人もいる。しかし、声量、声質、これに不足を感じる人は皆無というのも素晴らしい。世阿弥が言うところの「時分の花」を持つ集団である。

その集団を撮ろうと思ったら、もうあまりいなくなってしまった舞台の写真。



それでも、少しわかるだろうか、左右にスクリーンが出て、字幕代わりのスライド(パワーポイント)が映しだされる。
近頃の《マタイ》は字幕が定着したので、寝る聴衆は皆無である。昔は、マタイといったらぐっすり寝るお客様の前で演奏するのが相場だったのに…。

その代わり?演奏者を凝視されることもなくなった。

そして左側、舞台下手に高い場所に位置するピアノ椅子が見えるだろうか。そこがエバンゲリストの場所である。
このようにエバンゲリストを高いところに立たせるのはシュライヤーなどが採用している。

このように、過去の様々なアイディアは取り入れられ、消化吸収されている一方で、全く独自の考えも併存しているところが、かなりユニークである。

外面的なことであれば、カール・リヒターがミュンヘンでやっていたように、聴衆の拍手は不要と思っている。(ドイツでは、聴衆も黒スーツ黒ネクタイで、公演が終わったら拍手せずにしずしずと会場をあとにするそうだ。)
鹿児島でも、拍手不要のサインをハイルマン氏は出していた。成功しなかったけど。

かと思うと、ハイルマン氏の本番衣装は黒の半袖シャツだった。私は本番を半袖シャツで振る指揮者をこれまで見たことがない。

使用楽譜はペータース版。今どきペータース!?

しかし、リハーサルが進むにつれ、エディションはほぼ関係がないことがわかってきた。

ペータースの記号に左右されることもなく、独自の強弱やアーティキュレーションの指示があるからだ。

コラールを頻繁にスタッカートで歌わせたり、メンゲルベルクよろしくフェルマータでしっかり止まったり。

古いものとの共通項だけではない。アーノンクールとも共演していたから、いわゆる前衛的解釈も飛び出す。
私が弾いたバスのアリア「私のイエスを返せ」は「これは怒っているんじゃない。ユダは先に死ぬけど、後でイエスと一緒に天国に居られるから幸せなんだ。そんなドイツ人みたいに力ずくで弾かないで。」

正直言ってその解釈は、まだ半分しか理解できない。でも、本番でいきなり、四分休符にフェルマータがかかった時、アーノンクールの《フィガロの結婚》「もう飛ぶまいぞ」を思い出してしまった。アーノンクール的発想も随所に出てくる。

こういうことは、我々日本人がやると「身勝手な演奏」としか受け入れられないのではないだろうか。

私は「文献的演奏」と呼んでいるのだが、昔このように書いてあったからこう演奏しよう、というものが日本では受け入れられやすい。
なぜなら日本人はオリジナル尊重主義だからだ。
舶来のものは良いものしか入ってこなかった歴史が長いから、その傾向は多少のことでは変わらないだろう。

この「文献的演奏」の最大の難点は、感動につながらないことが往々にしてあること。仏作って魂入れず、の状態になりやすい。

そこまでには至らなくても、例えば「ドイツ語としてはつながっているから、つなげた表現にするのが自然だろう。」と考える。
一般的な日本人は、ここまでが学習の限界だ。

「いや、ドイツ人でも強調したい時はこのように切って発音する」と言われたら、もう反論の術がない。
ドイツ人と日本人の厚い壁が見えてくるだけである。

ここでまた思い出すのは斎藤秀雄が師のフォイアマンから言われた言葉「音楽とは自分で考えぬいて作るものである」

これは規則一点ばりと言われることを自他共に認める斎藤秀雄の言葉の一部だ。
考える手段を教えるのに心血を注ぎ、最後には「歌え!心で歌え!」としか言わなかったそうだ。

ハイルマン氏、その意味ではドイツの純潔な考え方を守っていることにもなる。

楽譜の指示を、時に全く守らないこともある。が、そもそも楽譜は不完全なもの、書いてはみたが、そうしない方が条件によって効果的なことはよくある。
特にバッハの時代は、バッハが演奏現場に大体いたから、細かいことは口で説明していたはず。ハイルマンの解釈が見慣れないものでも、バッハの意図と全く違うとは言いきれない。

アカデミックに学習してきた人ほど、ハイルマンの音楽には抵抗を示す可能性がある。

でもシュヴァルツコップフに師事し、ウィーン国立歌劇場で歌い、チェリビダッケ、アバド、バレンボイム、ショルティなどと共演し、そこから培った感性は強靭。
胸襟を開いて接すれば、必ずや感動の世界に導かれることを確信している。

3/21東京「第一生命ホール」13時から
3/23神戸栄光教会15時から
3/24岡山建部町文化センター15時から

残席僅少のところもあるらしいが、可能なら是非お越しいただきたい。