井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

MD ディミヌエンド

2011-10-15 13:55:09 | うんちく・小ネタ

ここで言うMDとは、録音メディアのMini Diskのことである。

数カ月前、MDデッキが壊れた。ディスクを取り込んだまま動かなくなってしまったのだ。その時は、急遽他の方法をとって、事なきを得た。

さて、という訳で、大分時間が過ぎたところで、ようやく修理に出した。それから随分時間がたったところで、電気店からの返事。

修理する部品がないから修理できないとのこと。えっ?

「これ、大分古いでしょ?」

よく考えると十数年というのは古いのかなぁ?一緒に使っているカセットデッキ、アンプ、スピーカー、全て昭和生まれなので、平成生まれのこれは、感覚的に新しいつもりなのだが。

「ソニーが生産を止めたんですよ。あとは各社OEM(相手先ブランド供給)ですからねえ。ソニーが止めたら市場から消える訳で。」

おぉ、何という根性無し、と言うのは止めよう。CDという素晴らしいメディアを作ったのもソニーだし。

MDが入っていた棚の上にはDATのデッキが入っている。まだ頑張れよ!

棚の下にはDCCが入っている。え?知らない?では教えてしんぜよう。 家庭で手軽に扱えて、しかも従来のカセットテープと互換性があるもの、というコンセプトでフィリップスが開発したのだ。ディジタル・コンパクト・カセット、である。

知る人ぞ知るDCC対MD戦争。結果がどうなったかは、言うまでもない。持っていて「笑える」のは、これとエルカセットくらいだろうな。

だから、勝者であるMDにはもっと長生きしてほしかった。 でも仕方ない。21世紀に生きる者は、それにふさわしく生きていくほかはない。

幸いにして、まだいくつかのMD搭載の機械を持っている。大事に扱うぞ。


砂の器

2011-10-10 23:23:25 | うんちく・小ネタ

中高生の頃、團伊玖磨のLPも買わずに、何を買っていたかというと、例えば交響組曲「宿命」というのがある。映画「砂の器」の音楽を編集したものである。

そういえば最近もドラマ化されていて、また観てしまった。多分3回目のドラマ化だと思う。ここまで何度も映画になったりTVドラマになったりという作品は珍しいのではないだろうか。

これはもちろん作品が面白いからだ。方言や戸籍のトリック、日本のあちこちを舞台にする設定、人間模様、その要素には枚挙にいとまがないが、他の松本清張作品と違うのは「音楽家」が出てくる、ということだ。と言っても全作品を読破した訳ではないので、他にも出てくる作品があるのかもしれないが、とにかく音楽のウェイトが結構大きい。

しかし、原作では「ミュージック・コンクレート」の現代音楽家、という設定なのだ。鉄筋コンクリートみたいな名前だが、訳すと「具体音楽」、身の回りにある音から電子音まで、様々な音を集めて加工して編集して作る「音楽(?)」のことである。

これを映画化してもドラマ化しても、かなり無理がある。案の定、どのドラマもそこは改変されている。改変された結果、どのドラマも「あり得ない音楽家」の設定に変わっているのが興味深い。

「あり得ない」のは、聴衆が次の新作を聞きたくて会場につめかけ、かっこいい(あ、今はイケメンと言うのだった)青年音楽家が登場して、クラシック音楽のスタイルを持つ「わかりやすい」音楽を披露する、ということ。あったらいいのに、とは思うが。

さて、「ミュージック・コンクレート」の代表選手は、やはり武満徹と黛敏郎だろう。と偉そうに書いてしまったが、実はこのお二方の作品しか聴いたことがないのである。(一時、冨田勲のシンセサイザー音楽をレコード会社がミュージック・コンクレートに分類していたが、それは間違いというものだ。)

このご両人の作品は、感動とまではいかないにしても、なかなか面白かった。特に黛先生のものは、いかにも才気煥発なユーモアと皮肉に富んだものだった。

そこで思うのは、「砂の器」の音楽家、和賀英良のモデルは黛先生なのではないか、ということ。実は私は昔からそう信じている。

私が生まれるずっと以前のことだけど、さんざんテレビや書籍等で紹介されているから、まるで見たことがあるかのように聞かされている「三人の会」。芥川也寸志、團伊玖磨、黛敏郎という当時若手の作曲家が、お金を出し合ってオーケストラを買い、それぞれの作品発表をした会である。

そこで「シルクロード」や「饗宴」などが演奏された。こういう音楽ならば、聴衆も新作に期待してつめかけるだろう。そして花束を渡したのは、みんな当時の女優さん達。そのうち、皆さんその女優さんと結婚して・・・。と、まあ実に華やかな世界が、往時の日本のクラシック界にはあった訳だ。三人ともスターだったし。日本のクラシック音楽界が、一番賑やかだった時代かもしれない。

この情景、映画・ドラマの演奏会シーンとそっくりだ。この情景のみが生き残っている感がある。原作にそれが活写されているかどうかは、読み手の判断に委ねられるが、和賀英良と黛先生が,この点において素直に重なるのである。

ただ、和賀英良はかなり悪者として描かれているので、黛先生がモデルだなどとうっかり言えるものではないし、第一恐れ多いことだ。

私が望むのは、クラシック音楽界にも、そのような活気がまた現れる日がくること。生きているうちにそうなるといいなあ。

追記 : これを書く約1カ月前、作曲家の吉松隆氏が「和賀のモデルは黛敏郎」と断定されていました。そこには「従前のクラシック音楽と違い、現代音楽ならばろくな教育を受けなくても第一人者になれる」という皮肉が込められている、とのことで・・・。念のため、黛先生の作品は、そのような現代音楽とも違い、すばらしいものです。



フェリ・クローム・テープと交響詩「ながさき」

2011-10-07 00:21:47 | 音楽

カセットテープというのは、私が生まれた頃に開発されたから、その開発の歴史と共に時間を過ごしてきたことになる。最初は、とても音楽を聴く媒体とは言い難い代物だったにも関わらず、オーディオ機器の仲間入りをしたのは結構速かったかもしれない。

その中で「フェリ・クロームFe-Crテープ」というのがあった。カセットテープの磁性体、つまりテープに記録する部分は通常酸化鉄が使われていた。

一方、ものすごい貴重品だった録画のための「ビデオテープ」(1970年当時一本一万円以上したそうだ。バスが30円で乗れた時代に、である。)には、二酸化クロムが使われていた。

その二酸化クロムをカセットテープに使って「クロームテープ」という高級品もあった。二酸化クロムは高域特性に優れているということだったが、低域はむしろ酸化鉄が良いとのことで開発されたのが「フェリ・クローム」。テープベースに酸化鉄を塗って、その上にクロムを塗る「デュアル・コーティング」とか言っていた。

これは上等だったのだ。通常のカセットテープ(かなりノイズがするくせに「ローノイズ」という)の定価が400円の時代(バスは60円から80円)、1000円くらいしたと思う。

私は、その頃フェリ・クローム・テープを2本しか買っていない。

一本はソニーの60分で、ヘンリク・シェリング来日公演のFMを録音したもの。バッハのパルティータとブラームスのソナタ等を録音した。今考えると、FMの音なんてたかが知れているから、わざわざ高級テープを使うほどのものではないのだが、当時はマイクロフォンも持っていなかったから、生録音もできない。シェリングを精一杯大事に扱った証明とでも言っておこうか。

もう一本はスコッチの46分、これには團伊玖磨の「筑後川」(オーケストラ伴奏)と交響詩「ながさき」というLPをダビングした。このLPは九州交響楽団の初LP、師匠の音が入っているし、ということで、それはそれは大事に聴かせてもらった。

それならばLPそのものを買ったらどうかと言うなかれ。このLP、中学校の後輩が先に買ったのだ。そうすると、同じLPを買うというのが、とても不経済に感じたからにほかならない。

それから2,30年して、久しぶりに聴いてみたら、えらくこもった音がする。もしやと思って録再ヘッドをのぞいたら、こげ茶色の粉がまとわりついていた。

恐らく表面の二酸化クロムが剥げ落ちているのだろう。デュアル・コーティングなんてかっこいいこと言って高いお金払わせて、これだからなぁ。酸化鉄のみの普及品の方が寿命が長いなんて皮肉なものだ。

しかもフェリ・クロームが最高級品だったのは十年もなかった。酸化鉄などという「まがいもの」の鉄ではなくて、鉄そのものを磁性体にした「メタルテープ」が開発されたからだ。あわれフェリ・クローム!

さて、そこに録音されていた交響詩「ながさき」。3楽章から成る20分くらいの曲だが、長崎の人にさえ、今では知られなくなった。このLP録音以来、演奏されたことがないからだ。第2楽章は原爆の悲劇を歌った「のどがかわいて、たまりませんでした」が出てくるし、第3楽章の冒頭では爆竹を使うしで、やや演奏されにくい要素があるのは確か。しかし、演奏されない直接の原因は、なんと楽譜の喪失だと、最近伺った。

初演した長崎交響楽団、録音した九州交響楽団、どちらも持っていないという。あとの可能性は委嘱した長崎市役所のどこか。そんなことがあるとは、いまだに信じられないのだが。

途端に、交響詩「ながさき」が名曲に思えてきた。

夾竹桃の花のかげに隠れないで

夾竹桃の花のかげから出てきて 出てきて

このあたりは、筑後川や西海讃歌に勝るとも劣らない、美しい部分だ。楽譜さん、どこかの倉庫に隠れないで、出てきて・・・。